自らのルーツをたどる旅
9月15日まで、東京・新宿で山田淳子写真展「わたしの祖父母たち 北方領土・元島民の肖像」が開催されている。この写真展は、北方領土で暮らした人びとの歴史を後世に遺そうと、元島民100人の姿を写真に収め写真集として発刊し、さらに写真展として開催したものだ。
北方領土とは、北海道の東方に位置する歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の総称である。1945年、日本がポツダム宣言受諾以降、スターリン率いるソ連が一方的に編入した。当時、この地域には約17000人の日本人が居住していたが、1947年から1949年にかけてソ連により強制的に退去させられている。
1991年4月、ソ連の民主化を進めたゴルバチョフの来日によって北方領土問題の存在が認められた。その後、ソ連の崩壊、民主化を経て、旅券やビザなしでの元島民の墓参事業や現島民との相互訪問などの交流が行われて来たが、新型コロナ感染症やロシアのウクライナ侵攻の影響もあって、現在、そうした交流事業は途絶えてしまっている。
写真家・山田淳子さんは、祖父が北方領土歯舞群島の志発(しぼつ)島出身の元島民3世。2015年から写真家として活動し、本年9月に写真集『わたしの百人の祖父母たち』を上梓した。
存命中の山田さんの祖父は、自身が北方領土で暮らしていたことを語ることはなかった。祖父は、戦前は昆布漁、戦後は春から秋にかけて北海道の釧路でサケマス漁を行い、冬は富山県に帰るという生活をしていた。
小学生のとき、山田さんは父から「おじいちゃんは北方領土にいた」と初めて聞かされた。しかし当時は北方領土の歴史に関心を持つことはなかった。
後年、釧路に住む父の従兄弟に会いに行った際、祖父が漁をしていた番屋の跡地を案内され、祖父を始めとする自分の家族が歯舞群島の志発島で生活をしていたことを教わった。そのとき「自分はおじいちゃんについて何も知らないのではないか」、また「教科書では北方4島と教わるけれど、志発島とは一体どこにあるのか」と思い、自分のルーツと北方領土について考えるようになった。このことが今日の活動に結び付いたという。
元島民の写真を撮影しようと思ったのは、2019年のビザなし交流に参加した際、墓標の傍らに立つ得能宏(とくのう・ひろし)さんの姿を写真に収めたことがきっかけであったという。得能さんは家族の墓の前で、北方領土でのかつての生活の模様を語った。そうした話を聞くなかで、多くの元島民から島での生活の記憶を集め、その肖像を写真に収めていけば、自身のルーツが明らかになり、北方領土での祖父の生活を知ることに繋がるのではないか、と思い至った。
忘却してはならない歴史
2025年現在、元島民の平均年齢は89歳を超える。また写真に収めたなかで最年少の人の年齢は78歳であるという。このままでは生活の記憶は失われ、歴史は忘却されてしまう。山田さんは、戦後80年、昭和100年を迎える今年までに、100名の元島民に会おうと決め、肖像を写真に収め、証言を聞き取った。その成果のひとつが今回の写真展となっている。
東京大空襲や広島・長崎の核の惨禍に関してはさまざまな証言が紹介され、多くの人が知っている。しかし、北方領土の元島民の具体的な生活や苦難に満ちたその歴史は、当事者や関係者の間では知られてたが、大半の日本人に知られることはない。
写真展「わたしの祖父母たち 北方領土・元島民の肖像」は、こうした貴重な歴史に触れることのできる絶好の機会であろう。終了する直前の案内で大変恐縮だが、ぜひ、写真展に足を運んでほしいと思う。
山田淳子写真展「わたしの百人の祖父母たち」
9月4日(木)から15日(月・祝)まで東京・新宿のOM SYSTEM GALLERYで開催〈午前10時~午後6時、最終日は午後3時まで〉入場無料。「OM SYSTEM GALLERY」
東京都新宿区西新宿1丁目24−1 エステック情報ビルB1F
「OM SYSTEM 写真展情報」【プロフィール】
やまだ・じゅんこ●富山県生まれ。京都府立大学大学院文学研究科国際文化学科東アジア文化交流修了。歯舞群島志発島元島民3世。2015年から写真家として活動。19年から元島民のポートレートを撮影。9月に写真集『わたしの百人の祖父母たち』を発刊。
写真集『わたしの百人の祖父母たち 北方領土・元島民の肖像』
山田淳子
北海道新聞社
2025年9月6日発刊
2750円(税込)