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連載エッセー「本の楽園」 第100回 身体知について

作家
村上政彦

 いずれAI(人工知能)が人間を超えるという見方がある。僕は、そういう考えを見聞するようになって、身体に興味を寄せるようになった。AIは、いわば機械的な脳だ。そこに身体はない。人間は身体を持っている。これが知に影響を与えることはないのか?
 身体知についての本を何冊か読んだなかで、いちばんおもしろかったのが、『「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知学』だった。サブタイトルを見ないと、一見、ビジネス書のようにおもえる。編集者の苦心が窺えるタイトルだ。確かに、「身体知の認知学」だけでは、僕のような読者しか手に取らないだろう。
 でも、読みだしたら、ほんとにおもしろい。専門書のような難解さはかけらもない。「はじめに」で身体知について定義がある。

「身体知」とは、身体と頭(ことば)を駆使して体得する、身体に根ざした知のことです

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連載エッセー「本の楽園」 第99回 コロナが奪ったもの、与えたもの

作家
村上政彦

 親しくしている作家からコロナ見舞が届いた。巣籠り生活で、どっさり本を読んだだろうから、意見交換しないか、というものだった。さっそく、最近になって手に取った本を棚卸した。
 そのうちの1冊が、『コロナの時代の僕ら』だ。著者は、まだ若いイタリアの作家パオロ・ジョルダーノ。ある新聞に書いたコロナについてのエッセイに反響があり、日々の記録をエッセイ集としてまとめた。

僕はこの空白の時間を使って文章を書くことにした。予兆を見守り、今回のすべてを考えるための理想的な方法を見つけるために、時に執筆作業は重りとなって、僕らが地に足をつけたままでいられるよう、助けてくれるものだ。でも別の動機もある。この感染症がこちらに対して、僕ら人類の何を明らかにしつつあるのか、それを絶対に見逃したくないのだ

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連載エッセー「本の楽園」 第98回 世界を変える美しい本

作家
村上政彦

 本が売れない、本が読まれない――出版関係の仕事をしているものでなくとも、この言葉は、もう、聞き飽きた。しかし、出版界の実態を見てみると、確かに、売れない、読まれないことは事実だが、それでも本に関わる仕事をしたい、という人がいる。
 最近、「一人出版」というやり方で、出版界に参入してくる人がいる。ほんとに1人で、あるいは数人で、出版社を営む。そういうところから出版される個性的な本は、コアな読者がいて、ある程度は売れる。つまり、読まれる。
 これは本屋も同じだ。ちゃんと目利きをして、自分が売りたい本で棚をつくり、主人の個性が際立っている本屋には、やはり、コアな買い手がいて、ある程度は売れる。つまり、読まれる。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第97回 公の時代

作家
村上政彦

 アメリカの作家カート・ヴォネガットが、こう語った。

芸術に果たしてどんな効用があるのか

わたしが思いつく最も肯定的な理念は、〈坑内カナリア芸術論〉と勝手に名づけているものです。芸術家は非常に感受性が強いからこそ社会にとって有用だ、という理論です。彼らは超高感度ですから、有毒ガスが充満している坑内のカナリアよろしく、より屈強な人々が多少とも危険を察知するずっと前に気絶してしまいます

 かつて石炭を掘るとき、工夫たちは有毒ガスから身を守るためにカナリアを連れて行った、といわれる。ヴォネガットは芸術家を、そのカナリアにたとえている。この場合の芸術には、もちろん文学も含まれる。
 ヴォネガットがこの講演を行ったのは1969年。もう、半世紀も前から文学・芸術などは、役に立たないという批判があったわけだ。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第96回 ポストヒューマニズムの時代

作家
村上政彦

「人新生」(じんしんせい)とは、地質学的な時代の区分のひとつだが、まだ学問的には正式に認められていないようだ。しかし、このところよく見聞きする言葉だとおもう。ざっくりいうと、人類が地球の環境に影響を与えるようになった時期、ということになるのだろうか。
 僕はこの言葉に、何だか人間の驕りを感じて、あまり好きではなかった。まあ、提唱した人々の意図としては、人間の横暴なふるまいへの警告もあったのだろう。いや、そちらのほうに比重があったのだとおもう。しかし、それにしても――。
 かつて、人間は自然を畏れた。そこには自分たちを生かしてくれる自然への、敬いがあった。ところが、いつからか自然を征服すべき対象と見るようになって、敬いどころか、どれだけ搾り取れるかの算段しかなくなった。 続きを読む