世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第5回 ヨーロッパ社会からの信頼

ライター
青山樹人

フィレンツェ市庁舎で「追悼式」

――ジョー・バイデン大統領からアメリカSGI(創価学会インタナショナル)を通じて、池田名誉会長の逝去に対する弔慰が香峯子夫人に寄せられました

青山樹人 弔意文のなかでバイデン大統領は「池田会長は、献身的な指導者、橋を架ける人、そして行動の人として、全ての人々の平和と尊厳の追求に生涯を捧げられました」「会長が残された精神は、今後、何世代にもわたって、全世界で共鳴し続けていくことは間違いありません」と。池田先生の功績を称えています。
 すでに米国ではカマラ・ハリス副大統領からも弔意が寄せられていました。

〈弔意文で副大統領は、池田会長は生涯にわたって情熱的、献身的に社会に尽くし、SGI会長として外交に尽力し、平和を守ったと述懐。誰もが社会に良い変革をもたらせると信じた、並外れた指導者だったとたたえた。
 さらに、米国内外の仏教界に大きく貢献したと述べ、その慈愛と歓喜に満ちた精神は、会長と出会った全ての生命に対する贈り物であり、この世界にもたらした光として記憶されるだろうと強調。その精神は、SGIと、会長を知る全ての人々を通して生き続け、その偉大さは今後、何世代にもわたって伝え続けられるだろうとつづっている。〉

 11月に池田先生が逝去されたあと、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領、中国の習近平国家主席からも相次いで弔意が寄せられました。12月には、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇からも、イタリア創価学会を通じて弔意が寄せられています。

〈教皇は、創価学会会長を務め、多くの仏教徒を導く精神的なリーダーであった池田大作師(マエストロ)の逝去の報に接し、ご遺族と仏教界に哀悼の意を表したいと述べた。さらに、「池田氏がその長いご生涯において成し遂げられた善、とりわけ、平和、そして宗教間対話の促進に尽力されたことを、感謝とともに記憶にとどめております」とつづっている。〉

 池田先生の誕生日である1月2日には、マレーシア創価学会(SGM)とマレーシア国際イスラム大学の国際イスラム思想・文明研究所が共催した、池田大作先生を追悼する集いが、首都クアラルンプールにある同研究所でおこなわれました。
 マレーシア国際イスラム大学は、マレーシア政府によって設立され、イスラム協力機構と7つのイスラム教国によって共同出資された公立の総合大学です。世界120カ国以上から留学生を受け入れ、全学部の授業が英語でおこなわれている名門校です。

――宗教を越えて池田名誉会長の生涯を称えていることに、あらためて驚きました。

青山 1月20日には、イタリアのフィレンツェ市とイタリア創価学会の共催で、池田先生の追悼式が挙行されました。
 会場となったのはフィレンツェ市庁舎でもあるヴェッキオ宮殿の「五百人広間」です。ヴェッキオ宮殿は、イタリアでもっとも重要な公共空間とも称される建築です。日蓮大聖人のご入滅からまもない13世紀末から建設がはじめられ、当初はフィレンツェ共和国の政庁舎として使用されていました。ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらのパトロンとしてルネサンス芸術を大きく支えたメディチ家の居館になっていた時期もあります。
「五百人広間」は共和国時代の議場としても使われていた文字どおりの大広間で、15世紀末から造営が開始され、メディチ家のコジモ1世の命で16世紀半ばに改装されました。天井と壁にはジョルジョ・ヴァザーリと弟子たちの手によって、壮麗なフレスコ画が描かれています。
 追悼式には、トスカーナ州のエウジェニオ・ジャーニ知事、同市のダリオ・ナルデッラ市長、近隣の市長、宗教界関係者、欧州SGIとイタリア創価学会の代表ら約500人が参列し、多くの報道陣も詰めかけました。

――式典はYouTubeで全世界に向けてストリーミング配信され、動画は今も閲覧が可能ですね(Youtube「Cerimonia di commemorazione del Maestro Daisaku Ikeda」)。

青山 ダリオ・ナルデッラ市長は約30分にわたって池田先生の功績を称えるスピーチをしました。市長は、池田先生は若い世代に深い精神の啓発を与えるとともに、核兵器廃絶や環境保護、国家間の関係構築などに尽力した〝平和の建設者〟であると強調。〝歴史上の偉大な革命は、一人ひとりの心の変革から始まる〟との先生の思想に学び、人間主義の対話を広げていきたいと訴えました。
 またジャーニ知事は、池田先生の存在は行動啓発の源泉、真の価値の模範として記憶に刻まれ、世界中の人々のなかに生き続けるであろうと述べました。
 この「五百人広間」の左右の壁には、当初はダ・ヴィンチによる「アンギアーリの戦い」とミケランジェロによる「カッシナの戦い」が描かれる予定でしたが、諸事情でどちらも未完のまま終わったとされています。その後、ヴァザーリによって壁画「ピサ攻略」と「シエナ攻略」が設置されます。
 どうやらミケランジェロの壁画は彼に嫉妬する画家によって破却されたらしいのですが、ヴァザーリの壁画の下には、今もダ・ヴィンチの絵が隠されているのではないかと、世界中の美術ファンのあいだで論議が続いています。広間のなかにはミケランジェロ作の彫刻「勝利」をはじめ、往時の彫刻も並んでいます。
 追悼式では、その巨匠たちの至宝が見守るなか、登壇した来賓たちから、おそらく100回以上「ダイサク・イケダ」という名前が語られ、格調高い広間に響き渡りました。

――イタリア語はわかりませんでしたけど、そこはわかりました。創価学会という名称も、日蓮大聖人や牧口先生、戸田先生の名も語られていましたね。

青山 池田先生の平和・文化・教育への多大な貢献を称えて、フィレンツェ市からは「フィオリーノ金貨」(1992年)、「平和の印章」(2007年)、「名誉市民」称号(2017年)が授与されています。フィレンツェ市がこの3つの最高栄誉を贈っているのは、歴史上、池田先生ただ1人です。

 池田先生が初めてイタリアを訪問されたのは、会長就任の翌年、1961年10月のことです。当時、イタリアに住んでいた創価学会員は、仕事で赴任していた日本人の一家族だけでした。
 このとき先生は「ローマの 廃墟に立ちて 吾(われ)思う 妙法の国 とわにくずれじ」と詠んでいます。繁栄を誇ったローマ帝国も栄枯盛衰は逃れられなかったけれども、キリスト教は残った。どうすれば永遠に崩れることのない〝妙法の国〟を地球上に築いていけるのか。既に、池田先生のなかには世界宗教として人類を潤していく創価学会の未来への展望と思索があったのです。
 先生はその後、幾度かイタリアを訪問されましたが、14年ぶりとなった1981年の訪問は、今日のイタリア創価学会の大発展の原点となりました。この折はイタリア広布20周年を記念する友好文化総会もフィレンツェで開催されています。
 イタリアでは60年代、70年代の学生運動が失敗に終わり、若者たちの多くが空虚さを抱え、確かな哲学を求めていたといいます。必死でイタリア語を学んで、岩に爪を立てるようにして弘教した草創の人々の土台の上に、とき到り、イタリアの青年たちが大地から涌き出すように集まってきたのです。
 そういえば、サッカー界のレジェンドであるロベルト・バッジョさんが仏法に出合ったのも1987年のフィレンツェでした。靱帯を損傷して選手生命が絶たれる瀬戸際にいた彼に、創価学会の信仰を勧めたのは街のレコード屋のご主人でした。翌88年の元日、バッジョさんは入会します。

大河の流れもアルプスの一滴から

青山 1981年の訪問では、先生はミラノ・スカラ座のバディーニ総裁とも会見しました。この年の秋には、絶対に不可能と言われていたスカラ座の「引っ越し公演」が日本でおこなわれています。先生が創立した民音(民主音楽協会)が16年越しの交渉で実現させたものでした。
 11年後の1992年の訪問時には、イタリアの会員数は81年の50倍になっていました。94年には、世界最古の大学である同国のボローニャ大学の招聘を受け、「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」と題する講演をおこなっています。
 2001年には、かつてファシズムと戦ったパルチザンの名を冠する「パルチザン協会」が、牧口先生、戸田先生、池田先生の3人を称える「平和の盾」を先生に贈っています。

――そして2015年には、イタリア共和国とイタリア創価学会のあいだで「インテーサ(宗教協約)」が締結されていますね。

青山 これは14年間の厳正な審査を経て、国家として決定したものです。ご承知のようにイタリアはカトリックの国ですが、「カトリック以外の宗派と国家との関係は、双方の代表者との合意に基づき、法律により規律される」と、共和国憲法第8条3項に定められているのが「インテーサ」です。
 信教の自由の擁護を前提として、教育・研究機関の設立や独自の祝祭日の制定、税制面の優遇措置などが与えられるものです。
 イタリア創価学会は同国で12番目に「インテーサ」を締結した教団ですが、13番目となったのは2019年の英国国教会で、イギリス国王が首長をつとめる教派です。
 ちなみにイギリス国王のチャールズ3世と池田先生は、国王が皇太子だった94年にイングランド南西部グロスターシャーの私邸に招かれて会見しています。

――ネット上などでは、いまだに「創価学会はヨーロッパでカルト認定されている」などというデマを吹聴している人を見かけます。このWEB第三文明のさまざまな記事が広がったこともあり、さすがにデマであることが多くの人に知られるようになりました。もはや「カルト認定」うんぬんという話は、その人の知性や情報リテラシーの〝リトマス試験紙〟になった感がありますね。創価学会がヨーロッパでどのように見られているかは、イタリアの事例だけでも十分明らかだと思います。

青山 イタリア共和国とイタリア創価学会との「インテーサ」締結署名式は、フィレンツェにある学会のイタリア文化会館に同国のマッティオ・レンツィ首相(当時)が出向き、フィレンツェ市長らが見守るなかでおこなわれました。このイタリア文化会館は中世の歴史的建造物をイタリア創価学会のメンバーが丁寧に修復保存したものです。

――ヨーロッパの創価学会の会館や施設には、歴史的建造物を修復保存しながら活用しているものがいくつもありますね。

青山 イギリスのタプローコート総合文化センターは、チャーチルなど歴代首相やタイ国王らも滞在した同国の歴史的建造物です。ウイーンにあるオーストリア文化センターは、ハプスブルク家の最後の皇女エリザベートが住んだ由緒ある居館です。
 フランスのパリ郊外にあるシャルトレット創価仏教センターは、国王アンリ4世も滞在した16世紀からのプレ城を改修したものです。広大な庭園も併せて「ヨーロッパ文化遺産の日」には市民にも開放されています。同じくフランスのビエーブル市にあるヴィクトル・ユゴー文学記念館も、ユゴーが家族と過ごした「ロシュの館」を改修した歴史遺産です。
 ライン川のほとりに建つドイツ創価学会のヴィラ・ザクセン総合文化センターも、地元ビンゲン市の重要文化財で約200年前に建てられた貴重な歴史建造物です。創建当時の美しい姿に修復し、地元の市民にも親しまれています。
 こうした歴史遺産を修復しながら使用するのは、維持もあわせてコストや労力、使用上の制約が多大です。単純に〝コスパ〟を考えれば、新しい建物を建てるか購入するほうがはるかにいいに決まっています。
 それでも、あえてこうした歴史的遺産を活用している事例があるのは、その国の歴史と文化に敬意を払い、未来に受け継ぐ責任の一端を分かち持っていくという、池田先生の理念の現れでしょう。
 池田先生が出席したユゴー文学記念館の開館レセプションには、フランス芸術アカデミー終身事務局長のマルセル・ランドフスキー氏やアカデミー・フランセーズ会員でもある美術史家のルネ・ユイグ氏、ユゴーの玄孫にあたるピエール・ユゴー氏らの他、当時のローマクラブの会長だったリカルド・ディエス=ホフライトネル博士がスペインから駆けつけています。

――名誉会長がローマクラブ創設者のアウレリオ・ペッチェイ博士と初めて会見したのは1975年でした。72年にローマクラブが出した『成長の限界』というレポートは、このまま人口増加や環境汚染が続けば人類の成長は100年続かなくなると警告して世界的ベストセラーとなりました。

青山 ペッチェイ博士はオリベッティ社の副会長だった人で、トインビー博士が「ぜひ会ってほしい人たちです」と池田先生に対談を勧めたリストにあった人でもあります。ローマクラブはペッチェイ博士の呼びかけのもと、国家元首経験者の政治家、外交官、財界人、学識者らによって1970年に発足した世界的なシンクタンクです。
 75年5月、フランス滞在中だった池田先生を訪ねて、ペッチェイ博士がイタリアからパリ会館まで足を運ばれました。その後も、東京の聖教新聞社で、またフィレンツェでの会談の際はローマから自分で車を4時間運転してこられました。4回目は渋谷の国際友好会館。5回目となった1983年6月の最後の会談はパリでした。
 先生とペッチェイ博士の対談は『二十一世紀への警鐘』として世界各国で刊行されています。今日では気候変動や環境問題への取り組みやSDGsなどが人類の共通の認識になっていますが、先生とペッチェイ博士は半世紀近く前から、こうした人類的課題に真剣に取り組んできたのです。

――名誉会長と親交があったヨーロッパの知性といえば、アンドレ・マルロー氏も忘れてはなりませんね。1901年生まれのフランスの作家であり、第二次世界大戦中はレジスタンスの闘士として戦いました。戦後、ド・ゴール大統領のもとで情報相や文化相も務めた人物です。

青山 20世紀の西洋社会を代表する知性の1人ですね。アジアに対する造詣も非常に深く、名画モナリザの日本公開に尽力したことでも知られています。
 初会見は1974年で、来日していたマルロー氏の強い希望で実現しました。気難しい人だということで有名でしたが、先生との会見は実に3時間にも及んでいます。創価学会と池田先生に強い関心を持っていたマルロー氏は、次々に質問をしましたが、3時間でも話は尽きず、次回もお会いしましょうとなります。そこで翌75年、今度はフランスを訪問した池田先生をマルローが自宅に招いて、そこで長時間の会談をおこなったのです。
 両者の対談は『人間革命と人間の条件』(『池田大作全集』第4巻所収)として刊行されています。対談集のマルロー氏の言葉を訳したのは著名なフランス文学者の竹本忠雄氏です。
 冒頭でマルロー氏は「私が日本を訪れるのは、これで四度目ですが、今回、いちばんお会いしたいと思っていたのが、池田会長でした」と口火を切ります。この対談集に「まえがき」を寄せたのは、これも20世紀の日本を代表する知識人であり最高峰のフランス文学者であった桑原武夫氏でした。桑原氏は、

〈マルローのほうも、「今回、いちばんお会いしたいと思っていたのが、池田会長でした」と言うのは、単なるエチケットでは決してない〉
〈政治権力によって教団が骨抜きにされてしまった日本とは異なり、宗教が政治権力と拮抗しうる力をもった西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本の知識人とは比較にならぬほど強い興味をもっている〉

と綴っています。
 ヨーロッパ各国のSGIがまだまだ少数の草創期にあった時代から、池田先生は西洋社会を代表する最高峰の知性たちの関心を集め、真摯な対話を重ねてきました。89年には1635年に設立されたアカデミー・フランセーズの招きを受けフランス学士院で講演しています。ヨーロッパの知の殿堂です。
 先生はヨーロッパの最高峰の知性や要人たちと語り合い、信頼を深め、その一方で、各国で必死に生きる名もなき学会員1人ひとりを抱きかかえるようにして励ましてきました。

 今、創価学会は名実ともにヨーロッパ最大の仏教宗派として発展し、各国から深い信頼を得ています。このたびの先生の逝去に際し、フィレンツェ市が市庁舎のヴェッキオ宮殿で追悼式典をおこなったことは、ヨーロッパが「池田大作」をどのように遇しているかの一つの象徴であるかのように私には思えました。
 と同時に、今さらながら創価学会が既に「世界宗教」になっていることを強く実感しました。池田先生の思想、その人間性の記憶は、今を生きるヨーロッパの人々のなかに継承されているのです。ヨーロッパの広宣流布も、いよいよここから大きく広がっていくだろうと確信させられました。
 1981年のフィレンツェ訪問の折、池田先生は「イタリア広布20周年記念総会」のスピーチで、イタリアで一番長いポー川について次のように語っています。

〈ここイタリアの地を流れるポー川も、遠くアルプスの山中に端を発し、ベニスへといたっている。その大河の流れも、アルプスの一滴から始まっている。
 同じように、この生命のルネサンスの運動も、やがて30年後、50年後には大河の流れとなるであろうことを宣言しておきたい。〉

特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
 第1回 逝去と創価学会の今後
 第2回 世界宗教の要件を整える
 第3回 民主主義に果たした役割
 第4回 「言葉の力」と開かれた精神
 第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
 第6回

三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
 第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
 第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
 第3回 第1次宗門事件の謀略
 第4回 法主が主導した第2次宗門事件
 第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会

「フランスのセクト対策とは」:
フランスのセクト対策とは(上)――創価学会をめぐる「報告書」
フランスのセクト対策とは(中)――首相通達で廃止されたリスト
フランスのセクト対策とは(下)――ヨーロッパでの創価学会の評価

関連記事:
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あおやま・しげと●ライター。著書に『宗教はだれのものか』(2002年/鳳書院)、『新装改訂版 宗教はだれのものか』(2006年/鳳書院)、『最新版 宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』(2015年/鳳書院)、『新版 宗教はだれのものか 三代会長が開いた世界宗教への道』(2022年/鳳書院)など。WEB第三文明にコラム執筆多数。