「人類の宿命転換」への勝負の時
本年(2025年)11月18日に、創価学会は創立95周年の佳節を迎える。
池田大作先生(第3代会長)は生前、2020年8月の本部幹部会に贈ったメッセージで、「創立90周年(2020年)から100周年への10年は、一人一人が『人間革命』の勝利の実証をいやまして打ち立て、いかなる『大悪』も『大善』に転じて、いよいよ人類の『宿命転換』を、断固として成し遂げていくべき勝負の時であります」と、全世界の同志に呼びかけられた。
2020年代の前半は、100年に一度という地球規模のパンデミックに始まり、国連安全保障理事会の常任理事国であるロシアによるウクライナへの侵攻、ハマスを中心とした過激派によるイスラエル奇襲に端を発する、イスラエルからのガザ地区への2年におよぶ徹底攻撃など災禍が続いた。
ウクライナ侵攻では、核兵器の使用がにわかに現実味を帯びている。
ガザ攻撃ではパレスチナ人の犠牲者が6万7千人を超えたと、ガザ保健省が発表した(2025年10月4日)。このうち約2万人は子ども、約1万人は女性である。
学会創立95周年の節目は、池田先生が示された「人類の宿命転換」をかけた10年の〝折り返し点〟となる。
先生が「いかなる『大悪』も『大善』に転じて」と叫ばれたこと。そして、その「人類の宿命転換」といっても、一切の基軸となるのは「一人一人が『人間革命』の勝利の実証」を打ち立てる点に尽きることを、あらためて肝に銘じたい。
この学会創立100周年の2030年をめざす〝後半戦〟の初陣を飾って、きたる11月23日に九州創価学会主催の「Asia Peace Festa 2025―世界平和の第九―」が開催され、ベートーヴェン作曲の「第九(交響曲第九番)」を合唱する。
会場は福岡市内にある「みずほPayPayドーム福岡」。ここには全九州各県から青年世代の代表が集うほか、アジアを代表して韓国、台湾、香港、フィリピン、インド、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアの9カ国・地域から約120人の青年も参加する。
九州創価学会では、これまでも大規模な「第九」を開催してきた。
1994年11月23日には、池田先生を迎えて福岡ドーム(現・みずほPayPayドーム福岡)で「アジア青年平和音楽祭」を開催。九州各県の5万人の青年たちが一堂に会して「第九」を歌い上げた。
21世紀の最初の年である2001年12月には、マリンメッセ福岡と九州各県の116会場、さらに東京の創価学会本部を衛星中継で結んで、10万人が参加して「第九」を合唱した。116会場の最南端は、与論島の与論池田平和会館である。
このとき池田先生は東京の学会本部で、最初から最後まで中継を見守った。
さらに2005年11月には、「アジアの第九」と銘打ち、韓国と沖縄のメンバーも参加して10万人の「第九」をふたたび実現させた。
今回の「Asia Peace Festa 2025―世界平和の第九―」は、20年ぶりの大規模な「第九」になる。
苦悩が、彼の心の宇宙を押し広げた
では、なぜ九州創価学会はこうした大規模な「第九」を重ねてきたのか。
池田先生は、青年時代からベートーヴェンを愛し、恩師の苦境を支えた独身時代も狭いアパートで「第九」のレコードを擦り切れそうになるまで聴いては、自身を鼓舞し続けた。
会長就任の翌年、1961年のヨーロッパ初訪問ではオーストリアにある楽聖の墓碑を訪ねた。1981年にはオーストリアのハイリゲンシュタットにあるベートーヴェン記念館を訪問している。
『哲学するベートーヴェン カント宇宙論から《第九》へ』(講談社)の著者でもある創価大学の伊藤貴雄教授は、「第九」が〝連帯の曲〟としてベルリンの壁が崩壊した直後の東西ドイツなどで演奏・合唱された歴史に言及。
しかし一方で、第二次世界大戦中のドイツででは、ヒトラーのナチス党もドイツ民族の〝連帯〟の意味で「第九」を演奏した史実を示して、こう語っている。
《第九》の連帯には、コスモポリタニズム(世界市民主義)とナショナリズム(国家主義)の両面で受容されてきた歴史があるのです。(『第三文明』2025年11月号)
ベートーヴェンは10代の後半に母を亡くし、父親はアルコール依存症だった。若くしてオーケストラで働きながら2人の弟の養育を支えた。
20代半ばで作曲家として名声を得たものの、今度は同時期に音楽家の生命線である聴力に問題が生じ始める。
絶望のあまり、32歳のときには自死まで考えた。このときに弟に宛てて綴っていた『ハイリゲンシュタットの遺書』は、楽聖の死後に発見されて公表されている。
ロマン・ロランの著作『ベートーヴェンの生涯』によって広く知られることになった「「Durch Leiden Freude」(苦悩を突き抜けて歓喜へ)」という言葉は、1815年にエリザベート・エルデーディ伯爵夫人に宛てた書簡に綴られたもの。
池田先生は、この言葉と楽聖の生き方を、折に触れてスピーチや随筆で紹介してきた。
彼自身、病んでから後にこそ、彼ならではの不滅の傑作群を産み出し始めたのである。
運命の力に打たれても倒されても、なお死力を尽くして彼は立った。運命のほうで音(ね)をあげた。
日なたからは日蔭は見えない。日陰からは両方が見える。苦悩が、彼の心の宇宙を押し広げた。
耳が聴こえなくなった分、彼には宇宙の音楽が聴こえるようになったのかもしれない。(『聖教新聞』2003年10月5日)
「あの音楽祭で人生が変わりました」
1990年11月16日、創価学会の第35回本部幹部会で、池田先生は「第九」に言及し、創立65周年には5万人で、創立70周年に10万人で「第九」を合唱しようと提案。「ドイツ語でもやろう」と呼びかけた。
具体的な方法や内容については検討していただくことにして、壮麗なる世界広宣流布の前奏曲として、後世に残しておきたい。(第35回本部幹部会)
じつはこの年、創価学会が外護し続けてきた日蓮正宗では、総本山大石寺の開創700年を迎えていた。
10月には記念法要が挙行され、宗門は法華講総講頭(全信徒の代表)である池田先生に感謝状と記念品を贈っている。
だが、その裏では既に夏の時点で、法主みずからが主導して高僧たちと謀議を重ね、池田先生を追放し、創価学会を解体する計画が進んでいた。
12月16日、ベートーヴェンの誕生日ともいわれるこの日、創価学会は第36回本部幹部会を開催し、合唱団がドイツ語で「第九」を歌い上げた。
同じ日、日蓮正宗は「お尋ね」と題する書面を創価学会本部に送りつけてきた。
内容は、11月の本部幹部会での池田先生のスピーチを秘かに録音したというテープを根拠に、信仰上の重大な問題があると難癖をつけてきたものだった。
そのなかには、創価学会がベートーヴェンの「第九」をドイツ語で歌っていることは「外道礼賛」であるという、信じ難い言いがかりまで記されていたのである。
もちろんシラーの原詩はキリスト教の神を讃えたものではなく、人間の自己のうちにある神々しい力を賛美したものである。
半世紀以上も宗門を外護し抜いてきた在家の誠意を一顧だにしない忘恩。人類の宝であるベートーヴェンの「第九」を歌うことに〝外道礼賛〟などという信じられない非難を浴びせる独善と無教養。
年末に不意打ちで池田先生を追放し、学会を解体して寺に従順な信徒だけを掠め取ろうと企てた謀略性。
だが、宗門の目論見はことごとく失敗に終わる。全世界の創価学会員は、もはや日蓮大聖人の精神とは大きくかけ離れた悪僧たちから解放され、〝魂の独立〟を喜び合った。
そして、この無知で非道な宗門の暴挙に対し、民衆の勝鬨(かちどき)を響かせようと、九州の青年たちが創立65周年に1年先んじて「5万人の第九」をやりたいと手を挙げたのだった。
ドーム球場での5万人の大合唱という前代未聞の挑戦は、何から何まで手探りの連続だった。練習期間はわずか3カ月。まったくの素人が各県で練習を重ね、送迎や衣装づくり、1個1個にメッセージを添えたおにぎりの準備まで、青年だけでなく何万人、何十万人という壮年や婦人たちが陰で支えた。
本番のクライマックスでは、ドーム球場の屋根が開いて日の光が射し込む演出が予定されていた。晴天はもちろん、屋根から風が吹き込まないよう、その瞬間の気圧のことまで、全九州で無事故・大成功を祈り抜いた。
指揮のタクトを振るのは、ミュージカル『ミス・サイゴン』の正指揮者を務めていた塩田明弘氏。2年前の92年12月に妻の紹介で創価学会に入会していた。
この三〇年のあいだに、多くの人々から「あの音楽祭で人生が変わりました」という声を頂戴しました。それは私自身も同じです。「五万人の第九」を経験したことで、私の音楽観はガラッと変わりました。(塩田明弘氏/『潮』2024年4月号)
31年前の「5万人の第九」は、文化を否定する聖職者の非道に対して、民衆の勝鬨をあげるものだった。会場となったドームには、師である池田先生の姿があった。
あのとき集った青年たちは、あの日を糧に、それぞれの運命の波浪を乗りこえて、今や人生の円熟期を迎えようとしている。
「平和への闘争」を弟子が受け継ぐ
今回の「第九」は、池田先生が逝去されて初めての「第九」であり、後継の新しい青年たちが「世界平和」「人類の宿命転換」への誓願を胸に、アジアの青年たちとともに歌い上げる「第九」になる。
参加する青年たちの大多数は、池田先生に会ったこともない。むしろ、仏法上の甚深の師弟の宿縁で、師の滅後の広宣流布の先陣を切るために、このときに生まれ合わせた人々なのであろうか。
九州各県の創価学会では、単に合唱の練習をするだけでなく、どうすれば核兵器の廃絶や世界平和が実現するのか、多文化の共生社会が築けるのか、師の思いに迫れるのか、真剣な議論や学習を続けている。
今回は「世界平和の第九」です。理由は2つ。1つはウクライナ侵攻やガザ危機といった戦争が今なお続いているから。もう1つは池田先生が逝去されて以降、最初の第九だからです。池田先生はそのご生涯をとおして平和のための闘争を続けられました。その思いを九州青年部が実現していく。そんな誓いを込めて「世界平和の第九」とのテーマにしたんです。(新福太郎・創価学会九州青年部長/『第三文明』2025年11月号)
インターネットが地球を覆い、膨大な情報が瞬時に世界を駆け巡っている。
しかし、人々はむしろ巨大化した世界に対して無力感を覚え、今この瞬間に命の危機に瀕している他者が同じ星の上にいることすら、想像することが難しい。
だからこそ池田先生は、どこまでも1人1人の「人間革命」の実証だけが、人類の宿命を転換し、世界を変える原動力になることを示した。
文化は、誰のものなのか、誰のためにあるのか。「人間のため」「民衆のため」という一点を忘れた文化は、いかに表面的な華やかさを誇っても、砂上の楼閣に等しい。
国と国との友好といっても、所詮、一人一人が互いをよく知ることから始まる。
どんな国家や体制でも、社会を現実に支えているのは民衆だ。その民衆同士が文化の交流を通じて、互いに理解を育んでいくならば、崩れざる平和の土壌が耕されるはずである。(『池田大作先生の指導選集(下)』)
池田先生の「3回忌」から1週間後の11月23日。31年前と同じ日、同じ会場で、九州青年部の新しい「第九」が天に轟く。
連載「広布の未来図」を考える:
第1回 AIの発達と信仰
第2回 公権力と信仰の関係
第3回 宗教を判断する尺度
第4回 宗教者の政治参加
第5回 「カルト化」の罠とは
第6回 三代会長への共感
第7回 宗教間対話の重要性
第8回 幸せになるための組織
第9回 「平和の文化」構築のために
第10回 今こそ「活字文化」の復興を
第11回 アニメ・マンガ文化
特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
第1回 逝去と創価学会の今後
第2回 世界宗教の要件を整える
第3回 民主主義に果たした役割
第4回 「言葉の力」と開かれた精神
第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
第6回 核廃絶へ世界世論の形成
第7回 「創価一貫教育」の実現
第8回 世界市民を育む美術館
第9回 音楽芸術への比類なき貢献
「池田大作」を知るための書籍・20タイトル:
20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか
三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
第3回 第1次宗門事件の謀略
第4回 法主が主導した第2次宗門事件
第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会
「政教分離」「政教一致批判」関連:
公明党と「政教分離」――〝憲法違反〟と考えている人へ
「政治と宗教」危うい言説――立憲主義とは何か
「政教分離」の正しい理解なくしては、人権社会の成熟もない(弁護士 竹内重年)
今こそ問われる 政教分離の本来のあり方(京都大学名誉教授 大石眞)
宗教への偏狭な制約は、憲法の趣旨に合致せず(政治評論家 森田実)
旧統一教会問題を考える(上)――ミスリードしてはならない
旧統一教会問題を考える(下)――党利党略に利用する人々
「フランスのセクト対策とは」:
フランスのセクト対策とは(上)――創価学会をめぐる「報告書」
フランスのセクト対策とは(中)――首相通達で廃止されたリスト
フランスのセクト対策とは(下)――ヨーロッパでの創価学会の評価
仏『ル・モンド』の月刊誌がフランスの創価学会のルポを掲載――その意義と背景





