芥川賞を読む 第34回『蛇にピアス』金原ひとみ

文筆家
水上修一

身体改造にかける夢の傷ましさを描く

金原ひとみ(かねはら・ひとみ)著/第130回芥川賞受賞作(2003年下半期)

19歳と20歳の女性作家のW受賞に沸く

 第130回の芥川賞は、世間を大いに賑わせた。何しろ19歳の綿矢りさと20歳の金原ひとみという超若手二人のW受賞となったのだから。19歳という最年少記録はいまだに破られていない。ちなみに164回の「推し、燃ゆ」で受賞した宇佐見りんは21歳、石原慎太郎、大江健三郎、丸山健二、平野啓一郎なども早くに受賞したが、それでもみんな23歳だった。
 文章を書く、物語を作る、人間を描くという作業は、絵画や音楽など他の芸術よりもさらに多くの人生経験や熟練の筆力が必要となるからだろうか、芥川賞受賞時の年齢は、30代40代がもっとも多く、人生経験も浅い10代での受賞というのは本当にすごいことだと思う。
 金原ひとみの「蛇にピアス」は、ピアスや刺青、そして舌先に切り込みを入れて二股にするスプリットタンなどの身体改造に惹かれのめり込んでいく10代の女性を描いている。
 痛みに耐えながら自らの体を傷つける行為はなぜ生まれるのか、興味のない人間には全く理解不能の行為にしか思えないのだが、リアルな描写で描かれる「蛇にピアス」を読んでいると、そうした行為に及ぶ者たちの心情や心理をおぼろげながら感じることができた。つまり、どこから湧き上がってくるのかは分からないけれども、心の痛みとしか言いようのないものを肉体的な痛みに転嫁することによって、日々なんとか生き永らえているという、余りにも痛々しい姿が浮かび上がってくるのだ。
 激しいい性描写、暴力、さらには殺人まで出てくるものだから、宮本輝は、「読み始めたとき、私は『ああまたこのての小説か』と思った」そうだが、読後の受け止めについては、

読み終えたとき、妙に心に残る何かがあった。(中略)それは『哀しみ』であった。作中の若者の世界が哀しいのではない。作品全体がある哀しみを抽象化している。そのような小説を書けるのは才能というしかない

と称賛している。
 黒井千次も同様のことを述べている。

殺しをも含む粗暴な出来事の間から静かな哀しみの調べが漂い出す。その音色は身体改造にかける夢の傷ましさを浮かび上がらせるかのようだ

小説を書くことが対症療法だった

 驚くべきはその筆力である。筆力は、(書けばうまくなるというものでもないが)基本的には楽器演奏と同様にそこに費やす練習量と比例するものだと思うのだが、この年齢でこれだけの筆力を備えているというのは、やはり才能というしかないだろう。もったいぶった難しい言葉を使わずに分かりやすい短い言葉で、淀むことなく歯切れよく語っていく。読み手は、実にスムーズに読み進み、物語に入っていける。
 三浦哲郎はこう評価。

ピアスや刺青の世界には全く不案内で、終始目を丸くして読んだが、驚いた。芯のある大人びた文章で、しっかりと書いてある

 黒井千次もこう評価。

歯切れのよい短い文章が、痛覚や欲求や血の騒ぎや、脱力感までをストレートに叩きつけて来る

 ほぼ全ての選考委員が本作品を推していたが、石原慎太郎は異を唱えていたようだ。

青春に在る者として、まして物を書こうとする若い人間にとって、『青春』こそが絶対の、そして唯一本質的な主題であるに違いない。今回の候補作の作者はいずれも若い、ということでそれぞれの主題がそれぞれの青春についてであったことは当然のことだろうが、それにしてもこの現代における青春とは、なんと閉塞的なものなのだろうか

 さて、この年齢でこんな作品を書ける金原ひとみという作家は、いったいどんな人物なのか気になってネット検索していると、腑に落ちる記事を見つけた(2022年8月27日付の読売新聞オンライン)。それによると、小学校4年で不登校となり、高校は半年で中退。中学時代はリストカット、高校時代は摂食障害を繰り返す。周りの子どもたちが幼く見えてまともに話す気にもならなかった上に、集団生活が苦手だったので、どこにも居場所が見つけられなかったという。救いとなったのが小説を読むことと書くことだった。自分を見つめ自分の中にある抽象的なものをストーリーや文章に変換していくことで、現実を生きていくための対症療法になったという。
 金原は、

私は、現実で知り合った人間たちよりも、すでに死んでいる著者や多くの魅力的な主人公たちとずっと深い繋つながりを持ち、導かれてきたと感じています

と述べている。
 山田詠美が選評で、

小説という手段を必要としている作者のコアな部分が見えるようだ

と述べているとおりである。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』 第20回『ゲルマニウムの夜』 第21回『ブエノスアイレス午前零時』 第22回『日蝕』 第23回『蔭の棲みか』 第24回『夏の約束』 第25回『きれぎれ』 第26回『花腐し』 第27回『聖水』 第28回『熊の敷石』 第29回『中陰の花』 第30回『猛スピードで母は』 第31回『パーク・ライフ』 第32回『しょっぱいドライブ』 第33回『ハリガネムシ』 第34回『蛇にピアス』 第35回『蹴りたい背中』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。