『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第9回 発大心(3)

[4]四弘誓願

 『摩訶止観』における四弘誓願(しぐぜいがん)の名称は、「顕是(けんぜ)」の箇所に出るのではなく、十乗観法の第二「起慈悲心」(あるいは発真正菩提心)の箇所に、「衆生無辺誓願度、煩悩無数誓願断」(大正46、56上11~12)、「法門無量誓願知、無上仏道誓願成」(同前、56上29)と出る。
 天台の文献では、初期の『釈禅波羅蜜次第法門』(『次第禅門』)巻第1之上に、

 云何なるをか菩薩の発心の相と名づくるや。所謂る発菩提心なり。菩提心とは、即ち是れ菩薩は中道正観を以て、諸法実相を以て、一切を愍(あわれ)み、大悲心を起こし、四弘誓願を発す。四弘誓願とは、一に未だ度せざる者を度せしむ。亦た衆生無辺誓願度と云う。二に末だ解せざる者を解せしむ。亦た煩悩無数誓願断と云う。三に未だ安んぜざる者を安んぜしむ。亦た法門無尽誓願知と云う。四に末だ涅槃を得ざるには、涅槃を得しむ。亦た無上仏道誓願成と云う。此の四法は即ち四諦に対す。故に『瓔珞経』に云わく、「未だ苦諦(くたい)を度せざるには、苦諦を度せしむ。未だ集諦(じったい)を解せざるには、集諦を解せしむ。未だ道諦(どうたい)に安んぜざるには、道諦に安んぜしむ。未だ滅諦(めったい)を証せざるには、滅諦を証せしむ」と。而して此の四法は若し二乗の心の中に在らば、但だ諦の名を受くるのみ。其の理を縁ずること審美不謬なるを以ての故なり。若し菩薩の心の中に在らば、即ち別して弘誓の称を受く。所以は何ん。菩薩は、四法は畢竟空寂なりと知ると雖も、衆生を利益せんが為めに、善巧方便して此の四法を縁ず。其の心は広大なるが故に、名づけて弘と為す。慈悲憐愍して、此の法を志求し、心は金剛の如く、心を制すること不退不没にして、必ず成満を取る。故に誓願(せいがん)と名づく」(大正46、476中11~26)

と出る(※1)
 ここで、未だ度せざる者を度せしむ(苦諦)、末だ解せざる者を解せしむ(集諦)、未だ安んぜざる者を安んぜしむ(道諦)、末だ涅槃を得ざるには、涅槃を得しむ(滅諦)というように、四諦と四弘誓願が対応することが示されている。
 この文のなかに引用されている『菩薩瓔珞本業経』の「未だ苦諦を度せざるには、苦諦を度せしむ。未だ集諦を解せざるには、集諦を解せしむ。未だ道諦に安んぜざるには、道諦に安んぜしむ。未だ涅槃を得ざるには、涅槃を得しむ」(※2)によれば、苦諦・集諦・道諦の名称が出ているので、より理解しやすくなっている。「涅槃」は滅諦と言い換えることができる。そして、『法華経』薬草喩品第五にも、『菩薩瓔珞本業経』のようには四諦の名称は出ていないが、同じような表現が見られる(※3)ことは興味深い。

智顗と四弘誓願

 ところで、四弘誓願の具体的な名称は出ていないが、智顗(ちぎ)以前の文献にも、『仁王般若経』(鳩摩羅什訳とされているが、中国撰述説が有力)巻上に、「四弘願」(大正8、826下14~15)とある。『仁王般若経』では、内容的な説明がなく、四摂法(布施、愛語、利行、同事)、四無量心(慈・悲・喜・捨の心を無量に起こし、無量の衆生を救済すること)、三解脱門(空・無相・無作[無願]三昧)と並挙して十五心と数えている。四摂法、四無量心、三解脱門などは、よく知られた法門であるから、これらと並挙されている「四弘願」も、当時にあってはその内容は自明のことだったのかもしれない。
 また、『大涅槃経集解』巻第6の宝亮(ほうりょう、444-509)の言葉に、「昔、四弘願を発し、生死に処して一切衆生を度す」(※4)とあるのが注目されるが、四弘願の内容には言及していない。智顗の師である慧思(えし)の『諸法無諍三昧法門』巻上に、「四弘大誓願」(大正46、627下12)、「四弘誓願」(同前、629下19)と出るが、具体的な名称は出ていない。
 智顗と同時代の後輩である三論宗の吉蔵(きちぞう、549-623)の『金剛般若疏』巻第2や『仁王般若経疏』巻中3には、四諦と四弘誓願を関連付けてはいるが、宝亮、慧思と同様に、四弘誓願の具体的な名称は出ていない(※5)
 以上から推定できることは、四諦に基づく利他行を四弘誓願と呼ぶ例は智顗以前に見られるが、衆生無辺誓願度などの四弘誓願の具体的な名称を造ったのは、智顗の可能性が高いということである。

四種の四弘誓願

 さて『摩訶止観』においては、四諦説が四種に展開されたのと同様に、四弘誓願も、生滅・無生滅・無量・無作の四種の四弘誓願として解説されている。これら四種の四弘誓願は、心をどのように把捉するか、その仕方によって四種に分かれているのである。「夫れ心は孤(ひと)り生ぜず。必ず縁に託して起こる。意根は是れ因、法塵は是れ縁、所起の心は是れ所生の法なり。此の根塵(こんじん)の能所は三相に遷動(せんどう)す」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅰ)88頁)は生滅であり、「秖(た)だ根・塵相対して、一念の心起こるを観ずるに、能生・所生は即ち空ならざること無し」(『摩訶止観』(Ⅰ)90-92頁)は無生滅であり、「秖だ根・塵の一念の心起こるを観ずるに、心起こるは即ち仮なり。仮名の心を迷解の本と為し、四諦に無量の相有りと謂う」(『摩訶止観』(Ⅰ)94頁)は無量であり、「根・塵相対して一念の心起こるに、即空・即仮・即中なりとは、若しは根、若しは塵も並びに是れ法界、並びに是れ畢竟空、並びに是れ如来蔵、並びに是れ中道なり……此の一念の心は縦ならず、横ならず、不可思議なり」(『摩訶止観』(Ⅰ)98頁)は無作である。
 これを要するに、生滅は蔵教で、心を生滅するものと把捉し、無生滅は通教で、心を空と把捉し、無量は別教で、心を仮と把捉し、無作は円教で、心を即空・即仮・即中(三諦円融)と把捉するものである。

(注釈)
※1 『法界次第初門』巻下之上にも、四弘誓願について詳しく解説している(大正46、685中~686上参照)。
※2 『菩薩瓔珞本業経』巻上、賢聖学観品、「所謂四弘誓、未度苦諦令度苦諦、未解集諦令解集諦、未安道諦令安道諦、未得涅槃令得涅槃」(大正24、1013上20~22)を参照。
※3 『法華経』薬草喩品、「未度者令度、未解者令解、未安者令安、未涅槃者令得涅槃」(大正9、19中11~13)を参照。
※4 『大般涅槃経集解』巻第6、「昔発四弘願、処生死度一切眾生」(大正37、400中10)を参照。
※5 『金剛般若疏』巻第2、「菩薩之道雖復多門、統其大帰、不出願行。然願門雖多、略為四弘誓願。行門無量、略為六波羅蜜。四弘誓願者、一未度苦海、令其得度。二未脱業煩悩縛、令得脱之。三未得道諦之安、令得安之。四未得滅諦涅槃、令得涅槃」(大正33、102中28~下4)、『仁王般若経疏』巻中3、「四弘誓願者、是利他願。未度苦令度苦、未解集令解集、未得安道令得安道、未得涅槃令得涅槃」(同前、330上7~9)を参照。

(連載)『摩訶止観』入門:
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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。