三代会長が開いた世界宗教への道②――嵐のなかで世界への対話を開始

ライター
青山樹人

解散総選挙に合わせた出版

 1969年の暮れには、第32回衆議院選挙が予定されていた。
 8月になると、当時、保守派の論客として名を売っていた藤原弘達(ふじわら・ひろたつ)が『創価学会を斬る』と題する本を出版するという予告ポスターが大々的に出た。
 藤原の本は、大上段に構えたタイトルとは裏腹に、歪んだ憶測や風評を並べ、学会員とりわけ婦人部を侮蔑するような内容に満ちたものであった。創価学会本部に対する一片の取材もおこなわないまま、部下に口述したものを出版社にまとめさせるという安易なもの。評論家の大宅壮一は、
〈きわめてぞんざいな方法である。これではキワモノ出版といわざるを得ない。〉(『現代』70年3月号)と、痛烈に非難している。
 しかも不可解なことに、この本は設立まもない出版社から発刊されるものにもかかわらず、巨費が投じられて発売される数カ月も前から中吊り広告が出され、話題が先行するよう仕掛けられていたのである。
 ジャーナリズムとは対極にあるといわざるを得ないデタラメな手法と、売上げを見越してどこからか予算を投入した話題づくり。ベストセラーを当て込んでいたのであろう、初版部数は常識外の10万部であった。しかも出版されたのは衆議院解散直前の11月上旬である。
 事実上の選挙戦の渦中に、センセーショナルに発売された安直な書籍。政局と連動したきわめて謀略めいたものであり、藤原にとっては金儲けのタネであったことは、誰の目にも明らかであった。
 不可解な動きはさらに加速した。投票日の10日前、「公明党 言論・出版に悪質な圧力」という大見出しで、反共保守で売っていたはずの藤原が『赤旗』に登場した。
 例の出版予告が出た直後、公明党都議会議員と聖教新聞の専務理事が藤原弘達と面談し、数百万人の信仰にかかわる問題であり、出版をするならば邪推や憶測ではなく取材に基づいたものにしてほしいと要請していた。
 藤原は手回しよくこれを録音し、その内容を明かさぬまま創価学会から出版妨害の圧力がかけられた「決定的証拠」であると『赤旗』で主張した。さらに「自民党幹部から出版中止を求められた」「いやがらせや脅迫電話が殺到した」「圧力によって出版取次や広告掲載が妨害された」等と騒ぎはじめたのだった。『赤旗』は連日、大々的にこの問題を報じた。

攻撃の矛先を池田先生へ

 このような逆風にもかかわらず、学会員は健気に支援活動に邁進した。12月27日の衆議院選挙では公明党はさらに躍進を果たし、一気に47議席を獲得すると、民社党を抜き、社会党に次ぐ野党第2党に躍り出た。
 1970年が明けると、年末からの動きは政局へと持ち込まれた。
 第63特別国会が召集された同じ日、日本共産党系の学者や仏教関係者が年末に結成していた「言論・出版の自由にかんする懇談会」が集会を開き、この問題を国会で取り上げるよう要請する方針を発表した。
 それを受けるという体裁で、2月になると、国会で社会党、民社党、共産党の各党がそろって公明党への集中砲火に出た。共産党は公明党議員らの証人喚問を要求した。
 とりわけ選挙で面目を潰された民社党は、春日一幸や塚本三郎が国会に質問趣意書を提出するなどし、批判の対象を公明党から創価学会に変えて、激しい攻撃を開始した。両名とも立正佼成会など宗教団体と深いつながりがある政治家だった。
 2年前に学会批判の書籍まで出版していた塚本は、何の根拠もないまま「学会員による凶悪犯罪が多発している」などと国会で発言して、池田先生の証人喚問を要求したのである。次いで、社会党も池田先生の喚問を要求した。
 3月に入ると、春日一幸が「宗教団体の政治活動に関する質問主意書」を提出。宗教団体の政治活動が憲法の政教分離に反するのではないかと政府に問うた。
 内閣法制局長官は当然ながら、「憲法20条の政教分離は、宗教団体の政治活動を制限するものではない」と、憲法制定時からの一貫した考え方を答弁している。それにもかかわらず4月には、社会党、民社党、日本共産党が共同して池田先生の証人喚問を要求した。
 学会が政治権力を使って国教化をめざし、やがては憲法を改正して国費で戒壇堂を建設しようとしているという、悪意に満ちた荒唐無稽な話までもが、国会や世上でまことしやかに喧伝されていった。

言論出版事件の異様な構図

 公明党の伸長と背中合わせに生まれてきた一連の動きを俯瞰してみると、この事件の異様な構図が浮かび上がってくる。
 仮にも違法な言論弾圧があって証拠まであるというのなら、藤原弘達はただちに法的手段に訴えればよかったのではないのか。
 だが藤原はそれをせず、投票日直前に「言論出版妨害」と題して、なぜか共産党機関紙でセンセーショナルに告発した。反共で知られる保守論客と共産党機関紙という奇妙な組み合わせ。いったい誰がコーディネートしたのだろう。藤原の悪質な出版と、巨費が投じられたその異様な発売予告は、単なる選挙妨害に留まらず、むしろ当初から学会・公明党側の反応まで織り込んだ入念な仕掛けだったとさえ見えなくもない。
 70年は6月に日米安保条約の期限切れを控えており、前年から国会では与野党の対立が続いていた。日本の権力中枢や保守勢力もまた、結党以来の公明党の在日米軍基地についての動きや、池田先生の日中国交正常化提言に苛立ちを強めていた。
 藤原は「木村官房副長官も、言論問題を法務委員会にかける相談に乗ってくれた」と月刊誌で述べ、政府与党中枢との連携もほのめかしている。野党各党は公明党の躍進を自分たちの死活問題だと捉えていた。
 そして、総選挙で公明党が躍進すると、騒動は年明けの国会に持ち込まれ、しかも途中から創価学会と公明党の関係が「政教一致」であるという論議に変質し、池田先生に攻撃の照準が絞られていったのである。
 登場人物はいずれも、学会ないし公明党の伸展に危惧を覚えていた者ばかりだ。
 政界をはじめ、宗教界、言論界の諸勢力が、まさに〝反創価学会〟という一点で呉越同舟して連携したのだった。
 日蓮大聖人が「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時」(御書新版1286ページ 御書全集957ページ)と記したとおりの構図であった。
 かくして、悪質な言論で攻撃された被害者側であるはずの創価学会が、一転して「政教一致」などという的はずれな非難の集中砲火にさらされていった。危機感を抱いていた者たちは、なりふりかまわぬ総力戦で牙をむいてきたのである。

嵐のなかで世界との対話を開始

 学会への批判は執拗に続いた。
 この1970年9月には、東京・信濃町に最新設備を導入した7階建ての聖教新聞本社新社屋が落成する。
 すでに聖教新聞は発行部数400万部を超え、3大全国紙に次ぐ存在になっていた。荒れ狂う批判中傷の積乱雲のなかで、先生は急上昇してきた創価学会を安定した水平飛行に移し、新しい時代の扉を開こうとしていた。
 71年4月2日、初代と2代の会長の悲願であった創価大学が東京・八王子の丘陵に開学。翌72年10月には、やはり恩師から託されていた正本堂も大石寺に竣工した。恩師が遺訓とした事業をすべて実現させた池田先生は、「広布第二章」と銘打ち、新たな次元への飛翔を開始した。
 72年5月、池田先生はアーノルド・トインビー博士の招きを受け、ロンドンの博士の自宅で対談を開始した。
 大著『歴史の研究』などで知られるトインビーは、20世紀最大の歴史家であり、その独特の歴史眼は毀誉褒貶を乗り越えて世界の多くの知性に影響を与えていた。生涯で3度、日本を訪問し、大乗仏教に新たな期待を感じはじめていたトインビーは、その最後の訪日(1967年)で創価学会について強い関心をもった。
 69年、彼は池田先生に宛てて書簡を送り、対談を希望する。トインビーがすでに高齢で心臓に病をもっていたこともあり、池田先生がロンドンを訪ねることとなった。
 池田先生は、68年と70年にも、ヨーロッパ統合の父として知られるクーデンホーフ=カレルギーと計5回にわたって対談をしている。これは一般紙に連載されたのち、72年に対談集『文明 西と東』として出版された。
 池田先生は国内にあっては創価学会を安定した民衆勢力へと導き、同時に来たるべき21世紀を視野に入れて、世界との対話という道を踏み出しはじめていた。
「この法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり。この経の広宣流布することは、普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書新版1085ページ 御書全集780ページ)
 日蓮仏法を実践する創価学会が、現代の混迷する世界に何をなし得るのか。
 一閻浮提広宣流布の実現のためには、創価学会が普遍性のある世界宗教として成熟していかねばならない。そのための模索と行動を、この時期、池田先生は謙虚に大胆に、そして着実に進めていった。

仏法の叡智を人類共有の財産に

 1973年元日、学会本部での新年勤行会で池田先生は語った。
〈「広布第二章」とは、生命の尊厳や慈悲など、仏法の哲理を根底とした社会建設の時代です。
 言い換えれば、創価学会に脈打つ仏法の叡智を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます。
 そのためには、原点に立ち返って、社会を建設し、文化を創造していく源泉である、仏法という理念を、徹底して掘り下げ、再構築していかなくてはならない。〉(『新・人間革命』第17巻)
 この年、先生は1月に『私の釈尊観』を上梓。3月には『生命を語る』の第1巻を出版した。4月には、創立者として初めて創価大学の入学式に出席し、現代文明に果たす創価大学の役割などについて講演した。
 5月には、ロンドンで前年に続きトインビーと対談した。人間と文明についての万般を論じ合った両者の2年越しの対談は、計10日間、40時間に及ぶものとなった。
 その後、内容は『二十一世紀への対話』として出版され、現在までに31言語(2020年3月時点)に翻訳されて世界各国でベストセラーとなっている。
 6月には、のちに『私の仏教観』としてまとめられる連載を開始。最新の学術的知見からの仏教研究に着手した。7月には『生命を語る』第2巻を刊行。8月には『大学新報』紙上で、のちに『私の天台観』となる対談がはじまった。
 同じく8月には創価大学の夏季大学講座で「仏教と文学」と題し、2日間にわたって講演。9月には日本を代表する知性のひとりであった評論家の加藤周一と創価大学で会談。12月には来日していたソ連科学アカデミーの代表とも会見した。
 東宝とシナノ企画が共同制作した映画『人間革命』も9月に封切られ、記録的なヒットとなった。『生命を語る』『私の釈尊観』のフランス語版も、この年のうちに出版されている。
 また、池田先生出席のもとパリでヨーロッパ各国代表と「ヨーロッパ会議」を、ハワイで北南米の代表と「パン・アメリカン連盟」を結成。これに呼応して香港でも「東南アジア仏教者文化会議」が結成された。
 あわせて、各国メンバーとの連絡、指導スタッフの派遣、出版や活動の支援を図るための「国際センター」の設置も発表した。
 池田先生の提案を受け、青年部が核兵器廃絶への一千万人署名を決定したのもこの年。
仏法の叡智を社会へ世界へと開くため、池田先生は凄まじい勢いで新たな挑戦を開始したのだった。

※この記事は『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』(青山樹人著/鳳書院)から全5回にわたって抜粋し、一部加筆したものです。

三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
 第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ(4月26日公開)
 第2回 嵐のなかで世界への対話を開始(5月2日公開)
 第3回 第1次宗門事件の謀略(5月5日公開)
 第4回 法主が主導した第2次宗門事件(5月7日公開)
 第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会(5月9日公開)


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あおやま・しげと●著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書店)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書店)、『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』(2022年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。