憲法無視の立憲民主党――国会で「信仰の告白」を迫る

ライター
松田 明

《予算委員会で質問する立憲民主党の打越さく良参議院議員》

信仰を問いただした打越議員

 その〝驚くべき質問〟は、10月19日の参議院予算委員会で飛び出した。
 立憲民主党の打越さく良議員が旧統一教会の問題で、山際大志郎経済再生担当相に対して次のように問いただしたのだ。

山際大臣はご自身の秘書には信者がいたということを否定されているんですけれども、念のため伺いますけれども、大臣ご自身はいかがなんでしょうか?(「参議院インターネット中継」10月19日予算委員会[3:33:00]から)

 山際大臣に関しては過去に何度も海外まで出かけて旧統一教会の会合に出席するなど、同会との関係が取り沙汰されている。
 しかも、そうした過去の会合出席や旧統一教会トップとの面会などが記録として発覚しても、「記憶にない」「記憶はあったが記録にない」など、きわめて不誠実な対応に終始してきた。
 今や同大臣が岸田内閣への信頼を大きく揺るがす要因の一つとなっていることは、誰の目にも明らかだろう。
 しかし、その山際大臣に対して国会審議の場で自身の信仰を告白するよう迫った打越議員の質問は、あってはならない異常なものだ。

憲法が定めた「沈黙の自由」

 日本国憲法は第19条で、

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

と「思想および良心の自由」すなわち「内心の自由」を明記している。
 これは一般的に、①特定の思想を強制されないこと、②特定の思想を理由に差別されないこと、と並んで、③個人が国家から思想の告白を強制されないこと(沈黙の自由)、を保障するものとされている。
 これはそのまま、続く第20条の「信教の自由」にもあてはまる。日本国憲法のもとでは誰であっても、①特定の信仰を強制されない、②信仰を理由に差別されない、③信仰を外部に告白することを強制されない、のである。
 400年前、キリスト教の信仰を隠し持っているかどうかを確かめるために、長崎奉行は領民に「踏み絵」をさせた。これこそが「信仰の告白」である。相手が誰であれ、まさか21世紀になって国会審議の場で、野党第一党が憲法違反の「踏み絵」を求めてくるとは想像もしなかったことだ。
 答弁に立った山際大臣は、さすがに呆れた顔で、

あのー、なかなか「信教の自由」をですね、公の場で、公人と言えどもそういうことを聞くべきかどうかということは私はわかりませんけれども、お尋ねでございますので、私は信者ではございません。(「参議院インターネット中継」10月19日予算委員会)

と応じた。

「糾弾に酔う」のが立憲民主党の癖

 打越議員は弁護士であるという。自身の信仰の告白を求める国会質問が憲法に反することを知らないはずがない。
 また、国会質問の内容は事前に党内の国会対策委で検討・共有されているものだ。つまり、この異常な質問は立憲民主党執行部が容認し指示したものだといえる。
 立憲民主党は、もし山際大臣が憲法の「内心の自由」「信教の自由」を理由に答弁を拒めば、むしろそれを利用して「大臣は信者の疑いがある」「疑惑は深まった」とでも大騒ぎする算段でいたのだろう。
 山際大臣はその誘いに乗らなかったわけだが、自身の判断として信仰について否定するにしても「あなたの質問は日本国憲法に明らかに違反している。本来なら、このような質問に返答させられる理由はない」と言い添えるべきだった。
 中央大学法科大学院教授で法曹家の野村修也氏は、この打越議員の質問について、

山際大臣を守るつもりは毛頭ないが、さすがにこの質問はどうかと思う。リベラルというのは、自由を最大限尊重する立場ではないのか。この質問は、専制主義国家と同じメンタリティの現れと言われても仕方がないレベル。「糾弾に酔う」のが立憲民主党の悪い癖だ。(10月19日の野村氏のツイート

と痛烈に批判した。

宗教法人法が設けた厳重なルール

 安倍元首相の銃撃事件を機に、旧統一教会の反社会性に注目が集まり、そのような団体と政治家との関係に批判が高まってきた。
 一方、野村氏が批判したように、一連の経過のなかで、日ごろは〝リベラル〟あるいは〝護憲〟などと自称している一部野党の〝仮面の下〟の顔も見えてきた。
 彼らは、じつは憲法の理念にも人々の自由権にもたいして関心がない。党利党略のためであれば、憲法が保障する国民の権利であっても平気でないがしろにする。
 宗教法人法では、宗教法人が適正要件を欠いている疑念が認められた場合、宗教法人に報告を求め、あるいは立ち入って質問権を行使できると定めている。そして要件違反が判明した場合、認証を取り消して解散させることができる(「宗教法人法」第80条)。
 ただし、報告や質問権の行使には、事前に宗教法人審議会に諮って、その意見を聞くよう定めている(第78条2の第1項)。また、これらの権限を「犯罪捜査のために認められたものと解釈してはならない」と定めている(第78条2の第6項)。公権力が安易に国民の信教の自由を侵害しないよう、厳重なルールを敷いているのだ。
 そもそも宗教法人法は、公権力が宗教を管理監督する法律ではない。反対に、憲法20条の「信教の自由」「政教分離」を実質的に担保するため作られた法律だからだ。

公権力に暴走を迫る〝リベラル〟

 旧統一教会の被害者救済は喫緊の課題である。だとしても、世論が過熱するなかだからこそ、憲法の精神、国民の自由権に最も配慮するのが本来の〝リベラル〟であろう。
 しかし、今や野党の側が「法」ではなく国民の感情を拠り所に、公権力に暴走を迫っている構図だ。
 質問権を行使するにしても、所定の手続きを踏む必要があるとする岸田首相に対し、17日の衆議院予算委員会では立憲民主党の山井和則・国対委員長代理が、

調査は、いつ終わるのか。私たちは、いつまで待てばいいのか。その間、どんどん被害は拡大する。人の命がかかっているので、せめて年内に調査を終わらせることを要望する(「NHK NEWSWEB」10月17日

と、〝質問権行使ありき〟で期限まで迫った。
 岸田首相は19日、前日の発言から一転して「民法上の不法行為」でも解散請求の根拠になりうると答弁した。
 旧統一教会だけを見れば、多くの国民はむしろ賛同し喝采するだろう。しかし、一度そのような前例を作れば、今後はこれに準じなければ公平性を欠く。そうなれば時の政権の判断で、民法上の不法行為があると見なされた団体は、宗教法人に限らず法人格を取り消されなければならなくなる。野村氏が言ったように、これはもはや「専制主義国家と同じメンタリティ」そのものだ。
 首相の方針を仮に世論が歓迎したとしても、本来なら慎重にするよう諫めるのが〝リベラル政党〟の役目ではないのか。こんな政党が政権の座に就けば、どんな恐ろしい社会になるのか。
 打越議員の常軌を逸した質問について、さすがに法曹家や政治学者からは「憲法違反」と批判の声が相次いでいるが、立憲民主党はもちろん日本共産党もスルーしたままである。全国紙も読売新聞と産経新聞が報じた以外は、ことの重大さが理解できていないのか意図的なのか、朝日も毎日も報道すら避けている。
 旧統一教会の被害者救済は実効性ある対策が求められる。公明党は、類似の被害を出さないよう、既存の消費者関連法の見直しだけでなく、悪質な寄付の要請を規制する新たな立法の必要性を国会で訴えた。
 一方で、旧統一教会を叩くためなら何でも許されるという社会の風潮は明らかに異常であろう。政治家とメディアの宗教に対する無知、憲法の精神に対する鈍感さに、強い危機感を覚える。

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まつだ・あきら●ライター。都内の編集プロダクションに勤務。2015年から「WEB第三文明」にコラムを不定期に執筆している。著書に『日本の政治、次への課題』(第三文明社)。