高齢者介護の現実をどこかユーモラスに描く
羽田圭介(はだ・けいすけ)著/第153回芥川賞受賞作(2015年上半期)
不思議な可笑しさ
羽田圭介が小説家デビューしたのは、高校(明治大学付属明治高校)在学中の2003年だった。小説「黒冷水」で文藝賞を受賞し、高校生作家誕生ということで大いに注目を集めた。その後、野間文芸新人賞の候補に2度、芥川賞候補にも3度上るなどして、その才能に注目が集まる中、4度目の候補で「スクラップ・アンド・ビルド」が芥川賞を受賞した。
主な登場人物は3人。介護が必要な祖父と、その介護を担う就職活動中の孫の健斗と、健斗の母(祖父の娘)。ままならぬ肉体の衰えから「死んだほうがまし」が祖父の口癖だった。その祖父の願望を叶えるために孫の健斗は、痒いところに手が届くような過保護な介護によって、祖父自らが体を動かす機会を減らし、それによって筋力低下や神経系統の鈍化を促し、早くあの世に送り出そうとする。甲斐甲斐しく介護する健斗であったが、ある時、祖父の生に対する執着を知って、愕然とする。
家族の介護を描く小説は、切実で重い空気が立ち込めるのが普通なのだろうが、この作品のおもしろいところは、作品全体にどこか不思議な可笑しさが漂っていることだ。その理由として、祖父のずるさがどこかユーモラスであることに加え、主人公である健斗が単細胞というか、妙に幼いからだろう。「死んだ方がまし」と言う祖父の口癖を真に受けて早く迎えが来るように奮闘する姿には、普通の成人の感覚からすると「お前はバカか」と言ってやりたくなるような軽さがある。しかも、健斗は、祖父とは対極にある自らの若い肉体の力をさらにパワーアップさせるために日々筋トレに励むことで、やがて自らにも訪れるであろう老いから遠ざかろうとする。この単純さ。
介護に対するささやかな光
この点について、選考委員の意見は分かれたようだ。
評価した宮本輝はこう述べる。
まだこれから長い生が待ち受けている青年と、老いて、家族に負担をかけながら残り少ない年月を生きるしかない老人の、微妙な愛憎をユーモアを交えて描いてみせた。このユーモアは作者が企んだものではないと感じさせるのも羽田さんの技量であろうと思い、私は受賞に賛成した
川上弘美も評価した。
(登場人物の3人を)私は好きになりました。だめな家族なんですよ、これが。でもこういう家族、知っている(というか、自分の家族の中にもこれと同じような感じがあるなあ)と、確かに私は感じたのです
島田雅彦も評価。
羽田圭介得意の論理を畳み掛けてくる語り口は健在だが、実は語り手は天然ぼけでもあるところが笑える
一方で、小川洋子は推すには至らなかった。
『スクラップ・アンド・ビルド』の評価は、幼稚な健斗をどれだけ受け入れられるかにかかっていた。その上で、とぼけたユーモアのある小説にも、あるいは祖父と孫の間に不気味な闇が立ち上がってくる小説にもなる可能性があった。しかし結局、そのどちらにもなりきれなかったのでは、との思いが残った
ここで言う「不気味な闇」というのは、健斗が、祖父に対して愛情を感じる反面、老いに備わっている肉体的精神的な醜悪さに対する生理的な嫌悪を折に触れて抱くことなどを指していると思われるが、それが深堀されることなく単発の出来事として終わっているのだ。
奥泉光もこう述べている。
方法的なスリルはない単線的な小説で、である以上は、素朴に心を揺さぶるような展開や描写がもっと欲しいとは思ったものの、受賞作に、との声には反対しなかった
高齢者介護を扱う小説においては、介護のどこかにささやかな光を求めるというのがひとつの切り口になるかと思われるが、ユーモアを感じさせる、ある種飄々とした本作品は、別の意味でささやかな光になるかもしれない。
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