宗教と政治をめぐるデマ――田中智学が唱えた「国立戒壇」論

ライター
松田 明

古ぼけたデマを語る学者

 さる宗教学者が月刊誌で公明党について語っているのを目にした。いわく〝公明党が結党の際に掲げた「王仏冥合」とは、政治と宗教の一体化をめざすという意味〟〝言論出版妨害事件によって、公明党は国立戒壇を目的に活動できなくなった〟等々。
 中間団体としての宗教団体の果たす役割を重視する識者がいる一方で、学者を肩書きとする人物が、こうしたデマに等しい話を嬉々としてメディアで消費させている姿は残念というほかない。
 一般の人の多くはもちろん、若い公明党支持層にさえ馴染みのない話だろうと思う。それほど古ぼけた話なのだが、この際、基本的な誤りだけは指摘しておきたい。
 公明党が結党されたのは1964年。この頃、宗教界を中心に日本社会には、創価学会が外護していた日蓮正宗の「国教化」や「国立戒壇」建立をめざして政界進出したのではないかという憶測が飛び交っていた。
 創価学会は日蓮の仏法を信奉実践する教団だが、まず日蓮の遺文のどこにも「国立戒壇」という言葉は存在しない。
 戒壇とは僧侶としての正式な資格を与えるため、戒律を授ける場所のことをいう。奈良時代に東大寺、観世音寺(筑紫)、薬師寺(下野)に戒壇が設けられ、平安時代には比叡山延暦寺にも大乗戒壇が設置された。
 鎌倉時代の日蓮は当時の時代状況を踏まえた理想として、後世の弟子に独自の戒壇建立を託すような書状を送っている(真筆は存在しない)。

戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持って、有徳王・覚徳比丘のその乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣ならびに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものか。(「三大秘法稟承事」)

田中智学の宗教的ナショナリズム

 じつは「国立戒壇」なるものを提唱したのは、国柱会という日蓮宗の在家教団を創始した田中智学(1861-1939)である。日清戦争から日露戦争の狭間、ナショナリズムが沸騰していた1901年に、田中は『宗門之維新』を出版した。
 そのなかで田中は、天皇の大詔と帝国議会の議決によって日蓮の教えが国教化されるという未来予測を語っている。さらに日本をはじめ全世界の人々が法華経に帰依したときに、静岡県の三保あたりに「本門戒壇」が建立されるとし、これを「国立戒壇」と命名した。
 日蓮の時代の僧侶とは国家資格を得た「官僧」であり、その資格を授ける戒壇も国家の認定に基づいていた。先の遺文で日蓮が、新たな戒壇建立には朝廷からの「勅宣」と幕府の「御教書」が必要と記しているのはそのためだ。
 田中智学は日蓮仏法を国家主義の文脈で独自に解釈していた。そして、中世の制度をそのまま20世紀に持ち込んで、天皇の大詔と国会議決による「国立戒壇」の建立を、宗教的ナショナリズムの到達点に据えたのだった。
 この田中智学の主張は国粋主義者の軍人らにも支持され、1945年の敗戦まで広く流布していた。
 創価学会が外護していた日蓮正宗にも戦前から、田中智学の「勅宣ならびに御教書」をもって「国立戒壇」が建立されるときが広宣流布達成という思想が無批判に入り込んでいた。
 戸田第2代会長の時代に、草創期の創価学会のなかでも同様の広宣流布観が語られたことがある。なぜなら当時の日蓮正宗がそのような教義に依っていたからだ。しかし田中智学の「国立戒壇」論は、政教分離を定めた日本国憲法のもとでは成り立たないのだ。

民衆立で戒壇建立に着手

 1964年11月に第3代の池田会長が公明党を創立した際、すでに「国立戒壇」という用語は結党宣言にも党綱領にも登場していない。結党宣言には、

王仏冥合・仏法民主主義を基本理念として、日本の政界を根本的に浄化し、議会制民主主義の基礎を確立し、深く大衆に根をおろして、大衆福祉の実現を図るものである。

と述べられている。
 政界の浄化を謳う必要があったほど、当時の政界は与野党間の料亭での接待や賄賂が横行していた。王仏冥合とは仏法の中道主義・人間主義を政治の上に反映させていくことであって、〝政治と宗教の一体化〟などではない。そのことは「議会制民主主義の基礎を確立し」という一文に端的に示されている。
 ましてや、公明党の結成は「国立戒壇」建立のためなどではない。というより、それはあり得ないのだ。
 公明党結党より半年前の64年5月の創価学会本部総会で、池田会長は日蓮正宗総本山への「正本堂」建立寄進を提案している。この「正本堂」という名称は宗門の65世・日淳法主が用いたもので、生前の戸田会長とその構想を語り合っていた。
 これに対し、翌1965年2月の第1回正本堂建設委員会で、66世・日達法主から「正本堂」こそが広宣流布の暁に戒壇堂になるという見解が示された。宗門機関誌『大日蓮』(65年3月号)は、

正本堂建立が実質的に戒旦建立と同じ意義であるという、日蓮正宗の奥儀にわたる重大なお言葉があった(原文ママ)

と報じている。同年9月、「正本堂」建立の供養を集めた際、やはり宗門は、

正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成である(御供養趣意書)

と信徒に呼びかけた。
 800万人の信徒がこれに応じ、「正本堂」は民衆の供養による民衆立の戒壇として68年に着工。4年後の72年に竣工している。
 なお、のちに67世法主になった阿部日顕は創価学会の乗っ取りに失敗すると、先師・日達の事績を次々に破壊し、自分が御供養趣意書に名を連ねた正本堂さえ破壊した。

「国教にする必要は全くない」

 公明党が衆議院に進出した直後の1967年1月31日、「毎日新聞」が池田会長のインタビューを掲載した。
 公明党が第1党になった場合に日蓮正宗を国教化するのではないかという質問に、

結論からいえば、絶対に国教などしない。またする必要も全くない。公明党は大衆福祉をめざす国民大衆党であるから、何も創価学会のみを考えるものではない。したがって党を教勢拡大には絶対に使わない。

と会長は明確に答えている。
 藤原弘達による悪質な『創価学会を斬る』が出版されたのは、第32回衆院選直前の1969年11月。投票日の10日前になって、学会や公明党が出版を妨害したとして藤原が『赤旗』紙上で騒ぐ。それでも公明党が47議席へと躍進すると、70年が明けるなり共産党や民社党がこれを政局に持ち込んだ。
 マスコミは連日、創価学会批判で染まる。創価学会が公明党を使って国教化を企んでいるとか、国立戒壇の建立をめざしているといったデマが、まことしやかに喧伝された。
 この年の5月3日の本部総会で池田会長は、公明党は公党として国民全体に奉仕するものであることを確認し、党と学会を人事的にも財政的にも分離することを表明。あわせて〝国立戒壇のための政界進出〟といったデマをあらためて否定した。
 また公明党も採択した新綱領では「王仏冥合」「仏法民主主義」という言葉を使わず、党の基本理念を「人間性尊重の中道主義」とした。
 事実経過をたどればわかるように、公明党は結党の段階から「国立戒壇」などめざしていない。しかも、結党の半年前に「正本堂」建設構想が示され、結党の3カ月後には当時の日蓮正宗法主がこの「正本堂」を実質的な「本門戒壇」と定めている。
 1965年のうちに〝戒壇の建立〟として800万信徒から供養が集められた。「国立」どころか68年にはその民衆の供養で着工した。1970年は建設の真っただ中なのだ。
 同年の言論出版事件によって創価学会が「国立戒壇」を放棄したという話など、時系列から考えてもあり得ないし、公明党が〝国立戒壇を目的に活動できなくなる〟理由もない。そもそも公明党は国立戒壇を目的に活動などやりようがない。
 この単純な時系列を無視して、半世紀以上も前のデマをいつまでもアップデートできず、適当な話を吹聴する学者こそ恥ずかしい。

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