『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第111回 正修止観章 71

[3]「2. 広く解す」69

(11)病患境③

 (2)別釈③

 ③「治病の方法を明かす」

 この段は、「治法の宜対不同を明かす」と「正しく治を用うるの不同を明かす」の二段に分かれている。
 「治法の宜対不同を明かす」段の冒頭には、

 三に治法を明かすに、宜しく対すべきこと同じからず。若し行役(ぎょうえき)し食飲して患を致さば、此れは方薬を須(もち)いて調養するに、即ち差(い)ゆ。若し坐禅は調わずして患を致さば、此れは還って坐禅を須いて、善く息観を調うるに、乃ち差ゆ可きのみ。則ち湯薬(とうやく)の宜しき所に非ず。若し鬼・魔の二病、此れは深き観行の力、及び大神呪を須うるに、乃ち差ゆることを得るのみ。業病の若(ごと)きは、当に内には観力を用い、外には懺悔(さんげ)を須うべし。乃ち差ゆることを得可し。衆(もろもろ)の治は同じからず。宜しく善く其の意を得べし。刀を操(と)り刃を把(と)って自ら毀傷(きしょう)す可からざるなり。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。大正46、 107下27~108上5)

とある。これによれば、適宜な対治の方法は、病によって相違するとされる。たとえば、遠くに行って労役に服し、飲食して病気を招けば、医術と薬を用いて療養するべきである。坐禅が調わずに病気を招く場合は、坐禅を用い、巧みに数息観を調えるべきである。鬼病・魔病の二つの病気は、深い観行の力や偉大で神妙な呪文を用いるべきである。業病に関しては、内面では観行の力を用い、外面では懺悔を用いるべきであるというものである。
 次に、「正しく治を用うるの不同を明かす」段は、坐禅による治療を主題としており、「今、坐禅に約して、略して六治を示す。一に止、二に気、三に息、四に仮想(けそう)、五に観心、六に方術なり」(同前、108上5~7)とあるように、六段に分かれている。順に紹介する。

 一、止を用いて治す

 この段では、温師(未詳)の説を引用して、心を臍(へそ)に繫(か)ける瞑想を勧めている。これはさまざまな病気を治療することができ、またさまざまな禅を生ずることができるといわれる。心を臍に繋ける理由は、息は臍から出て、また入って臍に至り、息の出入は、臍を極限とし、容易に無常を悟ることができるからであるとされる。
 また、四念処に関しては、臍を観察して、身念処の門を成就することができ、六妙門(数息門・随息門・止門・観門・還門・浄門のこと)を設ければ、臍は止の門であり、兼ねて道に入ることができるとされる。他に、心を丹田(臍の下二寸半の下腹部)に止める場合、常に心を足に止める場合、必ずしも心を病気の場所に止めない場合などについて説いているが、説明は省略する。

 二、気を用いて治す

 この段では、吹(すい)、呼(こ)、𡁱(き)、呵(か)、嘘(こ)、𡀗(し)の六気を用いた治療を勧めている。この六気は、いずれも口から息を出し入れすることであるが、それらの相違点はよくわからない。
 たとえば、冷たい場合は吹を用いることは、火を吹く方法のようにする。熱い場合には呼を用い、身体の節々が痛む場合は、𡁱を用い、また風大を治療する。頭が熱くなってふくれのぼせる場合は呵を用い、痰や胸の病には嘘を用い、疲労には𡀗を用いると述べられている。
 他に、六気が五臓を治療する場合、六気がともに一つの臓を治療する場合について述べているが、説明は省略する。

 三、息を用いて治す

 この段では、息が強いか軟かいかを見抜いて、身体が建康か病気かを確認することが勧められている。もし身体の流動する風がよこしまに生起すれば、痛く痒くなって病気となるといわれる。気に四つの伴侶があることを知る必要があるとされ、音声がある息を風といい、これを守ると散らばる。結び滞る息を気といい、これを守ると結ばれる。出し入れが尽きない息を喘(いきぎれ)といい、これを守ると疲れる。音声もなく滞らず、出し入れがともに尽きることを息といい、これを守ると定まるとされる。
 また、静かな場所を求めて結跏趺坐し、身を平らに真っ直ぐにし、身体を放縦にし四支(両手両足)をゆったりとさせ、骨と筋を正しく配置するべきであるとされ、さらに種々の注意がなされているが、説明は省略する。また、息を用いて八触が通常と相違する病気を治療することについて説いているが、説明は省略する。さらに、上、下、焦、満、増長、滅壊、冷、煖、衝、持、和、補の十二の息を働かせて治療することについて述べているが、説明は省略する。

 四、仮想の治

 ここでは、仮想(想念を借りること)による治療について説いている。前の気の治療と息の治療のなかにも想念を用いることが説かれていたが。ここでは、ひたすら仮想によって治療する場合を取りあげている。高麗の辯師(未詳)が首のこぶを治療する方法のようなものであり、腹のなかのしこりをわずらう人に対して針を用いる方法のようなものであり、『阿含[経]』のなかで暖かい蘇を用いてひどい疲れを治療する方法のようなものであり、蛇を呑む方法のようなものであると述べられている。最後の蛇を呑む方法については、『輔行』巻第八之二に、「『如吞蛇法』とは、第一本に云わく、人の噉食(たんじき)して蛇の影を呑みて、謂いて蛇と為すが如きなり。因りて病と為る。他人は之れを問いて、病の源を知り已り、即ち下薬を以て密かに死蛇を以て、其の痢盆(りぼん)に著(お)き、唱えて蛇出ずと言う。病は即ち差ゆるなり」(大正46、400中4~7)とあるのによれば、蛇の影を呑んだにすぎないのに、蛇を呑んだと思って病気になった人に、下剤を与えて、あらかじめ用意した死んだ蛇が出てきたことを示して、病気を治癒することである。

 五、観心の治

 この段では、観心の治療について述べている。実際には、後に説かれる十乗観法による治療なので、ここでは、ただちに心を観察し、内外に推し求めても心は実体として捉えることはできず、病が誰に逼(せま)りに来るであろうか、誰が病を受ける者であろうかと洞察することを指摘しているだけである。

 六、方術の治

 ここでは、方術の治療について述べている。方術の事は平易であり、方術の本体には方術を見せびらかす傲慢さが多いとされる。出家の人が必要とするものではなく、もともと学ぶ必要がないものであり、もし学べば、急いで捨てる必要があるとされる。また、方術を借用して病気を治療することも良いが、もし用いて名誉を要求し利益を追求し、時流に対して騒ぎ動揺する者は、魔の幻であり、魔の偽りであると厳しく指摘して、急いで捨てるように戒めている。
 他に、三十六獣が人をかき乱すならば、呪文を三回唱える方法が示されているが、説明は省略する。さらに、もし赤痢、白痢、急に病気が重症となり、顔が青く、眼はひっくり返り、脣は黒く、人を認識できなければ、手ではなはだしく丹田をひねれば、一瞬にして癒えるとされ、さらに身体の上に痛むことがある場所にしたがって、杖ではなはだしく病気の場所を、四、五十回まで打つことを勧めている。その意味は、さまざまな病気は、心が作ったものでないものはなく、心に憂いの思いがあれば、邪気が入ることができるが、今痛みによってこれに逼れば、よこしまに思うのにゆとりがなく、邪気が去り、病気が除かれるのであると述べている。

 ④「損益を明かす」

 この段は、別釈が五段に分かれるなかの第四段、「損益を明かす」の段である。「損」は病気が治らないこと、「益」は病気が治ることを意味する。この治療の効果には、段階的な「漸」と急速な効果が見られる「頓」の場合があるといわれる。病人に、心が賢く病気が軽い人、心が賢く病気が重い人、心が愚かで病気が軽い人、心が愚かで病気が重い人という相違があるので、治療の効果に漸・頓の相違があると述べられている。
 さらに、十の項目に注意すると、治療の効果があるとされる。十の項目とは、信、用、勤、恒、別病、方便、久、取捨、将護、識遮障のことである。たとえば、第一の信について述べると、信は道の根元であり、仏法の初門であり、この信じることはこの病気を治療することができるときっぱりと信じて、ためらって物事を決めかねることを生じてはならないし、信じて用いないことは、自己にとって利益がないとされる。最後に、もし十法を備えて上のさまざまな治療を用いることができれば、利益があることはきっと疑いがないと示されている。(この項、つづく)

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。2025年、第1回日本印度学仏教学会学術賞を受賞。