芥川賞を読む 第29回『中陰の花』玄侑宗久

文筆家
水上修一

文学に昇華された、僧侶が描くこの世とあの世のはざまの世界

玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)著/第125回芥川賞受賞作(2001年上半期)

ほぼ満場一致での受賞

 第125回芥川賞は、選考委員の石原慎太郎が「今回は全体に候補作の水準が高く、選考委員の間にさしたる異論もなしに受賞作が決まった」と言うように、スムーズに決まったようだ。かなり珍しい。選考委員の河野多惠子が選考会の様子を選評の中でかなり詳しく記していて、それによると3回の投票を通して玄侑宗久の「中陰の花」と長嶋有の「サイドカーに犬」の2作に絞り込まれ、最終的には「中陰の花」が満票で受賞を決めたようだ。
「中陰の花」の受賞に対して異論がほとんど出なかったのは、安定した文章と欠陥の少ない構成と読み物として素直におもしろいということが挙げられるだろう。
 河野多惠子は、前回124回の芥川賞候補作になった「水の舳先」からの成長に触れながら、「無駄な迂回がなくなり、しかもすっきり仕上がったことで作品が痩せるのではなく、豊かになっていて喜ばしい。最後の部分にしても、何とも言えない拡がりと深みが生まれていて、申し分なかった」と称賛している。
 主人公は、東北にある小さな禅寺の住職。生前親しくしてきた村の巫女的な老女の死を看取り供養をするなかで、何か特別な徴が現れることを期待しながら、ラストシーンへと流れていく。人智を超えた不思議な現象や霊的ものや呪術に対する日本人の感覚や考え方をうまく描いている。中陰とは、この世とあの世の中間だ。
 作者の玄侑宗久は禅宗の僧侶であるが、それがこの作品の強みにもなっている。僧侶という非日常的な存在の日常を、地域社会との密接な人間関係や衣食住の細部や宗教作法などを通して描いたことで作品にリアリティをもたらした。
 霊的なものや不思議な現象をテーマにした場合、ともすれば抽象的になりすぎたり独善的な解釈に陥ったりして文学からは遠ざかりそうだが、この作品がそうならなかったのは、「人は死んだらどうなんの?」と聞く妻に対して「知らん。死んだことない」と答える住職のあまり聖職者らしからぬドライな姿勢と、率直で軽妙な言葉を繰り出す妻とのやり取りによって、霊的なものがリアルな現実感覚として正直に描かれているからである。しかも、その背後には、流産で我が子をなくした妻の深い悲しみと供養への思いが実にさりげなく隠されていて物語に深みをもたらす。

重要なのは主人公への共感

 こうしたテーマについて興味深かったのは、石原慎太郎と宮本輝の見解の違いである。
 石原慎太郎は、次のように絶賛。

実はこうした主題は人間が『存在』についての認識を持つ唯一の生命体である限り常に、そして合理がいたずらに幅をきかせる現代となればなるほどますます新しく、他にもまして文学の正当な主題なのである

 宮本輝は、高く評価しながらもこう述べる。

現職の僧侶が寺を舞台として、死や、一種の霊的な力を文学化することが、これから先、どれだけ拡がりを得るのか、そこのところは疑問だが、そのような世界を離れて、別の小説世界を構築する力を持つ新人の登場だと思う

 宗教観の違いによる評価の差だろう。
 唯一の欠点は、ラストシーンにおける重要なツールの描写だろう。妻は、産まれることなく亡くなった我が子を弔うために長い期間、紙縒りを黙々と作り続け、それを使って巨大な網のようなものを制作した。老女と我が子を弔うための重要な読経シーンで、その網を寺の本堂に飾り付けたのだが、それがどのような物なのか映像的にも心象的にも今一歩不鮮明だったのだ。
 黒井千次はこう指摘する。

末尾に登場する紙縒の網のイメージが掴みにくかった。これが表題の『中陰の花』でもある以上、網の姿は構造や視覚像をより鮮明に描き出し、読む者を押し包んで欲しかった

 この作品云々ではないが、その小説をどう評価するかということについて池澤夏樹の次のコメントが興味深い。

小説を評価するのはむずかしい。技術的な問題はわかりやすいから、誰の目にも欠点と見える点が多ければその作品は駄目ということになる。だが、客観的な尺度が稼働しはじめる前にまず主観の判断がある。(中略)主人公に共感できるか否かが先に述べた主観の判断ということだ

 結局、「中陰の花」の主人公は、多くの選考委員の共感を得たのである。読み手が共感できるような主人公をどう描くか、ごく当たり前ではあるけれども重要な視点を教えてくれている。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』 第20回『ゲルマニウムの夜』 第21回『ブエノスアイレス午前零時』 第22回『日蝕』 第23回『蔭の棲みか』 第24回『夏の約束』 第25回『きれぎれ』 第26回『花腐し』 第27回『聖水』 第28回『熊の敷石』 第29回『中陰の花』 第30回『猛スピードで母は』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。