日常の活動で「平和」を考える
――前回(第9回)では、いよいよこれからが正念場という決意で「平和の文化」を構築していくことを論じていただきました。読者からも、日常の活動のなかで一人ひとりが「平和」について考え、学び、語り合っていくことの重要性に気づいたという反響がありました。
青山樹人 この夏は創価学会でも青年部を中心に各地で「平和」や「核廃絶」に関する催しが続きましたね。
8月6日付『聖教新聞』でも開催が報じられた、「広島学講座」は、広島創価学会・青年部が取り組んできたもので、今回でなんと200回目を数えたということです。200回目の講師は、国連事務次長でもあるチリツィ・マルワラ国連大学学長でした。
創価学会の平和運動が国内外で信頼され、評価されているのは、ひとつには、このように地道に息長く継続して取り組んでいることです。「広島学講座」にしても、1980年代から地道に継続している。
ふたつめには、それらが一部の専門家ではなく、文字どおりの無名の庶民たちによって、世代を超えて営まれてきたことでしょう。
このことは、たとえばマハトマ・ガンジーやマーティン・ルーサー・キング牧師の後継者たちも、驚きをもって見ています。
※参考記事:書評『牧師が語る仏法の師』――宗教間対話の記録
日常の学会活動から〝地続き〟のかたちで、このような世界的にも稀有な平和運動が継続しているのです。民衆に支えられた、民衆による平和への取り組みです。
だからこそ、おっしゃるように意識して、再びそれを日常の現場に還元して落とし込み、日頃の活動のなかで「平和」について考えたり学んだりすることが大切かもしれません。
その際、これまで話し合ってきたように、会員であるなしに関係なく参加できるような方向性やかたちをめざしていけると、より理想的な気もします。
――むしろ、宗教の話はハードルが高くても、「平和」について考えたり学んだりするのであれば、参加してみようという人もいるのではないでしょうか。
青山 広島学講座にしても、出発はそうした〝草の根〟からでした。あるいは、「平和」といっても、いきなり安全保障や戦争について論じなくてもいいのです。
自分たちの地域のなかで、「分断」「対立」「偏見」「差別」「暴力」「抑圧」の小さな芽になっている事柄はないか。そうした足元の問題を見つめていくところから、既に「平和」への出発が始まっているのだと思います。
三代の会長は「編集者」「出版人」
――とはいえ、なかなか糸口を見つけにくいと感じる人も多いのではないでしょうか。
青山 別に宣伝で言うのではありませんが、月刊誌『第三文明』のような良質なテキストが身近にあるのですから、もっと活用したらどうでしょう。
さまざまな分野の問題について、一級の識者や専門家が考察を寄せてくださっています。
この雑誌もまた、池田先生が後継の弟子たちに残してくださった〝遺産〟というべきものですから、せめてリーダーたちは毎月、主要な記事だけでも目を通していってほしいと思います。
――ちなみに、9月1日発売の『第三文明』10月号は、「特集」が「日本政治に未来はあるか」。拓殖大学教授の河村和徳さん、日本大学教授の西田亮介さんが登場されています。
そして「第2特集」は第4回目となる「戦後80年」です。
青山 先ほど述べた第200回「広島学講座」での、マルワラ国連大学学長の講演の話、広島創価学会青年部による「ヒロシマアクションフォーラム」の記事なども掲載されていますね。
こんなに充実したテキストが用意されているのに、活用しないのはあまりにもったいない話です。
若い人たちが多忙であることは否定しません。時流が〝活字離れ〟の方向にあることも事実でしょう。
けれども、池田先生が一貫して「活字を読め」と言われ続けていたことの意味を思い出してほしいのです。一流の人は、やはり多忙ななかでも活字を読んでいます。
なんでもお手軽な動画で済まされていく時代に、あえて青年たちが活字に挑んで学び合っていくならば、それ自体が「平和創出」「文化創造」の偉大な民衆運動になっていくと私は思います。
初代会長の牧口常三郎先生、第2代会長の戸田城聖先生、第3代会長の池田大作先生。この3人には「教育者」という点のほかにも〝共通点〟があります。
それは、3人ともが「出版人」「編集者」であったということです。
――戸田先生が出版社を経営し、戦前から『小学生日本』、戦後も『冒険少年』などを出されていたことは知っています。池田先生も1949年に日本正学館に入社し、ほどなく『冒険少年』の編集長になっていますね。牧口先生もですか?
青山 今から120年前の1905年(明治38)、33歳だった牧口先生は大日本高等女学会の創立にかかわっています。
1899年に高等女学校令が公布されて女子にも教育の門戸が開かれたのですが、まだまだ女学校の数は少なく、実際に通える女性は限られていました。
そこで牧口先生が主幹となって、女性の通信教育教材誌として『家庭楽(かていのたのしみ)』が同会から発刊されたのです。
戦後、戸田先生の第2代会長就任に合わせて『聖教新聞』が創刊されると、戸田先生も池田先生も、みずからペンを執って寄稿し、編集にも携わっています。
池田先生は第3代会長に就任されてまもない時期に、月刊誌『第三文明』や『潮』を創刊されていますね。
『ベストセラー全史【現代篇】』(澤村修治/筑摩書房)という本に、戦後の毎年のベストセラートップ10が載っています。
1965年(昭和40)に『人間革命』第1巻がいきなりその年の1位に躍り出て、2000年までの35年間に、毎年のトップ10に入った池田先生の名前は25回です。
創価学会の機関誌『大白蓮華』が創刊されたのは、1949年7月。機関紙『聖教新聞』は1965年7月15日付から日刊化されています。
こうして見ていくと、創価学会の広宣流布運動というのは、一面から言えば圧倒的な「活字」の力による民衆の大言論戦だったとも言えるでしょう。
御書に「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(御書新版762ページ)とあるとおりです。
じつは若者は活字を読んでいる
単なる「情報」という点では、従来の文字コンテンツが映像コンテンツに置き換わっていく流れは加速するでしょうし、実際、動画で見たほうがよくわかるものもあります。
しかし、活字を読むことと動画を見ることでは、脳の機能する場所がまったく異なるのです。
――しかし、今の若い世代などは、もはや活字を読まないと言われていますよね。
青山 じつは、それは違うのですよ(笑)。
全国学校図書館協議会が毎年行っている「学校読書調査」によりますと、全国の小学4年生から6年生、それに中学生と高校生の1か月に読んだ本の冊数は、2023年6月の調査では▼小学生の平均は12.6冊で、10年前の2013年の10.1冊と比べると2冊余り増えていて増加傾向にあります。(「NHK首都圏NEWSWEB」2024年9月19日)
中学生は月に平均5.5冊を読んでいて、2013年前の4.1冊から1冊余り増えていています。これは1954年に調査を開始してから過去最多の数だというのです。
しかも、若者たちが本を読む傾向にあるのは、日本だけではありません。欧米ではZ世代やミレニアル世代を中心に、「リアル書店」が復活の兆しを見せているというのです。
とくにアメリカのように国土が広大な国で、それでも人々が「リアル書店」に足を運ぶようになったというのは驚くべきことでしょう。
「活字離れ」が陰謀論の温床に?
では、活字を読まないのは誰なのか。それは意外にも「大人たち」なのです。
先のNHKの記事によると、文化庁が2024年1月から3月にかけて16歳以上の6000人に調査し、3559人から回答を得たところによると、
この中で、1か月に読む電子書籍を含む本の数を尋ねたところ、1冊も「読まない」と答えた人の割合は62.6%にのぼりました。
調査方法が対面から郵送に変わったため単純な比較はできませんが、前回5年前の47.3%から15ポイント余り増えて過去最高となり、ほぼ3人に2人が本を読まない、“読書離れ”が進んでいることがわかりました。
また、本を読んでいると答えた人を含めても読書量が「減っている」と答えた割合は69.1%にのぼり、こちらも過去最高となりました。(同)
電子書籍を含めてさえも、1カ月に1冊の本も読まない人が16歳以上では6割を超えているのです。
――言われてみれば、通勤の電車内でもスマホでゲームをしている大人って意外に多い気がしますね。
青山 分別のつかない子どもならまだしも、いい大人がYouTubeなどで陰謀論にはまっていくのは、活字を読まなくなったからだという指摘もありますね。
活字を読むというのは、自分で言葉を解釈していくことの連続です。さらっと読んでも、すぐに理解できないこともあります。1回目はわからなかったけど、繰り返し読んでわかったという経験をした人も多いでしょう。
この「すぐにわからないこと」を保留して、じっくり考えていく。別の機会から答えを探っていく。これが、活字を読むうえでは避けられません。「面倒くさい」が大事なのです。
この「簡単にわからないこと」に耐える力。曖昧な状況に耐え、性急に答えを出さずに保留する力。「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼ばれるものですが、活字を読むという行為は、この力を育んでくれるのです。
この「ネガティブ・ケイパビリティ」が低下していった脳は、複雑さや曖昧さに耐えられません。すぐに白か黒かの答えが欲しくなる。
そうした状況に、「わかりやすい解説」を装って、ものごとを単純化し、安易に断定していくような言説が巧みに入り込んでくるわけです。
――たしかに、「親が陰謀論にはまって困っている」というような話も、よく聞きますね。一方で、インターネット検索があたりまえのデジタルネイティブ世代は、「どこかに〝正解〟がある」という前提でものを考えるのか、ともすれば効率よく〝正解〟を探そうとしがちです。
青山 この連載の第5回で、「正義」「勝利」といった言葉の乱発、「大感動」というようなエモーショナルな言葉の乱用に警鐘を鳴らしました。
こういったパワーワードを安易に並べていくと、何かものすごいことを語っているようで、実際には何がどうなることなのかが不明ということになりかねません。
ものごとを単純化して安易に断定していく言説と、どこかでつながっていないか、よくよく自戒したいと思うのです。
幹部が率先して「活字」を話題に
話を元に戻しましょう。自分たちの足元から「平和」を考えていくうえで、創価学会には豊かなテキストがたくさんあるよという話でしたね。
月刊誌『潮』に連載されている池田先生の軌跡を追った「民衆こそ王者」も、国内外のさまざまな人たちの証言や手記を拾い集めた、じつに貴重な歴史の証言です。
池田先生が実践してこられた「平和」への歩みといっても、大国の指導者と火花を散らすような対話もあれば、戦争で人生を狂わされた1人の老母を激励することもあります。
文化交流のために信義を尽くし、庶民の目を世界の美しいものへと開かせてきたこともそうでしょう。
ともかく、学ぶべき材料はいくらでもあるのです。1960年代の創価学会は、急速な勢いで発展していますが、この時期のことを知る先輩たちに聞くと、「本当に活字を読んだ」と異口同音に言います。
もちろん、60年代から70年代は、日本の出版文化が最高潮に勢いづいていた時代だったという背景もあるでしょう。
しかし、やはり学会員は活字に触れていた。
片方で「動画コンテンツ」が大きな力を持つ時代になっているからこそ、今ふたたび「活字」を読んでいく流れを、学会のなかに復興していきたいものだと思います。
先ほども述べたように、社会全体では若い世代は読んでいるのです。問題は「大人」です。できることなら幹部自身が、たとえば会合などで、積極的に自分が読んだ記事の話をしてもらいたい。
また、多くの人がXなどSNSを使い始めている時代ですから、読んでよかった記事の話題などを、どんどんシェアしていくといいのではないでしょうか。
三代の会長が揃って出版人であり、弟子に対して「徹して学べ」「活字を読め」と言われ続けてきた創価学会です。そのことを、ゆめゆめ忘れるべきではないと思っています。
本との出合いの場を創出する
――町の書店、いわゆるリアルの書店が減少傾向にあって、本を買うときもネット注文という人が増えていると思います。ただ、やっぱりリアルの書店だと、なんとなく眺めているなかで、想定外の本に出合えるチャンスがあります。ネットだと、関連書のおすすめは出てきますが、なかなか偶然の素敵な出合いがない気がしますね。
青山 活字離れが言われる時代ですが、他方では有料制の書店が誕生してにぎわっていたり、「ブックカフェ」や「泊まれる書店」に、わざわざ出かけていく人も増えています。
音楽が配信で聴かれる時代に、若い世代を中心にレコード人気が復活しているのと、どこか似ていますね。手帳や万年筆なども若い人にじわじわと好まれているようです。
最近では著名人などが自分の選書を置くような形式の書店もありますね。こういうものはウエブ上でも可能でしょう。聖教新聞社でも第三文明社でも、従来の書評とは別に、ウエブ上にそういう場所を設けたらどうでしょう。
交代制で、学識者や作家、アーティスト、アスリート、社会活動家、医療関係者を含めエッセンシャルワーカーとされる現場で働く人、さまざまな立場の人に「おすすめの本」を5冊ずつでも挙げてもらうのです。
もしも聖教新聞社がやるなら、創価学会の幹部にもぜひ登場してもらいたいですね(笑)。
書評を書くとなるとハードルが高い話になりますが、自分のおすすめ本を挙げるだけであれば、そういう負担もありません。
――わざわざサイトを作らなくても、たとえばInstagramでもできそうですね。
青山 やり方は、いろいろ考えられると思います。
そういうものを発信していけば、学会員であろうとなかろうと、誰もが閲覧し利用できます。それ自体が社会貢献になりますし、文化運動になります。「平和」に関する本を必ず組み込んでいけば、平和運動にもつながります。
また、『香峯子抄』などは音声で聴けるオーディオブック(『香峯子抄』オーディオブック)にもなっていますね。
多忙なだけでなく、高齢になると、どうしても字を読むことが困難になるケースも増えます。あらゆる人々にとって権利が保障されるノーマライゼーション社会を考えると、オーディオブック化の整備も今後の重要な課題かもしれません。
繰り返しになりますが、師匠の心を受け継いで、今ふたたび、創価学会のなかで「活字文化」の復興を粘り強く進めていただきたいと思います。
連載「広布の未来図」を考える:
第1回 AIの発達と信仰
第2回 公権力と信仰の関係
第3回 宗教を判断する尺度
第4回 宗教者の政治参加
第5回 「カルト化」の罠とは
第6回 三代会長への共感
第7回 宗教間対話の重要性
第8回 幸せになるための組織
第9回 「平和の文化」構築のために
第10回 今こそ「活字文化」の復興を
特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
第1回 逝去と創価学会の今後
第2回 世界宗教の要件を整える
第3回 民主主義に果たした役割
第4回 「言葉の力」と開かれた精神
第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
第6回 核廃絶へ世界世論の形成
第7回 「創価一貫教育」の実現
第8回 世界市民を育む美術館
第9回 音楽芸術への比類なき貢献
「池田大作」を知るための書籍・20タイトル:
20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか
三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
第3回 第1次宗門事件の謀略
第4回 法主が主導した第2次宗門事件
第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会
「政教分離」「政教一致批判」関連:
公明党と「政教分離」――〝憲法違反〟と考えている人へ
「政治と宗教」危うい言説――立憲主義とは何か
「政教分離」の正しい理解なくしては、人権社会の成熟もない(弁護士 竹内重年)
今こそ問われる 政教分離の本来のあり方(京都大学名誉教授 大石眞)
宗教への偏狭な制約は、憲法の趣旨に合致せず(政治評論家 森田実)
旧統一教会問題を考える(上)――ミスリードしてはならない
旧統一教会問題を考える(下)――党利党略に利用する人々
「フランスのセクト対策とは」:
フランスのセクト対策とは(上)――創価学会をめぐる「報告書」
フランスのセクト対策とは(中)――首相通達で廃止されたリスト
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仏『ル・モンド』の月刊誌がフランスの創価学会のルポを掲載――その意義と背景