参院選、大日本帝国の亡霊――戦時体制に回帰する危うさ

ライター
松田 明

「神社の国有化」掲げる政党

 共同通信社による全国電話世論調査(第2回トレンド調査)で、比例代表の投票先として参政党が8.1%となり、国民民主党(6.8%)、立憲民主党(6.6%)を上回って2位に浮上したと報じられていた。
 参政党の支持層については、6月下旬に出た古谷経衡氏による「参政党支持層の研究」が話題になっているので、ここではあえて深く触れることはしない。
※画像は「参政党」X公式ページより

 参政党の主張する「小麦粉の文化は戦後できたもの」(※実際にはウドンは平安時代から、そうめんは室町時代から日本で食されている。パン屋も明治時代から存在する)とか、「癌は戦後できた病気」(※実際には江戸時代に華岡青洲が乳がんの手術を成功させている)、多くの農家から猛反論を浴びた「生産者の大半が自身が手がける食材の危険性を訴えています」といった言説については、もはや各自の賢察にゆだねるほかない。

 こうしたエビデンスのない主張や露骨な排外主義、女性蔑視の主張を繰り返していても、同党の支持が伸びているのは、代表である神谷宗幣氏のセルフプロデュースと話術の巧みさ、よく計算された選挙戦略の賜物なのだろうと思う。
 ただし、同党が掲げる「政策」のなかには、民主主義社会の前提を根底から否定し、かつての戦時体制を復活させようとするものがあり、「蓼食う虫も好き好き」と傍観しているわけにはいかない。
 とりわけ、国民の「内心の自由」「信教の自由」「表現の自由」等を認めないとする同党の思想には、それがいかに恐ろしいことか、有権者が気づくべきである。

 たとえば参政党が公表している「政策」には、以下のようにある。

日本の精神文化の象徴である神社の国有化を進め、伝統儀式の維持保全につとめる。(国體・国柄・国家アイデンティティ)

 神社を国有化すると言っているのである。続く文言で「伝統儀式の維持保全につとめる」と書いているが、神社の国有化はそんな次元の話ではおさまらない問題なのだ。

国家神道という「人工宗教」

 多くの日本人は漠然と、「神道」は古代から連綿と続く日本独自の信仰だというイメージを持っているだろう。
 しかし、実際には古代の「カミ」信仰と今日の「神道」は、けっしてひとつながりのものではない。このことは「日本思想史」や「神道」の研究者であれば知っている基本的なことがらだ。

 詳しくは省くが、いわゆる「吉田神道」が成立するのは室町時代の後期なのである。さらに天照大神を尊崇し、神道の核心は皇統の護持にあるとする「垂加(すいか)神道」が生まれるのは江戸時代に入ってからだ。

 今日見られる天皇と神道の関係はけっして古くから連綿と受け継がれたものではない。近世のある時点で起こった変化の所産なのである。ただ近世段階では、それはあくまで言説レベルだった。それが近代に至り、長い間宮廷に続いてきた文化的伝統を、実際に塗り替えてしまったのである。(伊藤聡『神道とは何か 神と仏の日本史 増補版』中公新書)

 天皇と神道を結びつけるものは、言説としても江戸時代に入ってから生まれたものであり、まして実際の宮中祭祀などに実装されるのは、明治時代に入ってからの話なのだ。

 明治維新という民族革命に成功したあと、政府は、神社神道と皇室神道を結びつけ、学派神道の一部をもとりこんで、国家神道という人工宗教を創始した。その時期はいちおう一八八〇年代以降とみることができる。(副田義也『増補版 内務省の社会史』東京大学出版会)

 戦前の日本を覆いつくしていた「国家神道」は、〝いにしえよりの伝統〟などではなく、明治政府によって1880年(明治13年)以降に政治的に創作された「人工宗教」なのである。

 江戸時代、300近い「藩」として存在していた日本列島の住人を、新たに「国民」としての意識のもとに統合するには、そのための〝ナラティブ〟が必要だった。同時に、薩長土肥という新興勢力の政権を権威づけるために、天皇を担いで東京に移し、なおかつその天皇は「神の子孫」という神話が新たに求められたのである。

 ただ、この明治政府でさえ、さすがに「神社の国有化」まで一気に話を進めることはしなかった。
 1871年(明治4年)5月14日の太政官布告で「神社ノ義ハ国家ノ宗祀ニテ一人一家ノ私有スベキニ非ザルハ勿論ノ事ニ候」とはされていたものの、さりとて神職の処遇や立場までは明記されていない。

 日清・日露戦争に勝ち、ナショナリズムが急速に高揚してきたのち、大正時代に入ってようやく内務省は神職の地位を定めるにいたる。
 1913年(大正2年)4月の内務省訓令第9号「官国幣社以下神社神職奉務規則」第1条が、

神職ハ国家ノ礼典ニ則リ国家ノ宗祀ニ従フベキ職司

として神職を官吏と定め、神社が祭政一致体制を担う「国家の宗祀」としての地位を確立することになるのである。

戦争遂行のためのロジック

 明治政府が「国家神道」を正当化したロジックは、神道は国家の「祭祀」であって「宗教」ではないというものだった。

 この意味での神道は「宗教」ではなく「祭祀」であり、だからこそ政教分離に抵触しないという言説も構築されていく。この立場からは「神社神道は宗教ではない」ということになる。(島薗進『戦後日本と国家神道』岩波書店)

 昭和に入ると、国家権力は戦時体制を固めていくための思想統制を強めていった。
 まず1939年(昭和14年)に公布され、翌年に実施された「宗教団体法」である。これは国家による宗教団体の監督・統制を目的としたもので、教派神道(黒住教・天理教・金光教など)、仏教、キリスト教のなかの各会派・宗派は、できるかぎり合同させられた。

 もうひとつは1940年(昭和15年)に内務省に設置された神祇院である。宗教団体法の扱う宗教団体が文部省の管轄下であるのに対し、神社は〝宗教にあらず〟というロジックで別格の内務省管轄とされたのだった。

国家神道はこれによって、ほかの諸宗教の上位に位置づけられ、国体の教義を全国民に強制した。(前掲『増補版 内務省の社会史』)

 国民の大多数は、これらの宗教政策の危うさがまったく理解できていなかった。むしろ、日本人の美徳とさえ受け止めていた。
 気づいたときには、天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、国民は〝天皇の赤子(せきし)〟として兵士となり銃後の守り手となって戦争を遂行することに異議を唱えられなくなっていた。
 こうして1941年(昭和16年)には米英との開戦に踏み切るのである。

 全国民は職場や学校、各家庭に伊勢神宮の大麻(神札)を奉敬し、靖国神社や明治神宮、護国神社などに最敬礼することが強制された。従わなければ逮捕・投獄であった。
 植民地支配した朝鮮半島や満州、台湾にも神社が建設され、被支配者となった人々にも礼拝が義務づけられた。

 創価学会(当時は創価教育学会)の牧口常三郎・初代会長と、戸田城聖・理事長(のちの第2代会長)は、信教の自由を貫いて神札を拒絶したことで、不敬罪と治安維持法違反容疑で1943年7月6日に逮捕されている。
 牧口会長は信念を貫いたまま1944年11月18日に獄死した。
 関西の名門・神戸女学院の院長をつとめた森孝一博士が、バークレー神学大学院連合太平洋神学校で神学博士号を取得した際の論文は、「創価学会の創立者・牧口常三郎研究(Study of Makiguchi Tsunesaburo,The Founder of Soka Gakkai)」であった。

どんな独裁国家も及ばない国家観

 あの大日本帝国でさえ、明治維新から半世紀近くためらっていた〝神社の国有化〟が、戦後80年の節目となる2025年の今日、国政政党の「政策」としてカジュアルに掲げられていることに驚きと失望を禁じ得ない。
 しかも、戦時体制の宗教政策への回帰を「伝統儀式の維持保全」という耳当たりのいい曖昧な言葉でカモフラージュしている点も、「神道は祭祀」と同じロジックである。

 神社の国有化とは、戦後日本が守ってきた「信教の自由」「政教分離」を真っ向から否定する暴挙である。戦争遂行への総動員体制を作り上げていった大日本帝国の宗教政策を蘇らせようとするものだ。
 戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が最初に出したのは、国家神道を解体させる「神道指令」(1945年12月)だった。国家神道こそ、日本を狂気の戦争に走らせた装置だと連合国が理解していたからである。

 参政党が公表している独自の「新日本憲法」構想案では、「国民主権」が否定され「国家主権」(国は主権を有し)となっている。
 さらに現行憲法が明文化して保障している「法の下の平等」「思想・良心の自由」「信教の自由」「表現の自由」「居住・移転・職業選択の自由」「財産権」「黙秘権」「拷問、残酷な刑罰の禁止」「遡求処罰・二重処罰の禁止」なども一切削除されている。

 ふわっとした、しかし、なにやら力強く聞こえる勇ましい言葉の向こうに、地球上のどんな独裁国家も及ばないような悲惨な光景が広がっていることに、強く警鐘を鳴らしておきたい。

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まつだ・あきら●ライター。都内の編集プロダクションに勤務。2015年から、「WEB第三文明」で政治関係のコラムを不定期に執筆。著書に、『日本の政治、次への課題』(第三文明社)がある。