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芥川賞を読む 第55回 『穴』小山田浩子

文筆家
水上修一

ありふれた日常の中にある異界

小山田浩子(おやまだ・ひろこ)著/第150回芥川賞受賞作(2013年下半期)

語らないことで想像をかきたてる

 実験的で技巧的な文章にやや食傷気味だった筆者にとって、小山田浩子の「穴」は、とても読みやすく、力を抜いて小説世界に浸ることができた。村上龍が「複雑な構造の作品ではなかったことにまず好感をもった。」と評した通りだ。

 ――非正規雇用の「私」は、郊外に引っ越すことになった。そこは、夫の実家に隣接する貸家で、家賃はゼロ。お金のためにあくせく働く時間は消え去り、日がな一日することがほとんどない専業主婦の生活が始まった。外を歩く人などほとんどいない強い日差しが降り注ぐ夏。車のない「私」は、コンビニに行くにも時間をかけて徒歩で移動するしかない。
 それまでとは全く異なる土地と環境の中で、奇妙な出来事がいくつも起きる。得体の知れない黒い獣の後を追ううちに、背丈ほどもある穴に落ちる。人気の少ない場所と不釣り合いなほどの大勢の子どもたちが河原で遊んでいる。義祖父は、豪雨にもかかわらずひたすら庭に水を撒き、饒舌な義母は小銭をくすねる。そして、その存在など聞いたこともない義兄が、隣接するプレハブ小屋で暮らしていた…。 続きを読む

芥川賞を読む 第54回 『爪と目』藤野可織

文筆家
水上修一

3歳だった女児が父の愛人について語る不気味

藤野可織(ふじの・かおり)著/第149回芥川賞受賞作(2013年上半期)

珍しい二人称の小説

 藤野可織の「爪と目」は、冒頭の出だしが印象的で、本作の大きな特徴を示唆している。

 はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。

 ここで読者は少し混乱する。「語り手」が誰で、「あなた」は誰を指すのか、悩むのだ。筆者も最初は「語り手」が父と関係を持ったのかと思ったのだが、そうすると父が「きみとは結婚できない」と言った「きみ」は「語り手」になるはずなのだが、その後の文章を読むとどうも違う。それがはっきりするのが、少し後に出てくる「私は三歳の女の子だった」という一文である。つまり「語り手」は、当時3歳だった女の子なのである。その子が成長後、自分の人生を俯瞰するように物語ってゆくのである。そして、「あなた」は、父と不倫関係にあった女性を指すのだ。つまり、この作品は、語り手である当時3歳だった「わたし」が、父の愛人を「あなた」と呼ぶ2人称の小説なのである。 続きを読む

芥川賞を読む 第53回 『abさんご』黒田夏子

文筆家
水上修一

読みづらい大和言葉から立ち上がる美しく静かな哀しみ

黒田夏子(くろだ・なつこ)著/第148回芥川賞受賞作(2012年下半期)

史上最高齢75歳での受賞

 それまでの史上最高齢の芥川賞受賞者は、「月山」で受賞した62歳の森敦だったが、それを大幅に更新したのが、「abさんご」で受賞した75歳の黒田夏子であった。2012年に早稲田文学新人賞を受賞し、それが同年の芥川賞受賞につながった。彼女の最初の文学賞受賞は、1963年7月度の読売短編小説賞(「毬」で受賞)だったから、実にその49年後の芥川賞受賞ということになる。
 その経歴もさることながら大きな注目を浴びたのは、その文体である。読者にとっては慣れない横書きのかな文字が多用され、句読点は「,」「.」で区切り、日常生活に馴染んだ名詞をあえて放棄しそれを分解した形で表現している。たとえば、蚊帳を「へやの中のへやのようなやわらかい檻」と表現し、傘を「天からふるものをしのぐどうぐ」という具合だ。
 結果として非常に読みづらい。通常、私たちは漢字かな混じりの文章を読むとき、意味を形で瞬時に伝えてくれる漢字の力を借りて、あえて音に変換しない状態でも意味を理解できるのだが、かな文字が多用された文章を読むとなると、かなの音を漢字に変換して意味を受け取らなければならない。それは慣れない作業なので、恐ろしく疲れる。最初の1ページを読み終えるのに、私も何度も読みかえす羽目となった。 続きを読む

芥川賞を読む 第52回 『冥土めぐり』鹿島田真希

文筆家
水上修一

過去の不運や絶望の中から見出した再生の光

鹿島田真希(かしまだ・まき)著/第147回芥川賞受賞作(2012年上半期)

過去という遺物を眺める

 不運や絶望や諦めから、人は再生の道を発見できるのか。ある種の宗教的命題を抱えた作品ともいえる鹿島田真希の「冥土めぐり」。
 主人公の奈津子の母と兄は、傲慢で、虚栄心が強く、拝金主義で、浪費家だった。その背景にあるのは、祖父母時代の裕福さ。超豪華なホテルで食事をしダンスを楽しみ、周囲からも特別扱いされるような家庭環境だったため、祖父母が亡くなり金の工面にも苦労するような生活に落ちぶれた今でも、昔の栄華が忘れられず虚栄に満ちた生活を追い求めているのである。
 そうした二人から小馬鹿にされ金銭的に搾取されてきたのが奈津子である。社会的常識から見れば奈津子の方が圧倒的に健全なのだが、そうした家庭環境だったため奈津子の自己肯定感は極めて低い。家族からの無理な要求にも逆らわない。それはまるで自分を諦めたような存在である。そんな奈津子は、職場の同僚と結婚したのだが、夫はその後、脳に関する病を発症し車椅子生活となる。稼ぎのない夫の日常生活を支える奈津子の日々は、一見あまりにも不遇である。
 ある時、二人は旅行に出かけることにした。行く先は、裕福だった頃に両親や祖父母と一緒に出かけた超豪華ホテルのある観光地。そこで、家族の過去を客観的に見つめるのだが、夫との出会いこそが自分にとっての救いだったということを発見するのである。 続きを読む

芥川賞を読む 第51回 『共喰い』田中慎弥

文筆家
水上修一

土着的世界の中で描かれた血と性の濃密な物語

田中慎弥(たなか・しんや)著/第146回芥川賞受賞作(2011年下半期)

確かな生の手触り

 第146回の芥川賞は、W受賞であった。前回紹介した円城塔の「道化師の蝶」と、今回取り上げる田中慎弥の「共喰い」である。「道化師の蝶」があまりにも難解で小説を味わう以前のところで頭を抱えたことに対して、「共喰い」は安心してその作品世界を堪能できた。前者が、選考委員の判断が分かれた実験的作品だとすれば、後者は、ほとんどの選考委員が高い評価を与えた古風な肌触りのする純文学である。
 舞台は下関の田舎町。主人公の遠馬(とおま)は17歳の男子高校生。異臭が漂う薄汚れた川が舞台の中心に流れている。川べりで魚屋を一人で営む実母は、捌いた魚の内臓をそのままその川に廃棄する。それを餌として集まるうなぎを釣るのが遠馬の楽しみ。遠馬が暮らすのは、その実母の家ではなく、近くにある父と義母の暮らす家。父と実母が別れた原因は、父の異常な性癖だった。 続きを読む