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書評『ローマ教皇』――教皇の言葉を読み解き、その実像に迫る

ライター
小林芳雄

脱色された日本の報道

 ローマ教皇は、世界に14億人の信徒を擁する宗教・カトリックを代表する存在である。
 著者の山本芳久氏は、東京大学大学院の教授で、中世の哲学者・神学者トマス・アクィナス研究の第1人者であり、またアリストテレスやイスラム教、ユダヤ教などの研究でも知られる。
 本書『ローマ教皇 伝統と革新のダイナミズム』は、ベネティクト16世(在位2005年-2013年)、フランシスコ(在位2013年-2025年)、レオ14世(在位2025年-)といった現代のローマ教皇の宗教文書を読み解くことによって、これまで日本で知られていなかった実像に迫るものだ。

我が国のキリスト教の信徒は全人口の一%程度に過ぎないのであるから、キリスト教の根本精神とは何かというような観点が表に出てこないのはある意味当然のことかもしれないが、それでは教皇について的確に理解することはできない。(本書70~71ページ)

 2025年に行われた教皇選挙(コンクラーベ)は、同時期に映画『教皇選挙』が上映されたこともあり、日本でもこれまでにない関心を集めた。またローマ教皇の時局に対する発言がニュースでとりあげられることも少なくない。
 しかし、その発言の根に流れるカトリックの教義や伝統に目を向けられることはない。いわば「宗教的脱色」をされた形でしか報道されることはなかった。これでは教皇の発言の真意は理解されず、ミスリードがおきかねない。 続きを読む

書評『幽霊の脳科学』――さまざまな怪談を脳科学の視座から分析する

ライター
小林芳雄

幽霊を見る患者との出会い

 気温が高い日々が続くと、昔から日本人は背筋が冷たくなるような怪談話を好む。現在でも、テレビのみならずYouTubeでも怪談チャンネルが人気を博している。
 本書『幽霊の脳科学』は、日本各地に伝承されてきた幽霊譚や落語の怪談噺などを題材に採り、脳科学者の立場から論じたものだ。
 著者はこれまで脳神経内科医として勤務し、主にパーキンソン病などの神経・筋疾患の研究を行ってきた。医師である著者が「脳と怪談」の関係を真面目に考えるきっかけとなったのは、1人の患者との出会いであったという。

 この患者さんを診ていて私が思ったことは、「患者さんの体験した幻覚はまさに幽霊譚であり、同時に脳機能障害もあったということは、逆に脳神経系の部分的な機能障害に伴って幽霊を見る症状が出現する可能性は考えられないだろうか」ということでした。(本書19ページ)

 患者は60歳の男性で、笑顔を絶やさぬ穏やかな人物であった。しかし最近、幽霊が見えるようになったと言い始めた。当初の診断では、視力や視野、運動機能や感覚機能に問題はなかった。しかし、詳しく検査を進めると高次脳機能障害のあることが判明し、また睡眠障害があることも分かった。治療により、その改善を試みたところ、幽霊を見ることはすっかりなくなったという。 続きを読む

書評『奪われた集中力』――加速化し続ける世界の在り方に警鐘を鳴らす

ライター
小林芳雄

集中力の衰退を招いた原因とは

 著者ヨハン・ハリは、日常的な問題を綿密な調査と取材によって徹底的に掘り下げることに定評があるジャーナリストであり、世界的なベストセラー作家である。
 本書『奪われた集中力』では「なぜ人々は集中できなくなったのか」という問題をとりあげている。3カ月間、インターネットを遮断した環境に身を置き、さらに世界を駆け回り、250人を超える有識者にインタビューを重ね、その核心に迫る。

ぼくらの多くにとって読書は、経験することができるもっとも深い集中が形になったものだ――人生におけるたくさんの時間を、冷静に、心を静めて、一つの話題に費やし、心に浸透させていく行為だからだ。これを手段として、過去四〇〇年にわたる思想の大きな進歩がほぼ理解され、説明されて来た。その経験が今、一気に減少しているのである。(本書90ページ)

 集中力の萎縮を象徴するのが〝読書の衰退〟である。紹介されている調査によれば、現在、読書を娯楽とする米国人の割合は過去最低であり、1年間に1冊の本を読まなかった人の割合は57パーセントに達するという。 続きを読む

書評『ポピュリズムの仕掛人』――暗躍するスピンドクター(情報を操作する者)の実態を暴く

ライター
小林芳雄

インターネットの登場が政治を変えた

 著者はフィレンツェ市の副市長やイタリア首相のアドバイザーを務め、現在はパリ政治学院で教鞭を執る政治学者。本書『ポピュリストの仕掛人』は、現在、洋の東西を問わず世界中を混乱に陥れている政治運動・ポピュリズム(大衆迎合主義)に鋭くメスを入れたものだ。
 ポピュリズムとひとくちに言っても、その政治的主張は国によって微妙に色合いが異なる。あえて言えば、極端に過激な主張と排外主義に特徴がある。担い手となる支持者も「何かに対して怒りを抱いている人」という特徴があるが、労働者や富裕層などの社会集団に絞ることはできない。従来の分析手法では捉えることは難しいこの運動の本質を、本書では独自の観点から分析している。

 新たに登場した頭のいかれた政治屋たちは、最小公倍数を割り出して人びとを団結させるのではなく、できるだけ多くの小さな集団の情念を煽り、彼らの気づかないところでそれらを足し合わせようと画策する。彼らは多数派を中道(センター)ではなく極端(エクストリーム)に収斂させようとする。(本書16ページ)

「SNSと政治」というテーマは、近年、日本でもさまざまに議論されている。
――SNSを上手く活用した政党が支持を伸ばす。SNSで拡散されたデマが選挙結果に影響を与えている、などの内容が大半を占めている。
 だが、著者の視点はそれらと一線を画している。インターネットとSNSこそが現在の政治状況を生み出したというものだ。 続きを読む

書評『言論統制 増補版』――日本言論界の負の歴史を見つめる名著

ライター
小林芳雄

鈴木庫三とはいかなる人物か

 第2次世界大戦下の日本で、言論統制を行った悪名高い情報将校・鈴木庫三(くらぞう)。本書は厖大な資料を渉猟し彼の実像に迫ることによって、当時の言論界の内実を明らかにするものである。初版は2004年に発行された。それから20年が経過し、デジタルアーカイブの発達などもあり、多くの未発見資料が発見された。そうした成果を盛り込み増補・加筆されたものが『情報統制 増補版』である。

日記からも猛烈な勉強の様子がうかがわれるが、読書時間の多くが演習や講義で利用された洋書テキストに費やされている。(中略)目的に対する精力の集中投入という軍事的思考なのであろうが、そこに「知識人」鈴木庫三の限界を指摘することはできる。(本書184ページ)

 鈴木庫三は1894年、茨城県の小作農の子供として生まれた。家は貧しく、幼い頃から両親の農業を手伝いながら学ぶことを余儀なくされる。軍人になってからも努力を重ね、日本大学の文学部を首席で卒業し、同大学院へと進学する。刻苦勉励(こっくべんれい)がやがて実を結び、東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に陸軍派遣学生として送り込まれることとなった。やがて教育将校として頭角を現し、1938年から1942年まで情報将校として辣腕を振るった。「国防国家」という言葉が一般的に定着したのは彼の功績ともいわれる。戦後は熊本に隠棲し農業に従事し、1964年に死去している。 続きを読む