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芥川賞を読む 第61回 『死んでいない者』滝口悠生

文筆家
水上修一

葬儀場の人々の描写から、生の滑稽さや愛しさが滲み出る

滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)著/第154回芥川賞受賞作(2015年下半期)

各家庭に存在するさまざまな事情

 滝口悠生の「死んでいない者」の舞台は、葬儀場だ。通夜会場、それに隣接する宴会場や控室、そして葬儀場近くの故人の実家とその周辺を舞台とし、多くの親族が登場する。
 亡くなった老人の葬儀のために集まった親族の数は、5人の子どもとその家族、孫ひ孫まで入れると、20数人にのぼる。これだけ多くの親族が集まれば、当然、誰と誰がどのようなつながりなのか分からなくなる。しかも、物語は、特定の2、3人だけに焦点を当てるのではなくひ孫まで描いているので、スムーズに読み進めるために筆者は図を書いたほどだった。
 それぞれの家庭の事情を絡めながら多くの登場人物を描くことで浮かび上がってくるのは、それぞれに懸命に生きているありのままの人の姿だ。周囲に迷惑ばかりかけて行方不明となっている男、中学時代から不登校となり、今は故人の実家の離れで無職のままひっそりと生きている若者、半ばアルコール中毒の小学生等々、それぞれの事情を抱えた血縁者たちが、一人の老人の死をきっかけに一堂に会いして、酒を飲み、話をする。日常ではありえない不思議な「場」からは、生きることの滑稽さや愛しさが滲み出てくるのである。 続きを読む

芥川賞を読む 第60回 『異類婚姻譚』本谷有希子

文筆家
水上修一

アイデンティティが希薄になる不気味さ

本谷有希子(もとや・ゆきこ)著/第154回芥川賞受賞作(2015年下半期)

象徴的な「蛇ボール」

 本谷有希子は、もともと舞台女優で、2000年には「劇団、本谷有希子」を設立し、自ら劇作・演出を手がけていた。その後、2006年には鶴屋南北戯曲賞を、2009年には岸田國士戯曲賞を受賞。さらに、2011年には野間文芸新人賞を、2013年には大江健三郎賞と三島由紀夫賞を受賞し、2015年に「異類婚姻譚」(いるいこんいんたん)で芥川賞を受賞した実力派である。
 異類婚姻譚は、言うまでもなく、人間と人間以外の存在、例えば、動物、神、妖怪、幽霊などとの結婚や恋愛を題材とした物語のことを指す。日本に限らず世界各地の民話や伝説、神話、文学作品に登場するわけだが、誰もが知っている日本の作品としては、鶴が人間の女性に姿を変えて男と結婚する「鶴の恩返し」や、男が亀を助けたことで竜宮城の乙姫(異界の存在)と過ごす「浦島太郎」などが有名だ。
 異類婚姻譚という説話類型名を作品名にしたことにより、読む前からこの作品がそうした物語であることを明言しているわけで、そのことによって、どこか奇妙な非現実的なストーリーを読み手がすんなりと受け入れる土壌を事前に作っている。 続きを読む

芥川賞を読む 第59回 『スクラップ・アンド・ビルド』羽田圭介

文筆家
水上修一

高齢者介護の現実をどこかユーモラスに描く

羽田圭介(はだ・けいすけ)著/第153回芥川賞受賞作(2015年上半期)

不思議な可笑しさ

 羽田圭介が小説家デビューしたのは、高校(明治大学付属明治高校)在学中の2003年だった。小説「黒冷水」で文藝賞を受賞し、高校生作家誕生ということで大いに注目を集めた。その後、野間文芸新人賞の候補に2度、芥川賞候補にも3度上るなどして、その才能に注目が集まる中、4度目の候補で「スクラップ・アンド・ビルド」が芥川賞を受賞した。

 主な登場人物は3人。介護が必要な祖父と、その介護を担う就職活動中の孫の健斗と、健斗の母(祖父の娘)。ままならぬ肉体の衰えから「死んだほうがまし」が祖父の口癖だった。その祖父の願望を叶えるために孫の健斗は、痒いところに手が届くような過保護な介護によって、祖父自らが体を動かす機会を減らし、それによって筋力低下や神経系統の鈍化を促し、早くあの世に送り出そうとする。甲斐甲斐しく介護する健斗であったが、ある時、祖父の生に対する執着を知って、愕然とする。 続きを読む

芥川賞を読む 第58回 『火花』又吉直樹

文筆家
水上修一

お笑い芸人を題材とした青春小説

又吉直樹(またよし・なおき)著/第153回芥川賞受賞作(2015年上半期)

芸人という人種の切なさ

 お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹の小説「火花」が芥川賞を受賞したのは、社会的事件と言えるものだった。2015年上半期の芥川賞の選考会は同年7月に行われたが、3月発売の文芸誌『文學界』に同作品が掲載された時点で大反響を呼び、文芸誌には珍しい大増刷の結果60万部もの売り上げに繋がったのだ。しかも、純文学の文芸誌なのに、購読者のほとんどが10代という異例の大ブームとなった。
 こうした加熱するマスコミ報道があったためか、選考委員の中にはそうした風潮に身構えた者もいただろう。実際、選考委員の宮本輝は、

マスコミによって作られたような登場の仕方で、眉に唾のような先入観さえ抱いていた。しかし読み始めると、生硬な「文学的」な表現のなかに純でひたむきなものを感じ始めた

と述べているように、選考委員の多くは、純粋に文学作品として評価に値すると感じたからこそ芥川賞受賞に至ったのだろう。 続きを読む

芥川賞を読む 第57回 『九年前の祈り』小野正嗣

文筆家
水上修一

困難を抱えた子を持つ母の祈り

小野正嗣(おの・まさつぐ)著/第152回芥川賞受賞作(2014年下半期)

〝こだわり〟の土地の力

 芥川賞候補になること4回目で受賞となった小野正嗣の「九年前の祈り」。『群像』掲載の約161枚の作品。
 舞台は、九州・大分県の海辺の町。主人公の安藤さなえは、地元の団体組織が主催したカナダ旅行で知り合ったカナダ人男性と結婚。一人息子の希敏(ケビン)をもうけたが、夫と離婚したことにより、やむなく息子を連れて故郷の大分の実家に戻ることに。ハーフ特有の美しい顔立ちを持つ息子は、他者とのコミュニケーションに難を抱える特性を持っていたため、さなえは子育てに苦労し一人悩む。たとえば、何かの拍子に〝引きちぎられたミミズ〟のようにのたうち回って暴れる息子を前にしたときは、なす術もなく途方に暮れる。そんなさなえの苦しい心境に変化が訪れたのは、カナダ旅行で一緒だった地元の女性、渡辺ミツの息子を見舞うために、ある島の美しい貝を採取しに行った時のこと。その時に、9年前のカナダ旅行で目にした、教会の中で祈る渡辺ミツの姿が想起され、それが物語の最終盤でさなえにある啓示を与えるのである。 続きを読む