芥川賞を読む 第19回『水滴』目取真俊

文筆家
水上修一

奇想天外な物語から、沖縄戦の過去と現在が浮かび上がる

目取真俊(めどるま・しゅん)著/第117回芥川賞受賞作(1997年上半期)

奇妙で強烈な印象をもたらすシーン

 第117回芥川賞を受賞したのは、目取真俊の「水滴」だった。『文学界』に掲載された原稿用紙約60枚の短編小説である。
 目取真の出身は沖縄で、作品の舞台も沖縄。114回の受賞作「豚の報い」も沖縄が舞台だったことから、選考委員の中からは「またしても沖縄か」という声もあったようだが、やはり風土的にも歴史的にも文学の題材が豊富なのだろう。
「豚の報い」もそうだが、魅力の一つは沖縄の人たちの振る舞いからにじみ出てくるおおらかさや笑いである。特に「水滴」は、悲惨な沖縄戦を題材にしながらも、陰々鬱々とただ沈み込むのではなく、ここかしこに生活者の賑やかさや逞しさが漂っているのだ。
 芥川賞受賞の要因の一つとして、優れた構成とそれによる読者を引き込む力があるように思えた。

――酒ばかり飲んでろくに働かない主人公の徳正。ある日突然、右足が冬瓜のようにパンパンに腫れ上がり、その足先から水が滴り落ちるようになる。原因不明の奇病に妻のウシはうろたえるも、その水をバケツに貯めるなどして看病する。やがて夜な夜な沖縄戦のガマ(自然洞窟)で亡くなった戦友たちが足元に現れて、喉の渇きを癒すために徳正の右足から滴り落ちる水を次々と舐めるのだ。

 奇想天外な話にもかかわらず、優れた描写力によってリアリティが生まれ、素直に物語に引き込まれていく。
 優れた小説というのは、読後何年経っても印象的なシーンが鮮やかに読み手の記憶に残り続けるが、戦友が水を飲むこのシーンなどはまさにそうである。選考委員の宮本輝もこう語る。

飢えて水を求めながら死んでいった戦友たちが壁のなかからあらわれ、主人公の冬瓜と化した脚の水を静かに飲む場面は、そこに余計な斟酌を介入させない感動がある

〝五十年の哀れ〟

 選考員の意見は割れることも多いし、評価のポイントも各人で異なることがあるが、「水滴」に関しては、ほぼ同じポイントを大多数の選考委員が評価している。それは沖縄戦の悲惨さだけではなく、戦後五十年にわたる戦争体験者の癒されぬ内面を描いた点にある。
 徳正は、戦争の悲惨さを伝える語り部として活動してきたのだが、自らが犯した罪についてだけは語ることがなかった。というよりも語れなかった。そうした夫の活動について妻のウシはこう苦言を呈す。

嘘物言いして戦場の哀れ事語てぃ銭儲けしよって、今に罰被るよ

 徳正自身、戦争の悲惨さを語りながらも自らの罪を語れなかったことについて長年苦しんできた。その苦しみを徳正は、「この五十年の哀れ」と言っている。
 そして、興味深いのが、戦友たちが現れなくなると同時に徳正の足も治るのだが、徳正はその後改心もせず、また以前のように飲んだくれの自堕落な生活に戻るのである。
 選考委員の日野啓三の選評が秀逸である。

問題は一九四五年だけでなく戦後五十余年に及ぶこと、被害者としてだけ戦争と自分を装ってきたこと(沖縄だけであるまい)――戦後の自己欺瞞を作者は問い直している

その無意識の長い罪を意識化し悔い改め救われるメデタイ話ではない。主人公の不安は奇病が全快しても治らず、再び泥酔とバクチで門の前に転がっている。そしてそんな主人公のすべてを、そのエゴイズム、弱さ愚かさを、作者は〝大肯定〟している。倫理的、宗教的にではなく、沖縄という不思議な場の力で。(中略)すぐれて沖縄的で現代的な小説である

 池澤夏樹はこう語る。

戦場の体験を語ることはいかに誠意を以てしても嘘になる。その切なさ、その哀れをこの作品は見事に描いている

 なお、この作品の欠点についても選考員たちは同じポイントを指摘している。それは、徳正の従兄弟が、徳正の足から出てきた水を毛生え薬や強壮剤として販売して大儲けし、水の効果が薄れあとは逆に村人から袋叩きにあう話なのだが、これが唐突感がありすぎて主筋と馴染んでいないのだ。
 作者はおそらく、徳正の自己呵責を描くだけでは物足りないと感じて、沖縄らしい滑稽譚を入れ込んだと思うのだが、それが作品全体の純度を下げてしまった。
 書き込み不足はテーマを浮かび上がらせることができないが、余計な書き込みはテーマをぼやかす。それでも本作は主筋部分の優れた構成力と描写力があったがゆえに、テーマが色褪せることはなかった。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』 第20回『ゲルマニウムの夜』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。