コラム」カテゴリーアーカイブ

【道場拝見】第9回 喜舎場塾田島道場(松林流)〈上〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

松林流から〝進化〟した会派

 松林流の喜舎場塾といえば、私の知る限り、沖縄の空手流派の中では最も研究熱心なグループ(会派)の一つとして位置づけられる。
「沖縄空手道松林流喜舎場塾」は、戦後の沖縄空手界を牽引した長嶺将真(ながみね・しょうしん 1907-97)のもとで三羽烏と謳われた弟子の一人、喜舎場朝啓(きしゃば・ちょうけい 1929-2000)を始祖とする会派で、独特の腰使いなどを特徴としてきた。同塾の2代目となる新里勝彦(しんざと・かつひこ 1939-)塾長は名の知られた存在だが、〝弟弟子〟にあたるのが現在、三原道場(三原公民館、水・土19時~)を運営する道場主の田島一雄・教士8段(1947-)である。
 三原道場での稽古を2度ほど見学し、技法の概要や流派の思い出を取材した。 続きを読む

書評『もし君が君を信じられなくなっても』――不登校生徒が集まる音楽学校

ライター
本房 歩

増加傾向にある「不登校」児童・生徒

 本書は、福岡市の音楽学校「C&S音楽学院」創立者・毛利直之と、西日本新聞の記者として同校の在校生や卒業生たちを取材してきた首藤厚之の共著である。
 最初に触れておくと、「C&S音楽学院」はプロのミュージシャンなど多彩な人材を輩出してきた音楽の専門学校である。しかし、それ以上に今や同校は、数多くの「不登校生徒」だった子どもたちを蘇生させてきた学校として知られている。
 その教育理念と長年の実践、傑出した成果は、平和学の国際会議でも取り上げられ、アイルランドの高校などとも交流してきた。

 文部科学省の発表によると、2023年度の学校長期欠席いわゆる「不登校」の児童・生徒数は、小中学校で34万6482人。前年度から4万7434人(約16%)増加した。高等学校における不登校生徒数は6万8770人で、前年度から8195人(13.5%)増となっている。
 加えて、高等学校の中途退学者数は4万6238人。こちらも一旦は減少傾向にあったが2020年を境に再び増加に転じている。 続きを読む

芥川賞を読む 第46回 『終の住処』磯﨑憲一郎

文筆家
水上修一

寄る辺のない不穏な空気

磯﨑憲一郎(いそざき・けんいちろう)著/第141回芥川賞受賞作(2009年上半期)

挑戦的な作風

 磯﨑憲一郎の「終の住処」。2度目の芥川賞候補で受賞。当時44歳。
 小説は、何をどのように書いても自由なわけだが、ある程度の作法というものはあるはずだ。そうしたものを壊して新たな作法で書くことは、小説の新たなおもしろさを開く可能性を秘めている反面、失敗すれば理解不能にもなりかねない。「終の住処」は、そうした挑戦的な試みに満ちているような印象を受けた。
 まず、時間軸が長い。結婚をして、子供が生まれて、何人もの女性と不倫を重ね、家を建てて、老いを目前にするまでの長い人生の時間を、わずか原稿用紙110枚程度で描いている。一貫して流れているのは、家族、なかんずく妻という他人との理解しがたい境である。
 また、そこで起きるさまざまな出来事には連続性がない。AがあったからBがあってCとなるといった、因果関係に基づいた連続性がないので、個々の出来事が全く無関係な無機質な独立した出来事のように見えるのだ。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第71回 正修止観章㉛

[3]「2. 広く解す」㉙

(9)十乗観法を明かす⑱

 ⑥別して安心を明かす(1)

 ここから、別して安心を明かす段である。では、止観によって心を法性に安んじることがうまくいかない場合はどうすればよいのであろうか。『摩訶止観』には、「若し倶に安んずることを得ずば、当に復た云何んがすべき」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、608頁)と、問題提起をしている。うまく行かない様子については、「復た之れを止(とど)むと雖も、馳すること颺炎(かげろう)よりも疾(と)く、復た之れを観ずと雖も、闇(くら)きこと漆・墨に逾(こ)えたり」(同前)と述べている。私たちの心が御しがたいことを踏まえて、心を静止させようとしても、吹き上がる炎よりも早く走り去り、これを観察しようとしても、漆と墨よりも暗闇であるので観察できないと述べている。
 次に、具体的に心を安んじる方法について、他人に教えること(教他)と自分で行なうこと(自行)の二種に分ける。はじめに、前者の他人に教えることについては、さらに聖人の師が教える場合と凡夫の師が教える場合の二種に分けている。 続きを読む

「核廃絶」へ世界世論の喚起を――原爆投下80年となる2025年

ライター
青山樹人

ノーベル委員会の意図

 2024年の「ノーベル平和賞」を受賞した日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)。日本時間の12月10日夜にノルウェーの首都オスロ市役所でおこなわれた授賞式では、代表委員の田中熙巳さんが受賞の演説に立った。
 田中さんは13歳のとき、長崎市内の爆心地から3キロほどの自宅で被爆した。

一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪いました。その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、私はそのとき、強く感じたものであります。(田中さんの演説から「NHK NEWSWEB」

 約20分におよぶ演説が終わると、聴衆は立ち上がって拍手を送った。各国から集まったメディアの数も例年にない多さで、世界からの関心の高さを示した。
 授賞式に合わせて、現地ではさまざまなイベントも開催された。日本から派遣された4人の「高校生平和大使」も、オスロ市内などで高校生や大学生らと交流。授賞式にも参列した。
 高校生平和大使は、インドとパキスタンが相次いで核実験を実施した1998年に、長崎市が2人の高校生を国連本部に派遣したのが始まり。全国から公募され、これまで高校生平和大使を経験した人は250人を超えている。 続きを読む