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芥川賞を読む 第33回『ハリガネムシ』吉村萬壱

文筆家
水上修一

暴力性の生まれる暗部の構造を描く

吉村萬壱(よしむら・まんいち)著/第129回芥川賞受賞作(2003年上半期)

不気味な寄生虫「ハリガネムシ」

 第129回の芥川賞受賞作は、『文学界』に掲載された吉村萬壱の「ハリガネムシ」だった。
 受賞作のタイトルにもなっているハリガネムシについて、作中では詳細には解説されてはいないが、調べてみると実に薄気味悪い生物だ。くねくねと動く細長いひものような寄生虫で、乾燥すると針金のように硬くなることが名前の由来らしい。本来は水生生物で、カゲロウなどの水生昆虫に捕食されそれをカマキリなどの陸上生物が捕食すると、その陸上生物に寄生し成長を続ける。最終的には、ある種の神経伝達物質を使ってカマキリを酩酊状態にし、川などに入水させた後にカマキリの尻からにゅるにゅると出て行って水の中へと帰っていく。この作品の不気味さをうまく象徴しているタイトルである。
 平凡な教師だった主人公の〈私〉が堕落・変質していくきっかけとなったのは、ソープ嬢のサチコと出会いだった。社会の底辺を這いつくばるように生きてきたサチコとの交流の中で、自らの中にある肉欲を含む暴力性に徐々に目覚めていく様は、実に見事でありスリリングでもある。 続きを読む

芥川賞を読む 第32回『しょっぱいドライブ』大道珠貴

文筆家
水上修一

危うく微妙で不思議な男女の人間関係を描く

大道珠貴(だいどう・たまき)著/第128回芥川賞受賞作(2002年下半期)

しょぼい初老の男と冴えない30代女性の不思議な関係

「小説」というくらいだから必ずしも大そうな話である必要はない。ただ少なくとも心揺さぶられる感覚や多少のカタルシスはほしいと思うのだが、ところが芥川賞にはそうしたものは必ずしも必要なく、むしろ書き手の上手さのほうが重要なのだろう。
 第128回芥川賞の受賞作は、大道珠貴の『しょっぱいドライブ』だった。『文學界』に掲載された91枚の作品。
 肉体的にも人格的にも頼りなく魅力もない、ただお金だけは持っているしょぼい六十代の九十九(つくも)さんと、地方劇団のスターに憧れながらもまともに相手をされない、これまた冴えない三十代の「わたし」の微妙な関係を実に丹念に描いている。 続きを読む

芥川賞を読む 第31回『パーク・ライフ』吉田修一

文筆家
水上修一

「現代」という時代の、所在のない希薄性を描く

吉田修一(よしだ・しゅういち)著/第127回芥川賞受賞作(2002年上半期)

何も起きない淡い色彩の物語

 第127回芥川賞は、当時33歳だった吉田修一の「パーク・ライフ」が受賞。『文學会』に掲載された122枚の作品だ。同氏の作品はそれまで4回芥川賞候補となっている。
 物語は淡々と進む。舞台は東京の日比谷公園。主人公が暮らす部屋も勤務先もその周辺で、仕事の空き時間などにぼんやりとした時間をそこで過ごす。そこで一人の女性と知り合うのだが、大きな出来事は何も起きない。色に例えるならば、透明に近い淡い色彩の物語だ。何か特別なことを強く訴えようとする気配もないわけだが、それが逆に都会で暮らす若い人たちの感覚をうまく描いている。
 例えば、住む場所。主人公が生活する場所は、知り合い夫婦のマンションで、2人が不在期間、ペットの猿の面倒を見るという名目でその部屋で寝起きしている。そこは決して自分の世界ではない。例えば、人物。公園で知り合った女性との間には性的なものは皆無だし、他の登場人物を見ても手製の小さなバルーンを空にあげて公園の全体像を知ろうとする老人程度しか出てこない。そこにモチーフとして度々挟み込まれるのが、「死んでからも生き続ける臓器」を謳った臓器移植の広告や人体解剖図などの他人事のような希薄な肉体感覚だ。 続きを読む

芥川賞を読む 第30回『猛スピードで母は』長嶋有

文筆家
水上修一

疾走するように生きるシングルマザーと息子との陰影が鮮やかな印象を残す

長嶋有(ながしま・ゆう)著/第126回芥川賞受賞作(2001年下半期)

母子の距離の見事さで人物を鮮やかに描く

 第126回芥川賞を受賞したのは、長嶋有の「猛スピードで母は」だ。『文学界』(平成13年11月号)に掲載された約99枚の作品。当時29歳。それ以前、パスカル短編文学新人賞の候補作、ストリートノベル大賞の佳作第2席となり、文学界新人賞を受賞した「サイドカーに犬」は、前回125回の芥川賞候補になっている。
「猛スピードで母は」は、母子家庭を描いている。夫と離婚し女手ひとつで一人息子を育ててきた母親は、生き抜くために男に対しても社会に対しても遠慮がない。なおかつ自分の欲求に対しては素直で我慢はしない。おしゃれもするし腹が立つと趣味の車でぶっ飛ばす。
 この作品の見事さは、人物の鮮やかさだ。無口で大人しい少年から見た母親を描いているのだが、普通、子ども目線で物語を描く場合、周りの人物や出来事を深い思索や認識で捉えて、表現することは難しい。しかし、この作品はそうした困難さを軽々と超えて実に印象深い母親と、その親子関係を描き出している。 続きを読む

芥川賞を読む 第29回『中陰の花』玄侑宗久

文筆家
水上修一

文学に昇華された、僧侶が描くこの世とあの世のはざまの世界

玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)著/第125回芥川賞受賞作(2001年上半期)

ほぼ満場一致での受賞

 第125回芥川賞は、選考委員の石原慎太郎が「今回は全体に候補作の水準が高く、選考委員の間にさしたる異論もなしに受賞作が決まった」と言うように、スムーズに決まったようだ。かなり珍しい。選考委員の河野多惠子が選考会の様子を選評の中でかなり詳しく記していて、それによると3回の投票を通して玄侑宗久の「中陰の花」と長嶋有の「サイドカーに犬」の2作に絞り込まれ、最終的には「中陰の花」が満票で受賞を決めたようだ。
「中陰の花」の受賞に対して異論がほとんど出なかったのは、安定した文章と欠陥の少ない構成と読み物として素直におもしろいということが挙げられるだろう。 続きを読む