フランスのセクト対策とは(上)――創価学会をめぐる「報告書」

ライター
松田 明

「非カトリック的」なものへの侮蔑

 安倍元首相の銃撃事件に端を発し、世界平和統一家庭連合(以下、旧統一教会)をめぐる批判が再燃した。
 これに関して、フランスの「反セクト法」のような、いわゆる「カルト」を規制する法律を日本でも導入すべきだという声が、立憲民主党などからあがってる。だが、法学者のなかには慎重論が強い。
 一部メディアやネット上では、フランスのセクト対策に関して、あいかわらず正確さを欠いた言説が溢れている。人々の漠然とした不安に便乗して党派性に立ったヒステリックな声が飛び交い、デマがデマを増幅させるという状況は、決して望ましいものではない。
 そこで、フランスにおけるセクト対策の経緯と実態を、あらためて検証しておきたいと思う。

 フランスのセクト対策を知るうえでは、大前提として、歴史的にフランスがキリスト教のなかでもカトリック信仰を主流とした国であったことを抑えておく必要がある。
 フランス語の「セクト(secte)」には「主流から分派したもの」という意味がある。つまり、長く制度的正統教会の立場にあったカトリックと異なる教派や新しい信仰運動を指す。1905年にライシテ(政教分離)法が公布されたあとも、フランスの文化的マジョリティはカトリック教会だったからだ。
 したがって〝非カトリック的〟と見なされるものは、それだけで「セクト」という侮蔑的なレッテルを貼られることになった。
 学生運動などが盛んになった1960年代後半から、フランスではカトリック教会離れが顕著になった。若い世代を中心に伝統的な権威に飽き足らなくなって、社会運動や新しい宗教運動に関心を持つ人々が増えはじめたのだ。また異なる宗教的バックグラウンドを持つ国外からの移民も増えていく。

「ヴィヴィアン報告書」の実態

 こうした背景のもと、1980年代に入ってフランス政府はセクトへの警戒をはじめた。最大のきっかけは、1978年に南米ガイアナで起きた「人民寺院」集団自殺事件の衝撃だった。
 1955年に米国で誕生した、共産主義とキリスト教を折衷した教団「人民寺院」の教祖が、社会から異常性を糾弾されたあげく、集団移住したガイアナの地で信者とともに服毒自殺。多数の子どもを含む914人が死亡した。
 1983年、フランスでは社会党下院議員アラン・ヴィヴィアンが中心となって、セクトに関する第1次国会報告書が提出された(公表は1985年)。だが後述するように、この報告書はのちに世論の批判にさらされることとなる。
 ヴィヴィアン報告書は、カトリック的でないと見なしただけで、何もかも一緒くたに「セクト」として列記していた。東洋的なルーツを持つ信仰として、日本発祥のいくつかの宗派や教団とともにフランスSGI(創価学会インタナショナル)の名も挙げられている。
 しかも創価学会に関する記述は、ダニエル・レオナール・ブランという1人の脱会者の証言を、なんら事実検証することなく鵜呑みにしたものだった。
 この人物は脱会後、実在する「フランス仏教連盟」に名前を酷似させた「フランス仏教協会」なる団体を1人で立ち上げて会長を自称し、創価学会批判をおこなっている。社会に対し、あたかもフランスの仏教界全体が創価学会を非難しているかのように巧妙に偽装したのだ。
 この悪質な工作を知った「フランス仏教連盟」は、ダニエル・レオナール・ブランの〝詐称行為〟を厳しく糾弾している。
 なによりも、ヴィヴィアン報告書に記されたダニエル・レオナール・ブランの虚構は、フランス司法の場で断罪されることになる。
 1991年から95年にかけて、フランスの複数のメディアがヴィヴィアン報告書や日本の週刊誌報道を無検証に引用してフランスSGIを中傷する報道をおこなった。
 フランスSGIはそれぞれの報道について名誉棄損で提訴。じつに8件で学会側が勝訴した。裁判所は判決文でヴィヴィアン報告書について、その杜撰さと信憑性の乏しさを繰り返し指摘して、中傷記事を掲載したメディアに訂正記事や損害賠償を命じている。
 歴史学・法学・政治学の博士号を持ってパリ第1大学などで長年教鞭をとり、フランスの宗教法の権威として知られるグザヴィエ・デルソル弁護士は、聖教新聞社のインタビューに対し、ヴィヴィアン報告書の杜撰さを指摘している

 マスコミとの訴訟において、これほど多くの勝訴を勝ち取った事例は、フランスでは極めて希なことです。というのも、「表現の自由」、なかんずく、「報道の自由」を手厚く保護してきたのが、フランスの伝統だからです。(『創価新報』2022年9月21日付)

「ギヤール報告書」のリスト

 1990年代に入ると、フランスのセクト対策は新たな局面を迎えた。
 1993年2月に米国の教団ブランチ・ダビディアンが捜査当局との銃撃戦の末に81人が焼死する事件を起こす。94年10月にはフランス発祥のカルト教団「太陽寺院」が、スイスとカナダで53人の集団自殺を図った。
 さらに1995年3月には、日本のオウム真理教が東京の地下鉄にサリンを撒く未曽有のテロ事件を起こし、首謀者や実行犯として教祖や最高幹部らが逮捕される。
 こうした事件を受けて、1995年7月にフランス国民会議(下院)にセクト調査委員会が設置された。ヴィヴィアン報告書の杜撰な内容について社会からの批判が高まっていたこともあり、12月22日、同委員会はジャック・ギヤール議員による新たな報告書を提出した(96年1月公表)。これが国会への第2次報告書である。
 ただし、このギヤール報告書もきわめてお粗末な内容だった。
 同報告書はセクトの定義が困難であると認めておきながら、体裁を整えるために10項目のカルトの指標なるものを設けた。①精神的不安定化、②法外な金銭要求、③元の生活環境からの引き離し、④身体への加害、⑤子どもの加入強制、⑥反社会的な言説、⑦公序侵害、⑧裁判沙汰の多さ、⑨通常の経済流通経路からの逸脱、⑩公権力への浸透の企て、という抽象的なものだ。

この指標は裁判所で積極的に採用されているわけではないし(中略)例えば、何をもって「反社会的」とするか。フランスにおいても疑問の声があることには注意が必要ではないか。(石戸諭『ニューズウィーク日本版』9月13日号)

 そんな曖昧な指標をもとに、ギヤール報告書は173団体をブラックリストに載せたのだった。そこにはフランスSGIのほか、日本をはじめ欧米各国で高く評価されているシュタイナー教育の学校などまで挙げられていた。カトリック的でなく、フランスにとって耳慣れないものを片っ端からブラックリストに挙げたというしかない。
 シュタイナー学校はギヤール議員を名誉棄損で提訴し、議員側は敗訴している。判決文では「まともにセクト調査をおこなったと弁護することはできない」「一貫性に欠けている」と、ギヤール報告書の杜撰さを断罪している。

米国務省も批判した「ギヤール報告書」

 一方で、フランスの一部マスコミは国会報告書だからという理由だけで、あたかもこのブラックリストに権威と信憑性があるかのようにセンセーショナルな報道を続けた。それらを無節操に引用した報道は日本でも繰り返されてきている。
 宗教法に詳しい憲法学者のピエール=アンリ・プレロ氏は『フランス法における宗教と平等』(2001年)のなかでギヤール報告書を、〝セクトの定義が明白でなく、リストに挙がった団体ごとにセクトとされた基準さえ示されないまま、この報告書が独り歩きして「一種の公的な事典となった」〟と批判している。
 国際社会からも批判が集まった。米国国務省から連邦議会に毎年提出される「国際宗教的自由報告書」1999年版は、フランスのギヤール報告書について、

報告書は、リストに名を挙げられた集団に対する十分で完全な聴聞の機会もなく作成された。集団はなぜ自らがリストに入れられたかを告げられておらず、国会報告書であるがゆえにリストを修正変更する仕組みさえ存在しなかった。
そこからもたらされた宣伝は、不寛容な雰囲気および少数派宗派に対する偏見の原因になった。(1999年報告書)

と、厳しい言葉で非難している。
 いまだに日本の一部週刊誌やネット界隈で、あたかも権威があったかのように語られる1995年のギヤール報告書(第2次国会報告書)とは、実際にはこれほどいい加減なものだったのだ。

《セクト対策の経過については主に「フランスにおけるセクト対策と信教の自由:セクト対策の10年間を振り返って」小泉洋一/『甲南法学』2006年を、フランスSGIに関しては「インタビュー フランス宗教法の権威ザヴィエ・デルソル弁護士」(2022年9月21日付)を参照した。》

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フランスのセクト対策とは(下)――ヨーロッパでの創価学会の評価

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まつだ・あきら●ライター。都内の編集プロダクションに勤務。2015年から「WEB第三文明」にコラムを不定期に執筆している。著書に『日本の政治、次への課題』(第三文明社)。