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本の楽園 第191回 迷子になりたい人のためのガイドブック

作家
村上政彦

 迷子になった経験のない人はいるのだろうか? 僕は臆病者なので、子供のころの迷子体験が、いまも忘れられない。小学生になるかならないかのとき、近所の年上のたっちゃんと遊んでいて、夢中で走り回っているうちに、不意に見たこともない風景のなかにいた。
 帰り道がわからない。僕は不安で泣きそうになった。いや、実際に泣いた。すると、たっちゃんは、泣くな、まあちゃん(子供のころ僕はそう呼ばれていた)、俺が助けたる、とスーパーヒーローのようなポーズをして、あたりを素早く見回し、あちこちの道に踏み込んだ。
 しばらくして、こっちや! と声が聞こえて、彼が姿を見せて手招きしている。そっちへ走っていくと、馴染んだ町の風景が見えた。このときほど、たっちゃんがかっこよくおもえたことはなかった。僕は、ほっとして家に帰った。
 このあいだ、行きつけの本屋をパトロールしていたら、『迷子手帳』という本を見つけた。作者は、歌人の穂村弘。あとがきに、こうある。

……いつまでも迷子であり続ける人のための手帳です。
自分の道がしっかりわかっている人も心配しなくて大丈夫。
これ一冊あれば、貴方もきっと迷子になれる。

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本の楽園 第190回 ツユクサナツコは幸せだったのか?

作家
村上政彦

 漫画読みになったのは小学校に入るころだった。当時は漫画雑誌の創刊が相次いで、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年キング』『少年ジャンプ』『少年チャンピオン』と週刊誌だけで5誌もあった。
 僕はすべて購読していた。発売日には、学校から帰ってまっすぐに本屋へ。すると1台のトラックが店先に停まって、荷台からビニール紐で結んだ漫画雑誌の束を下ろす。馴染みの本屋のおじさんが鋏で紐を切って、1冊手に取ると、ぱんぱんと埃を払う。
「はい、村上君」
「ありがとう」
 僕は掌ににぎりしめて温かくなっている硬貨を渡して、漫画雑誌を受け取る。表紙をめくる。ぷんとインクの匂いが立つ。歩きながらページを繰ると、指先が青いインクで染まる。僕は家にたどりつくまでに、連載の一話を読み終わっている――。
 いまでもそのころのことは、よく憶えている。あんなに夢中になって漫画のなかへ入っていけたのは、名作がそろっていたからだろうか。それとも子供だったからだろうか。その後、だんだん関心が文学に移って、あまり漫画は読まなくなった。 続きを読む

本の楽園 第189回 言葉から言葉つむがず

作家
村上政彦

 びっくりした。俵万智が還暦を過ぎたという。僕からしたら、昨日まで大学生だった親戚の姪が、いきなりけっこう大人な姿で現れたようなものだ。俵万智は、いつまでも『サラダ記念日』の歌人である。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 しゃきしゃきの生野菜のような言葉の味わい。作者の印象もそうだった。その俵万智が還暦を過ぎた? 61歳? いやー、歳月の流れは速い、といかにも凡庸な物書きらしからぬことをおもった。
『アボカドの種』は、この4年ほどの作品を収めた歌集だ。読んでみると、確かに俵万智は大学生ではない。ひとり息子を大学へやり、けっこう重いらしい病気にもなり、韓流ドラマにはまっている。これは、もはや立派な大人の女性である。しかも、そう若くはない。
『サラダ記念日』は、ひたすら眩しかった。きらきらしていた。ヒカリモノだった。けれど、新作はさまざまな経験を経て、磨きこまれて鈍い艶を出している木斛のようだ。 続きを読む

本の楽園 第188回 制服なんて大嫌いだ

作家
村上政彦

 このあいだ衣替えをしていた妻が、いきなり仕事部屋のドアを開けて、いらない服はすてます、といった。ちょっと待ってよ。置いてあるんだから、全部いるでしょ。でもさ、もう5年も着てない服があるわよ。それだけ着なかったら、もう、いらないでしょ。
 5年のあいだ着ていない服は捨てる――これは妻が実行している5年ルールらしい。結婚して30年以上になるけれど、初めて知った。彼女はそうして持ち物を整理しているのだ。
 でも、5年のあいだ着ていなくても、突然に着ようとおもうことだってあるかもしれない。そんなこといってるから、どんどん服が溜まっちゃうのよ。じゃ、自分でやってね。その日から僕は捨てられない人の烙印を押された。
 確かに妻のいうことも一理はある。仕事部屋を見ても、僕は書類がなかなか捨てられない。本は増えてゆくばかり。いつか、資料として使うかもしれない、とおもうからだ。やはり僕は、捨てられない人なのか。
 そんなことを考えながら本屋をぶらぶらパトロールしていたら、『一年3セットの服で生きる』という本を見つけた。 続きを読む

本の楽園 第187回 怖ろしい一作の短篇小説

作家
村上政彦

 子供のころから本が好きで、やがて書くことを憶えて、人生のなかばをちょっとだけ過ぎたいままで、読むことと書くことを続けてきた。高校をふたつも中退して(結局、大学には進んだが)、長くバイト暮らしで、何をやっても長続きしないといわれたが、読むこと・書くことは、生きることだったから続いたのだろう。
 いまも毎月かなりの額を本代に使う。妻からは、いくらまで、と決められているが、つい、デッドラインを超えてしまうことが、しばしばある。では、買った本を全部読んでいるかというと、けっこうの分量が積読になっている。
 なかなか読めない本もあるけれど、わざとゆっくり読む本もある。僕は下戸だが、酒好きがいい酒を愉しみながら少しずつ呑むのは、こんな感じなのだろうな、とおもう。その一冊に、『橙が実るまで』(文・田尻久子/写真・川内倫子)がある。
 エッセイ本なので、どこから読んでもいい。目次からおもしろそうな一篇を選んで、じっくり読む。文章と写真がセットになっているから、写真もじっくり眺める。それで満足して、表紙を閉じる。続きは、また。
 田尻久子は、熊本にある橙書店のオーナーだ。ここからは『アルテリ』という文芸誌が出版されていて、僕は定期購読者ではないけれど、ときどき買っている。雑誌が届いて、包装を解くと、いつも手書きの礼状が添えられている。オーナーの自筆だ。丁寧な仕事である。 続きを読む