鶴見俊輔を知ったのは、「限界芸術」という彼のアイデアに出会ったからだった。
『限界芸術論』によれば、芸術には、純粋芸術(一般に芸術と呼ばれている作品)、大衆芸術(俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられる作品)、限界芸術(両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品)の3種類がある。
鶴見は、宮沢賢治を限界芸術の実作者ととらえている。そのことが、多くの人に受け容れられ、しかも豊かな芸術性を備えている文学を構想していた僕にとって、大きな触発となった。
また、日本では小学校しか出ていないのに、渡米してハーバード大学で学んで、図書館でアルバイトをしているとき、ヘレンケラーと出会い、「私はいまunlearnしている」といわれて、unlearnを「学びほぐす」と訳し、人は学びほぐすことが必要だと説いたことにも教えられた。
それから僕は、鶴見俊輔の仕事に注目するようになったのだけれど、彼が詩を書いていたことは知らなかった。『もうろくの春 鶴見俊輔詩集』――さっそく注文した。 続きを読む
「コラム」カテゴリーアーカイブ
沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第7回 沖縄空手の名門道場 明武舘(剛柔流)〈下〉
国際色豊かな大人クラス
子どもクラスの稽古が終わるとそのまま中学生以上の一般クラスに移る。一般クラスは子どもと同じく火・木・土に加え、日曜を入れた週4回(時間は19時から20時半までの1時間半)。
通常の稽古は20人くらいというが、この日は海外からカザフスタン、フランス、イギリス、カナダのメンバーが加わり30人以上の大人数となった。それでもぎりぎり練習できるくらいのスペースが確保されている。
定刻の午後7時をやや遅れてスタート。まずは「サンチン」の型から始まった。子どもも大人も、型はサンチンから始まる。呼吸に力点が置かれ、呼吸と体の動きを合わせることを目的とする剛柔流の基本型だ。
沖縄剛柔流は弟子の系統の流れから大きく3つの系統(比嘉世幸系統、八木明徳系統、宮里栄一系統)に分けられるが、八木明徳系のサンチンは最後の虎口(とらくち、一般には「回し受け」ともいう)を1回しか回さない。 続きを読む
沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第6回 沖縄空手の名門道場 明武舘(剛柔流)〈上〉
歴史ある剛柔流の常設道場
沖縄初の空手流派として知られる剛柔流の創始者・宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)の戦前からの古い弟子であった八木明徳(やぎ・めいとく 1912-2003)が開いたのが明武舘(めいぶかん、正式名称・国際明武舘剛柔流空手道連盟総本部)だ。
戦後、焼け野原から復興がスタートした那覇市久米に、71平米の木造平屋建ての道場が建設された。久米は歴史的には中国の明から派遣された「閩人(びんじん)三十六姓」(久米三十六姓)の居留地となった場所で、後の久米村をつくった。これらの人々は琉球の国づくりに貢献したことで知られる。
八木明徳の一代記『男・明徳の人生劇場』(2000年)によると、明徳は戦後、コザ警察署などに勤務したあと、那覇に戻ったのは1949年4月のことだった。法務局の登記簿によると、八木道場の土地は1953年1月、建物は1958年3月に八木明徳によって所有権保存がなされている。ふつうに考えて58年以前にも建物があったはずだが、いつ道場が開設されたか、正確に日付を特定することは難しい。戦後、長嶺道場や比嘉道場(究道館)ができたころとさほど変わらない時期と推測される。 続きを読む
書評『ブラボーわが人生4』――心のなかに師匠を抱いて
信心とは〝永遠の青春の心〟
1987年の10月。池田大作・創価学会第3代会長(当時は名誉会長)が、法華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)の話をしたことがある(第二東京支部長会)。
池田会長は日蓮の御書(遺文)に綴られた次のような説話を紹介した。
シルクロードの亀茲国に生まれた鳩摩羅什は、西域における大乗の論師として著名だった須利耶蘇摩三蔵(しゅりやそまさんぞう)から法華経を授けられる。須利耶蘇摩三蔵は、「この法華経は、東北の国に縁が深い」と羅什に語った。鳩摩羅什は、この師の言葉を持して法華経を東方の漢土へ渡した――。
羅什にとって、師・須利耶蘇摩との出会いは、その生涯を決定づけるものとなった。けれども、そこからが試練の連続だった。小国が乱立して覇を競う乱世であったがゆえに、羅什のような天下に知られた「智者」を手中にすることは、各国各地の権力者にとっても重大事だった。
羅什は捕らわれの身も同然となり、めざす長安の都まであと一歩というところまできて足止めされる。還俗を強いられた上、本来なら人生で最も仕事ができる30代後半から50代にかけて、捕囚はじつに16年間にも及んだ。
池田会長は次のように語った。
人生には運命の試練が必ずある。順調のみの人生のなかに、真の勝利は生まれないし、成功もない。逆境を、また運命の試練をどう乗り越えて、大成していくかである。(『池田大作全集』第69巻)
書評『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』――単純で複雑なその疑問の本質に迫る
読書離れはいつからはじまったのか
新進気鋭の文芸評論家が日本人の読書離れの原因を探求した、今話題の一書である。
読書が大好きで大学院では万葉集を学んでいた著者は、本を読み続けるためにはお金が必要だと思い企業に就職した。社会人1年目のせわしないを送っていたある日、全く本が読めていないことに気づく。時間がないというわけではない。スマホを眺めたり、ゲームをする時間はある。それなのに本は読めない。なぜ働くと本が読めなくなるのか。
著者自身が抱いたこの疑問を徹底的に掘り下げたのが本書である。近代日本の読書と労働の歴史をたどり、各時代のベストセラーをひも解きながら、その答えを見いだしていく。
なぜ読書離れが起こるなかで、自己啓発書は読まれたのだろうか。というか、読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描くわけだが、なぜそのような状態になるのだろうか。(本書177ページ)