『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第89回 正修止観章㊾

[3]「2. 広く解す」㊼

(9)十乗観法を明かす㊱

 ⑦通塞を識る(2)

 (3)天台家の解釈①

 前回記した六師の説に対して、すでに簡潔な批判が提示されていたが、さらに短い批判が説かれる。それについては省略する。ここでは、天台家の五百由旬の解釈について、第一に生死の場所、第二に煩悩、第三に智慧に焦点をあわせて示されている内容を紹介する。
 第一に、生死の場所に焦点をあわせる場合、三界の果報を三百由旬とし、方便有余土・実報無障礙土は五百由旬の場所とするとされる。三界の果報とは、三界内部の煩悩をすべて断ち切った阿羅漢の境地を意味すると思われる。方便有余土・実報無障礙土は、天台教学における四土(凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土)に含まれるものであり、方便有余土は、見思惑を断じたが、まだ塵沙惑・無明惑を断じていない二乗・菩薩の住む国土であるとされる。実報無障礙土は、別教の初地以上、円教の初住以上の菩薩が生身を捨てて住む国土であるとされる。
 第二に、煩悩に焦点をあわせる場合、見惑を百由旬とし、五下分結(欲界に束縛する煩悩のことで、有身見・戒禁取見・疑・欲貪・瞋恚の五結)を二百由旬とし、五上分結(色界・無色界の上二界に束縛する煩悩のことで、色貪・無色貪・掉挙・慢・無明の五結)を三百由旬とし、塵沙惑を四百由旬とし、無明惑を五百由旬とするとされる。
 第三に、観察による智慧に焦点をあわせる場合、空観の智慧は三百由旬を知り、仮観の智慧は四百由旬を知り、中観の智慧は五百由旬を知るとされる。
 『摩訶止観』では、この後、「又た、諸師の位を判ずることは遼遠(りょうおん)なり。初心の行人は、尚お未だ見を断ぜず。何に由って五百由旬を超過するや」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。以下同じ。大正86下6~7)と述べている。その趣旨は、六師の説は、高い位を中心に解釈しているが、初心の修行者はまだ見惑でさえ断ち切らないのであるから、何によって五百由旬を踏破し宝処に到達するのかというものである。要するに、初心の修行者の立場に立った解釈を要請するということであろう。
 「由旬を以て通塞を釈す」という天台家の解釈は続くが、『輔行』によれば、以下の段は、「縦(竪)横」、「一心」の二段に分かれ、前者は、さらに「横」、「竪」、「横別」の三段に分かれる。

 ①「縦(竪)横」の段の「横」、「竪」について

 「縦(竪)横」のなかの「横」の段においては、横の通塞について、通は道諦・滅諦、十二因縁の還滅門(げんめつもん)、六度(六波羅蜜)であり、塞は苦諦・集諦、十二因縁の流転門、六蔽(六波羅蜜を妨げる慳心・破戒心・瞋恚心・懈怠心・乱心・癡心の六種の悪心)であるとされる。要するに、四諦・十二因縁・六波羅蜜に関連する定義が与えられている。
 「縦(竪)横」のなかの「竪」の段においては、縦(竪)の通塞について、塞は見思惑・分段の生死、無知惑(塵沙惑)・方便の生死(変易の生死)、無明惑・因縁の生死(初地以上の実報無障礙土)などであり、通は従仮入空観、従空入仮観、中道正観であるとされる。要するに、三惑・三観に関連する定義が与えられている。
 次に、横によって竪(縦)を織り、従仮入空観、従空入仮観、中道正観それぞれの通塞を調べることについて述べられている。豎は経(たて糸)であり、横は緯(よこ糸)である。たて糸とよこ糸を織り上げて布地ができるのである。
 従仮入空に関しては、さまざまな見思惑を破り、単・複・具足・無言などの見、八十一種の思惑を破ることが説かれている。見思惑のなかの四諦を知らない以上、この事柄を知らないことを無明と名づけ、ひいては老死とする。この場合、流転門の十二因縁が成立する。このように、無明が滅しないので、ただ此岸(しがん)にだけいて、彼岸に到達しないとされる。これは六度(度は彼岸に到達する意味)を否定することにつながる。
 これに対して、もしさまざまな見を破れば、業がなく、業がなければ果がない。これを道諦と名づけ、道諦があるので滅諦もあることになる。もし四諦を知れば、無明がなく、老死も無く、還滅門の十二因縁が成立する。そうすれば、二十五有の迷いの存在を捨て、彼岸に到達することになるとされる。
 次に、見惑が即空であると体得することが示される。これは、通教の体空観についての説明である。したがって、上記の説明は。蔵教の析空観についての説明であったことになる。通教の体空観の紹介は省略するが、これによって三百由旬を通過すると述べられている。
 次に、従空入仮観の通塞を調べることについてである。病法(病を知る方法)・薬法(薬を知る方法)・授薬法(薬を授ける方法)について、一々の心法(心は対象を認識する心、法は認識の対象)、一々の主体【能】(惑を破る観)、一々の対象【所】(観によって破られる惑)について、明らかに四諦・十二因縁・六度を知る。もし心法・主体・対象の三つの塞を起こせば、これを破って通じさせ、もし心法・主体・対象の三つの通があれば、養成して成就させなさいと説かれる。これは無知惑の塞を過ぎて、四百由旬を通過することであると述べられている。
 次に、中道正観の通塞を調べることについてである。無明・法性、真修・縁修などについて、一々の心法、一々の主体【能】、一々の対象【所】について、明らかに四諦・六度・十二因縁を知る。もし心法・主体・対象の三つの塞を起こせば、これを破って通じさせ、もし心法・主体・対象の三つの通があれば、養成して成就させなさいと説かれる。これは無明惑の塞を過ぎて、五百由句を通過することであると述べられている。
 上のような通塞に対して、

若し此の如く通塞を論ずることを為さば、次第して竪に六地、初地を論ず。動(やや)もすれば劫数(こっしゅ)を経て、塞は乃ち通ずることを得……此れは聖位を論ず。何ぞ初心の行人を益する者ならんや。(同前、87上14~18)

と述べている。もしこのように通塞を論じれば、次第して縦に通教の六地、別教の初地を論じることになり、通教、別教は劫数を経過して、塞はかえって通じることができ、実相宝処に到達することができるとされる。これは聖人の位を論じているのであり、どうして初心の修行者に利益を与えるであろうかと批判している。これは、上に述べた、初心の修行者の立場に立った解釈を要請するということと同じ考えである。(この項、つづく)

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。