『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第51回 正修止観章⑪

[3]「2. 広く解す」⑨

(8)陰を観じて境に入る・境に入るを明かす

 十広の第七章、「正しく止観を修す」の段落のなかには、いわゆる十境十乗の観法が説かれている。つまり、十種の対象界に対して、それぞれ十種の観察方法によって、その対象界の真実ありのままの様相を観察することが説かれる。これによって、菩薩の初住の位に入ることができるとされる。
 まず、十境の第一である陰入界に対して、十乗の第一である観不思議境を明らかにするなかで、一念三千説が説かれる。十境とは、陰入界・煩悩・病患・業相・魔事・禅定・諸見・増上慢・二乗・菩薩の十種の対象界である。これらは真実を観察することを妨げるものとして取りあげられているのである。菩薩でさえも、仏の境界から見れば、真実を観察することを妨げるものと位置づけられている。ただし、この菩薩境は蔵教・通教・別教の三教の菩薩がそれに該当し、円教の菩薩は含まれない。
 さて、この段では、冒頭に陰入界についての基本的な説明が次のように示されている。

 第一に観陰入界境とは、五陰・十二入・十八界を謂うなり。陰とは、善法を陰蓋(おんがい)す。此れは因に就いて名を得。又た、陰は是れ積聚(しゃくじゅ)にして、生死は重沓(じゅうとう)す。此れは果に就いて名を得。入とは、渉入(しょうにゅう)なり。亦た輸門(しゅもん)に名づく。界は界別に名づけ、亦た性別(しょうべつ)に名づく。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、548頁)

 ここには、五陰の陰の意味として、因の立場から、善法を覆いかくすという意味と、果の立場から、陰は集まることであり、生死が重なりあうという意味であることを取りあげている。十二入の入の意味として、足を踏み入れるということであり、また、出入りする門という意味を取りあげている。十八界の界の意味として、他と区別された境界という意味と分有された本性という意味を取りあげている。
 さらに、上の引用に続けて、次のように述べている。

 『毘婆沙(びばしゃ)』に三科の開合を明かす。若し心に迷わば、心を開いて四陰と為し、色を一陰と為す。若し色に迷わば、色を開いて十入、及び一入の少分と為し、心を一の意入、及び法入の少分と為す。若し倶に迷わば、開いて十八界と為すなり。数人は説くらく、「五陰は同時なり。識は是れ心王にして、四陰は是れ数なり」と。有門に約して義を明かすが故に、王・数は相い扶け、同時にして而も起こる。論人は説くらく、「識は先に了別し、次に受は領納し、想は相貌を取り、行は達従を起こし、色は行に由つて感ず」と。空門に約して義を明かすが故に、次第に相生(そうしょう)す。若し能生・所生に就かば、細従り麁に至るが故に、識は前に在り。若し修行に従わば、麁従り細に至るが故に、色は前に在り。皆な数を以て王を隔つることを得ず。若し四念処を論ぜば、則ち王は中に在り。此れは言説に就いて便と為すのみ。(『摩訶止観』(Ⅱ)、548~550頁)

 ここでは、まず、『阿毘曇毘婆沙論』に、五陰と十二入と十八界の三項目の包摂関係を明らかにしていると指摘している。具体的には、巻第三十八の「復た次に色心に於いて患(うれ)うれば、為めに界を説く。所以は何ん。界の中に広く色心を説き、略して数法を説けばなり。色に於いて患うれば、為めに入を説く。所以は何ん。入の中に広く色を説き、略して心・心数の法を説けばなり。心数の法に於いて患うれば、為めに陰を説く。所以は何ん。陰の中に広く心数の法を説き、略して色心を説けばなり」 (大正28、279上23~27)を指している。色心について詳しいものが十八界であり、色について詳しいものが十二入であり、心について詳しいものが五陰であると指摘している。
 『摩訶止観』もこの点を説明している。つまり、心に迷う場合は、心を受・想・行・識の四陰に開き、色を一陰とする。色に迷う場合は、色を十入と法入の一入の一部分(無表色)に開き、心を一つの意入と法入の一部分とする。無表色とは、法処所摂色(意識のみの対象である法処に含まれる色のこと)であり、無表業であり、これは極微からなる色法ではないが、四大(地・水・火・風)によって造られる色法であるから、無表色という。この無表色を無作色とも、無教色ともいう。心と色のどちらにも迷う場合は、十八界に開くのである。
 次に、数人(アビダルマ論師)は、五陰は同時であることと、識陰は心王であり、四陰は心作用であることを説いている。これは、有門の立場から五陰の意味を明らかにするので、心王と心作用がたがいに助けあって、同時的に生起することを指摘したものである。
 次に論人(成実論師)は、識陰はあらかじめ区別して理解し、次に受陰は受容し、想陰は対象の特徴を把握し、行陰は対象に背いたり、したがう心の動きを起こしたり、色陰は行によって感受されるというように、五陰のそれぞれの特徴を指摘している。これは、空門の立場から五陰の意味を明らかにしているので、順序だって他の陰を生ずることになる。この順序に二種類がある。第一に、生ずる主体【能生】、生ずる対象【所生】の立場に立てば、微細なものから粗雑なものに至るので、識が前にあることになる。第二に、修行の立場からは、粗雑なものから微細なものに至るので、色が前にあることになる。(この項、つづく)

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。