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芥川賞を読む 第13回 『おどるでく』室井光広

文筆家
水上修一

読み進めるのが難儀な前衛的作品

室井光広(むろい・みつひろ)著/第111回芥川賞受賞作(1994年上半期)

日本語をロシア文字で表音化した日記

 第111回の芥川賞はW受賞だった。前回取り上げた笙野頼子の「タイムスリップ・コンビナート」と、今回取り上げる室井光広の「おどるでく」だ。『群像』(1994年4号)に掲載された作品で、枚数は約119枚。受賞時の年齢は39歳。
 この作品を語る上では、作者の経歴を知っておいた方ほうがいい。1955年に福島県南会津郡で生まれ、慶応大学卒業後に大学図書館に勤務。予備校講師などを経て創作を開始しているが、当初その才覚を発揮したのは小説ではなく評論だった。1985年には、群像新人文学賞と早稲田文学新人賞のいずれも評論部門で候補となっており、1988年には、「零の力――J.L.ボルヘスをめぐる断章」で、群像新人文学賞「評論部門」を受賞。そして、その12年後に芥川賞受賞を果たしている。
「おどるでく」は、とにかくわかりづらい。最後まで読み進むのに難儀した。これはわたしがアホだからかとも思ったが、他のさまざまな媒体のレビューを見ても、みなさん相当読むのに苦労している様子が伺える。 続きを読む

芥川賞を読む 第12回 『タイムスリップ・コンビナート』笙野頼子

文筆家
水上修一

幻想的な設定と文章で抽象的な世界を描く

笙野頼子(しょうの・よりこ)著/第111回芥川賞受賞作(1994年上半期)

難解と称される作品群

 1956年生まれの笙野頼子は、立命館大学在学中から小説を書き始め、大学卒業後も就職せずに他大学受験を口実に予備校に通いながら小説を書き続けた。1981年に『極楽』で群像新人文学賞を受賞し小説家デビューしたものの、その後、約10年間は評価されることはなかった。実家からの仕送りを頼りにひきこもりのような生活をしながら書き続け、1991年に「なにもしてない」で野間文芸新人賞を、1994年に「二百回忌」で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。そして、同じく1994年に「タイムスリップ・コンビナート」で第111回芥川賞を受賞した。
 野間文芸新人賞、三島由紀夫賞、芥川賞という純文学の新人賞を獲得したことで新人賞三冠王と呼ばれた彼女は、その後も執筆の熱の衰えることはなかった。「純文学論争」を巻き起こすなど、「戦う作家」として今も書き続けている。
「難解」とも評される彼女の作品には熱烈なファンが多い。何が難解と受け止められるかというと、幻想的で奇抜な設定と、自由奔放な文体だ。「タイムスリップ・コンビナート」もまさにそう。 続きを読む

芥川賞を読む 第8回 『運転士』藤原智美

文筆家
水上修一

ひとりの地下鉄運転士の内面を徹底して描き切る

藤原智美著/第107回芥川賞受賞作(1992年上半期)

無機質な運転士の変貌

 第107回芥川賞を受賞したのは、当時36歳の藤原智美の『運転士』だった。『群像』(1992年5月号)に掲載された127枚の作品だ。

 主人公には名前はなく、「運転士」と表記されるだけだ。この無機的な表現方法は、主人公の内面とうまく共鳴し合う。主人公が地下鉄の運転士を仕事に選んだ理由は、時間と方法が確立されていて、いい加減なものが入り込む余地のない明確な仕事だからだ。彼にとって曖昧さは不自由さと同じ意味を持つ。あえて地上の電車ではなく地下鉄を選んだのは、天候によって運航が乱されることも昼夜の光量の差もなく、常に一定の条件で運転できるからだ。 続きを読む

芥川賞を読む 第7回 『至高聖所(アバトーン)』松村栄子

文筆家
水上修一

孤独と痛みの癒しを求めるキャンパス小説

松村栄子著/第106回芥川賞受賞作(1991年下半期)

筑波学園都市が舞台

 第106回芥川賞を受賞したのは、当時30歳だった松村栄子の「至高聖所(アバトーン)」だった。『海燕』(1991年10月号)に掲載された123枚の作品だ。
 ――舞台となっているのは、(おそらく)筑波学園都市。整然と区画整備されたエリアに近代的な学部棟や研究施設が建ち並び、そこを行き来するのは学生と研究者と大学関係者などのごく限られた階層の人たちだけで、人間臭い市井の人々や労働従事者などの姿はない。いわば特殊なコロニーだ。 続きを読む

芥川賞を読む 第6回 『背負い水』荻野アンナ

文筆家
水上修一

嫌みに感じるほどの「才気」は、否定しようがない

荻野アンナ著/第105回芥川賞受賞作(1991年上半期)

選考委員の酷評

 第105回の芥川賞は、前回取り上げた辺見庸の『自動起床装置』と萩野アンナの『背負い水』がダブル受賞となった。『文学界』(1991年6月号)に掲載された126枚の作品。
 さて困った。ちっともいいと思えないのだ。自らの精神の居場所を探し求めながら、男関係のなかで揺れ動く独身女性の心情を描いているのだが、読後、「だから、どうした?」と、ため息をついてしまったのだ。
 確かに、才気あふれる作家であることは、読み始めればすぐ分かる。けれども、例えば、そばに近づいて見ると確かにキラキラと部分的には輝いているのだが、離れて全体を見ようとすると、いったいどのような形状で何を表現しようとしているのかがつかめず、戸惑ってしまうのだ。 続きを読む