沖縄男子部の取り組み
――先日公開された「創価学会の日常ちゃんねる」第6弾、おもしろかったですね。学会員ではない人気ユーチューバーの方が、ニューヨークまで出かけて、SGI-USAを1日体験するという企画です(「【初公開】アメリカの創価学会に潜入したら、巨大すぎて言葉を失った…」7月23日/創価学会の日常ちゃんねる)。
青山樹人 多民族国家であるアメリカのなかでも、ニューヨークはとくに「世界の縮図」のような都市です。創価学会のメンバーも多様なバックグラウンドがあり、なにより明るくてオープンマインドな、他者に開かれた雰囲気が伝わってきましたね。
ハーレムのアポロ地区の男子部リーダーも途中で登場していましたが、4年前から題目を唱え始めて、昨年、正式に御本尊を受持(じゅじ)して入会したと話していましたね。
アメリカに限らず、海外の場合、未入会だけどメンバーと一緒に唱題や学会活動などをしばらく実践して、それなりに信心が固まってから入会するというケースは少なくないようです。
未入会のまま、信仰や学会活動の実践を何年もやって、本人が御本尊を受持したいと願い、組織も了承して「入会」となるのです。
――そういえば、少し前の聖教新聞に、沖縄男子部の新しい取り組みが紹介されていて、ずいぶん反響もあったそうです(5月22日付3面「男子部のページ」)。
沖縄男子部では2021年の冬にリーダーたちが討議を重ね、会員・非会員の垣根を取り払って、入会していない友人たちも巻き込みながら活動を始めたそうです。
そのことで、むしろ学会活動に「外部」の目線が入ってアップデートされたという、リーダーの率直な声も紹介されていました。
青山 私も読みました。「折伏のあり方」の見直しから始めたそうですね。
従来、どうしても〝入会〟がゴールのような感覚になっていた。しかし、一番大事なことは〝一緒に祈って幸せになること〟だという原点に立ち返った。
友人から悩みを相談された場合も、あえて「今、入会しなくていいから、まず祈ってみよう」と応じるようにしたというんですね。
さらに2024年3月に開催された「OKINAWA未来祭」でも、ダンスや合唱、オーケストラ、エイサーなどの演目に、会員・非会員や世代、性別を分けることなく、誰もが好きな演目を選んで参加できるようにした。
結果として、初めて学会のイベントに参加するメンバーや、非会員の友人たちが多く出演することになったそうです。
聖教新聞のルポは、次のような沖縄総県・我如古男子部長の言葉で締めくくられていました。
沖縄の男子部ではもう、「外部」という言葉を使わないようになっています。学会活動においても〝内部〟〝外部〟なんて関係なく、皆が皆の幸せを祈り、より良い沖縄をつくっていければいい。それが私たちが目指す新しい広宣流布の姿です
友情の拡大は〝手段〟ではない
――先ほどのニューヨークの動画でも、勤行会で挨拶に立ったタリク・ハサン主任副理事長が、「その人(友人)が入会するかどうかは関係ありません。大切なのは友情を築くことだと思います」と語る場面がありました。
青山 池田先生が何度も紹介してくださった、仏典のエピソードを思い出します。
あるとき、弟子のアナンが釈尊に尋ねます。「私どもが善き友を持ち、善き友と一緒に人生を歩むことは、既に仏道の半ばを成就したに等しいと思います。この考えは正しいでしょうか」と。
これに対して釈尊が答えます。「アナンよ、その考えは正しくない。善き友を持ち、善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく仏道のすべてなのだ」。
この「善き友」というのは、究極は仏道修行に導いてくれる友のことですが、より善い人生のために互いに尊敬し、励まし合っていく友情ともいえるでしょう。
あらゆる生命は、他者との多様で複雑な関係性のなかで生きているものです。だからこそ真に「豊かな人生」「幸福な人生」とは、〝善き友〟を持ち、また自分も誰かにとっての〝善き友〟になり得ていくことだと、仏法は考えるのです。
その「豊かな人生」「幸福な人生」のための信仰です。
目の前の1人を大切にし、友情を結んでいくことは、けっして相手を信心させるための〝手段〟などではありません。ここを勘違いしてはならないと思います。
どこまでも、互いに励まし合い、信頼し、尊敬し合える友情を築いていくこと。同じ人間として、胸襟を開いた対話をしていくこと。そのこと自体が尊いのです。
法華経に説かれる「不軽菩薩」は、万人の仏性を礼拝する人として描かれています。しかし、単に相手を礼拝したという話ではありません。
結果として、当初は不軽菩薩を軽蔑し、迫害していた人たちでさえ、最終的には不軽菩薩に信伏随従することになります。つまり、関係性が変わっていくのです。
――観念的な話でも、偽善的な行為でもなく、むしろ徹底した実践論なのですね。
組織に所属することへの抵抗感
青山 日蓮大聖人は『崇峻天皇御書』に、「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書新版1174頁)と示されています。
不軽菩薩の実践こそが「法華経の修行の肝心」だと言われているのです。
そういう意味では、先ほどの海外の事例や沖縄男子部の取り組みこそ、本来の仏法のあり方を体現したものかもしれませんね。
日本は2008年をピークに「人口減少社会」に転じています。地方では各地で過疎化が深刻な問題になっています。進学先や就職先を求めて、若者の流出も止まらない。
一方の大都市圏でも、少子高齢化は同じく深刻です。若者も高齢者も、地域コミュニティとの接点の乏しい単身世帯が、すさまじい勢いで増えています。
ご承知のように、飲食、介護、建設といった業種では人手不足が深刻で、外国人労働者なしでは社会が回らなくなっています。
沖縄男子部のように、「内部」「外部」という発想を捨てて、広々とした心で友情を広げていくこと。
そのなかで、垣根を作らずに活動をし、「今は入会しなくていいから、まず一緒に祈ってみよう」と実践していくことは、とても有意義な取り組みだと思います。
――学会員の私たちが思っている何倍も、世間一般の人たちには、宗教への警戒心というか、ハードルの高さがあるのだと思います。とくに、若い人たちには、何か特定の組織に〝所属する〟ことへの抵抗感があります。
青山 よくわかります。だから、「入会」ありきで仏法を語っても、相手はその瞬間から心を閉ざしかねません。こちらは真心で語っているつもりなのに、相手が拒否する前提で聞いているのであれば、実りある対話も成り立ちません。
青山氏自身の経験から
青山 じつは、私もかつて仕事関係で知り合った若い友人がいました。ある日、わが家に遊びに来ることがあって、私が創価学会員だと相手は気づいたのです。
両親が学会に批判的で、子どもの頃から「学会の人とは付き合ってはいけない」と厳しく言われていたそうなのです(笑)。
私とは仕事上の関係があるので、彼としては余計に困惑したと思います。そこで私は約束しました。「私と君との関係性のなかで、私が入会を勧めたら、あなたは困ると思う。だから、絶対に私から入会を勧めないと約束する。そのかわり、もし嫌じゃなければ、入会しなくていいから、毎月の座談会や本部幹部会に一緒に参加して、自分の目で創価学会を見てもらいたい」と。
彼は安心した様子で、実際に座談会や本部幹部会の放映に参加するようになりました。
秋には自分から希望して私と一緒に創価大学の創大祭にもでかけて、そこで出会った同世代の創大生とも個人的に仲良くなりました。
今度は、そこから同い年の創大生たちとの友情が芽生えていったのです。
彼は専門学校卒で当時21歳だったのですが、結論から言うと、自分で創価大学への入学を決意し、両親を説得して猛勉強を始めます。
そして見事に22歳で創価大学に合格。その努力の途上で、信仰の必要性を感じたらしく、創大生の友人に紹介者になってもらって、自ら学会にも入会しています。
その後、創大の「ダブル・ディグリー」制度で海外留学も果たし、海外の大学と創価大学の両方の学位を取得して卒業しました。
今ではバイリンガルとしての能力を仕事でも生かしています。
息子が成長していく姿に、ご両親も少しずつ創価学会への認識をあらためていったようです。もはや信仰に反対することもなくなり、実家に帰省した際も、彼は堂々と勤行唱題しているそうです。
――やはり、最初の「入会しなくていい」からドラマが始まったわけですね。
青山 安心して学会の会合に参加できたことで、彼は学会の素晴らしさを折々に実感していたようです。
「自殺率が低い町」の秘密
青山 ともあれ、これからの創価学会のありかたを考えるうえで、沖縄男子部の取り組みは大きなヒントになりますね。大事なことは「入会」する人の数ではなく、喜んで「一緒に活動する」人の数ではないでしょうか。
若者だけでなく、むしろ高齢者の単身世帯が増加している社会にあって、人々も地域との緩やかなつながりを求めています。
10年前の2015年に、私はこのWEB第三文明に「徳島県・旧海部町に学ぶ地域コミュニティの知恵」というコラムを書きました。
全国でも顕著に〝自殺率〟の低いコミュニティとして知られる、現在の徳島県海陽町(かいようちょう)の話です。
海陽町は、太平洋に面した人口7500人ほどの小さな町です。
研究者が調べたところ、この地域の特徴は、コミュニティ内の多様性を好むことでした。他人の自由も積極的に支持するかわりに、自分の判断にも他人と足並みを揃えることをしない。
同調圧力がきわめて低く、人間を信頼するスタンスがあり、ローカルな土地にもかかわらずよそ者に対する排他性も低い。
その結果、年配者が威張るということがない。年少者の自主性を促し、失敗しても再起のチャンスを与えようとする。
なによりも、住民同士のつながりが「積極的」ではあるけれども「粘着的」ではないのです。他人に関心は持つけれども、多様性を重視する気風があるので、息苦しい監視社会にならない。
そして、何か問題が生じると積極的に誰かに相談するし、誰かに問題が生じたと知ると条件反射のように訪問してあげる。
――まるで理想的な創価学会のコミュニティのようですね。
青山 そうなんです。よくある〝田舎〟の悪い面のように、年功序列で年長者が年少者に支配的に振舞ったり、互いの生き方に干渉したりすることがないのです。
けれども、何かあったら飛んで行ってあげる。面倒見がいい。
同調圧力が低く、若い人が年長者に対して安心して何でも話せることは、理想のコミュニティの必須条件です。
誰もがフラットに扱われる組織に
青山 もともと創価学会は、社会的地位や学歴など世間の肩書が一切関係のないコミュニティとして、誰もがフラットに付き合える関係性を築いてきました。
これからの時代は、さらに一歩進めて、男女のジェンダーや、年齢などについても、より意識的に「フラット」なまなざしを持っていくべきだと思います。
とくに男性の場合、若い人に対して、よかれと思ってか〝タメ口〟で話しかける人がいますが、無意識のうちに年功序列のバイアスがかかっていないか、よくよく考えてほしいと思います。
個人的に親密な関係ができたうえでなら別ですが、相手が若いというだけで、礼を欠いたもの言いをするのは、今の時代では恥ずかしいことです。
一方で、座談会などで未来部や青年部世代が参加した場合に、「青年なんだから」と過度に期待感を寄せて扱われることに、逆に戸惑いや心理的な負担を感じるという声もあります。
無意識のうちに、これまであたりまえにやってきたことも、見直していくべきでしょう。
いい意味で、すべての人がフラットに扱われることが、居心地のいい組織を作るうえで大切な気がしています。
――入会している人も、入会していない人も、また年齢やジェンダーの差異にもとらわれない、いい意味でのフラットさは、たしかに大事ですね。それこそが、「多様性を好む」ことにも通じていくわけです。
青山 私の知っているブロックの座談会の風景が、10年程前のあるとき「聖教新聞」に掲載されました。皆が、楽しそうに笑っている光景でしたが、そのなかには日蓮系の他教団の信者の婦人も写っていました。
家族でその宗教を信仰しているので、学会に入会することはできないとおっしゃりながら、でも自分の教団の会合はつまらなくて、学会の会合が楽しくて仕方がないと言うのです。
もうご高齢でしたが、日常の女性部の小さな会合も楽しみにされていて、もちろん任用試験も受験して合格されていました。
日蓮系の教団の人なので、学会の勤行・唱題も抵抗なく一緒に実践されていました。
驚いたのは、「聖教新聞」に自分も一緒に載ったことが嬉しくて、「これで自分も池田先生にお目にかかれた気がする」とおっしゃったのです。
――きっと池田先生が新聞をご覧になったと思われたのですね。
青山 そうなんです。前回のこの連載で、御本尊の相貌を通して広宣流布の理想社会の姿を考察しました。それは、これからの創価学会の姿にも通じていくような気がします。
つまり、入会している人もしていない人も、学会員も他宗教の人も、区別なく異体同心で和合僧に連なり、皆が信心の功力と喜びを実感し、池田先生を尊敬していく姿です。
入会しなければ勤行・唱題ができないわけでもありません。そのうえで、諸事情が許し、また本人が自分で御本尊を受持したい、正式に創価学会員として生きていきたいと願われれば、そこで入会を検討すればいいと思うのです。
沖縄男子部の取り組みの記事のなかにも「どうしても〝入会〟が折伏のゴールのような感覚が皆にあった。でも日蓮大聖人の時代には、入会希望カードも入会誓約書もない」という彼らの思いが紹介されていました。
大事なことは、縁する誰もが幸せになっていくことです。それぞれの地域でも、これまでの〝あたりまえ〟を見直していくことは必要な気がします。
新しい変化は周縁部から
――多くの識者が、「国」と「個人」のあいだの「中間団体」としての創価学会の役割の重要さを、異口同音に語っています。
青山 たしかに、何らかの組織に所属することに抵抗の強い時代であることは事実です。一方で、人々が完全に個々人として分解されてしまうと、「無縁社会」のリスクだけが増大します。
そうした人々を言葉巧みに操って動員し、利用しようとするポピュリズムも、世界各地で広がっています。
創価学会では、日本全国の津々浦々にまで〝励まし〟のネットワークが広がっています。互いに研鑽し合い、皆が何か利益を求めるわけでもなく、地域のため人々のために貢献しようとしている。
1人では何もできないという無力感が覆っている時代にあって、無名の庶民の連帯で社会を変えてきたのが創価学会です。
しかも、今やこの連帯が世界中に広がっているのです。
こんな団体は日本どころか世界にもありません。そこに、多様なかたちで連なることができる人が増えれば、それだけで社会における「人間の安全保障」になります。
新しい変化は、多くの場合、「中央」よりも遠く離れた「周縁部」、大都市圏よりもローカルな地域、より小さな単位のコミュニティから生まれて広がっていくものです。
もちろん、地域の実情を考慮することは不可欠ですが、同時に〝めざすべき理想像〟を見据えておくことが重要でしょう。
創立100周年に向かって、新しい創価学会のかたちを皆で議論し、考えていってほしいと思います。
連載「広布の未来図」を考える:
第1回 AIの発達と信仰
第2回 公権力と信仰の関係
第3回 宗教を判断する尺度
第4回 宗教者の政治参加
第5回 「カルト化」の罠とは
第6回 三代会長への共感
第7回 宗教間対話の重要性
第8回 幸せになるための組織
特集 世界はなぜ「池田大作」を評価するのか:
第1回 逝去と創価学会の今後
第2回 世界宗教の要件を整える
第3回 民主主義に果たした役割
第4回 「言葉の力」と開かれた精神
第5回 ヨーロッパ社会からの信頼
第6回 核廃絶へ世界世論の形成
第7回 「創価一貫教育」の実現
第8回 世界市民を育む美術館
第9回 音楽芸術への比類なき貢献
「池田大作」を知るための書籍・20タイトル:
20タイトル(上) まずは会長自身の著作から
20タイトル(下) 対談集・評伝・そのほか
三代会長が開いた世界宗教への道(全5回):
第1回 日蓮仏法の精神を受け継ぐ
第2回 嵐のなかで世界への対話を開始
第3回 第1次宗門事件の謀略
第4回 法主が主導した第2次宗門事件
第5回 世界宗教へと飛翔する創価学会
「政教分離」「政教一致批判」関連:
公明党と「政教分離」――〝憲法違反〟と考えている人へ
「政治と宗教」危うい言説――立憲主義とは何か
「政教分離」の正しい理解なくしては、人権社会の成熟もない(弁護士 竹内重年)
今こそ問われる 政教分離の本来のあり方(京都大学名誉教授 大石眞)
宗教への偏狭な制約は、憲法の趣旨に合致せず(政治評論家 森田実)
旧統一教会問題を考える(上)――ミスリードしてはならない
旧統一教会問題を考える(下)――党利党略に利用する人々
「フランスのセクト対策とは」:
フランスのセクト対策とは(上)――創価学会をめぐる「報告書」
フランスのセクト対策とは(中)――首相通達で廃止されたリスト
フランスのセクト対策とは(下)――ヨーロッパでの創価学会の評価
仏『ル・モンド』の月刊誌がフランスの創価学会のルポを掲載――その意義と背景