『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第40回 方便⑪

[6]調五事について

 今回は、二十五方便、つまり具五縁、呵五欲、棄五蓋、調五事、行五法の五項目の第四に当たる「調五事」について紹介する。五事とは、食、眠、身、息、心であり、これを適度に調整することが説かれている。
 食と眠は、禅定の時以外についての規定であり、他の三事は、禅定の入定(禅定に入ること)・出定(禅定から出ること)・住定(禅定に留まっていること)の時に関する規定であるとされる。
 食と睡眠については、食べ過ぎたり、食べな過ぎたり、睡眠過多であったり、睡眠不足であったりしてはならないと戒めている。つまり、適度な食事と睡眠が勧められている。健康な日常生活を送るうえでも重要な点であると思うが、止観を実践するうえでも重要なものとされているのである。面白いことに、睡眠は眼の食事といっているが、現代的にいえば、睡眠は脳の食事といったところであろう。
 身、息、心の三事は互いに離れることがないので、合して調えなければならず、「初めに定に入る時、身を調えて寛ならず急ならざらしめ、息を調えて渋(じゅう)ならず滑(かつ)ならざらしめ、心を調えて沈(じん)ならず浮(ふ)ならざらしむ」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、493頁)と説かれている。
 最初に禅定に入るときの注意事項として、身体を調えてゆるやかでもなく差し迫っているのでもないようにさせ、呼吸を調えてすべりが悪くもなくなめらかでもないようにさせ、心を調えて沈鬱にもならず軽浮でもないようにさせることが示されている。
 また、この三事(身、息、心)を調えれば、凡夫の三事が聖人の戒・定・慧の三法に転換すると説かれている。
 以上が事の調五事であるが、次に観心(理)の調五事について説かれている。そこでは、理観の調食、調眠、調三事がそれぞれ説かれ、次に、空仮中の三観に焦点をあわせて三事のそれぞれを調えること、さらに、三観のそれぞれにおいて三事を調えることなどが説かれているが、説明は省略する。

[7]行五法について

 最後に、行五法について紹介する。五法とは、欲(意欲)、精進(修行に努力すること)、念(心に集中して思うこと)、巧慧(巧みな智慧)、一心(心を集中させること)であり、前の二十法が備わっても、この五法を行じなければ、止観は現前しないと、次のように説かれる。

 上の二十法は備わると雖も、若し楽欲希慕(ぎょうよくきぼ)し、身心苦策(くさく)し、念想方便して、一心に志を決すること無くば、止観は現前するに由(よし)無し。若し能く欣習(ごんしゅう)して厭うこと無く、暁夜(ぎょうや)に懈(おこた)るに匪(あら)ず、念念に相続して、善く其の意を得、一心に異なり無くば、此の人は能く前路に進む。(『摩訶止観』(Ⅱ)、500頁)

 上の具五縁・呵五欲・棄五蓋・調五事の二十箇条の方便が備わるけれども、もし願望し願い慕い(「欲」に相当)、身心を励まし(「精進」に相当)、心に思い(「念」に相当)、巧みな手段を講じ(「巧慧」に相当)、心を一つにして決心する(「一心」に相当)ことを実行しなければ、止観は実現することができないとされる。これとは逆に、もし喜び習って厭うことなく(「欲」に相当)、日夜懈らず(「精進」に相当)、一瞬一瞬継続して(「念」に相当)、巧みにその意味を理解して(「巧慧」に相当)、心を一つにすることについて相違がなければ(「一心」に相当)、この人は道を前進することができるとされる。
 この五法の意味は、浅い段階から深いものへと種々に規定されているが、最も深い段階の規定については、

 欲とは、二辺従(よ)り正しく中道に入らんと欲す。二辺を雑(まじ)えざるを精と為し、任運に流入するを進と為す。縁を法界に繋(か)け、念を法界に一(ひとし)うするを念と為す。中観の方便を修するを善巧と名づく。二辺を息め、心水は澄清(す)みて、能く世間の生滅の法相を知り、其の心を二にせず、清浄常一にして、能く般若を見るなり。(『摩訶止観』(Ⅱ)、506頁)

と述べられている。ここでは、二つの極端からまさに中道に入ろうとすることが「欲」とされる。二つの極端をまじえないことを「精」とし、自由に中道に流入することを「進」とする。法界を認識の対象とし、法界全体を想念することを「念」とする。中観を修行する方便を「善巧」(「巧慧」に相当)とする。二つの極端を止め、心の水は澄んで、世間の生滅の法の様相を知ることができ、その心を二つのものにせず、清らかに常に一つであって、般若を見ることができるのである。これは「一心」に相当するものと考えられる。
 以上で、二十五方便の詳細な解釈が終わり、この第六章の最後に二十五方便の功能を結論的に示す短い文章が示される。
 その要点は、二十五方便は、さらに細かく区別すると、無量の方便となりうるが、煩雑となるので記述しないと述べている。
 この二十五方便は、禅定の外の方便とし、また遠の方便とも名づける(近の方便は十境のこと)が、この心を調えることによって、疑いが晴れてすっきりと理を見るときは、内と外、遠と近の区別はなくなると述べている。ただし、今はひとまず外の方便を明らかにしたのであると述べている。

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。