芥川賞を読む 第18回『海峡の光』辻仁成

文筆家
水上修一

いじめの被害者と加害者の未来。人間の不可解な本性に迫る

辻仁成(つじ・ひとなり)著/第116回芥川賞受賞作(1996年下半期)

ロックバンド「ECHOES」のヴォーカル

 第116回の芥川賞はダブル受賞となった。ひとつは前回取り上げた柳美里の「家族シネマ」。もうひとつが今回取り上げる辻仁成の「海峡の光」だ。
 辻仁成は、もともとロックバンド「ECHOES」のヴォーカルだった。1985年にミュージシャンとしてデビューして、そのわずか4年後に第13回すばる文学賞(受賞作「ピアニシモ」)で作家としてもデビューしているから、多彩な才能と言わざるをえない。当時は、有名ロックバンドのヴォーカルだから文学賞をもらえたのではないかというひねた見方をする者も一部にいたようだが、芥川賞受賞作「海峡の光」を読めば、それはひどい偏見だったことが分かる。
 選考委員の三浦哲郎はこう評する。

構成、文章ともに細心の注意を払って構築されている。堅固な砦を思わせるような作品である。さあ、どこからでもこい、これが受賞しなければ芥川賞とは一体なんだ、という自信と気概も感じられる

 バンドは91年に解散したが、他のロックバンドとは一線を画すような内省的で真摯な世界観が、私も好きだった。ラストアルバムとなった『EGGS』などは今聴いても胸を打つ名作ぞろいのアルバムで、その独特の世界観は、音楽を超えて文学世界へと至ったことに何の違和感もない。

美文調の文章がマイナスポイント

「海峡の光」の舞台となっているのは、函館少年刑務所。全国で唯一、船乗りになるための知識や技能を身につける船舶教室が設けられている。主人公の〝私〟は、青函連絡船の元船員で、今は刑務所の刑務官として働いている。物語は、小学校時代、自分をいじめ抜いた同級生・花井修が受刑者としてこの刑務所に服役してきてところから始まる。花井は成績優秀、容姿も優れ人徳もある、だれもが憧れる生徒だったけれども、秘かにいじめを受けていた主人公の〝私〟は、彼の背後にある偽善性を知っていた。
 服役囚と刑務官という真逆の立場になったにもかかわらず、〝私〟は花井をいたぶることもせず、自分と花井の過去の関係を一切伏せたまま、普通の刑務官として花井と接していた。それは、刑務所の中でも優等生を装う花井の偽善性を見破りたい、本性を見つけ出したいと願っていたからだ。
 いじめた側といじめられた側、それが刑務官と受刑者という真逆の立場になるという設定。そこに、暗い海に投身自殺を図る乗客も多かった青函連絡船という独特の世界観が加わって、読む者を引き込んでいく。物語としておもしろくないはずがない。
 ただ、選考委員の選評を読むと、賛否両論がかなり正面からぶつかり合っていたように見える。高く評価する選考委員を含めてほぼ全員がマイナスポイントとして挙げたのが、文章だった。美文調の文章が多すぎて鼻につくのだ。そんなに力まなくてもよいだろうにと思ってしまう。

漢語を多用した文章が書き言葉の世界を構築しようとする努力の結果であるのは認められるが、時に文脈を見失い、時に美文に流れるところが気にかかる(黒井千次)

 丸谷才一に至っては次のように辛辣だ。

この語り手の教養に合わせて文体を選んだと見るのならば、これだけ言語能力の低い者の一人称で小説を書こうとした作者の責任が問はれなければならない

理解できない人間の本性

 選考委員の意見を二分したのは、まさに作品の核の部分だった。主人公は、花井の不可解な内面を刑務所生活の中であぶり出そうとするのだが、その不可解さが際立つことはあっても、それが何によるものなのか、何ゆえにそんな人間になったのか、花井の本質が明白には分からないのだ。
 黒井千次はこう述べる。

焦点は、この受刑者の不可解な行動をいかに捉えるかにあったろう。作者はそれを不可解なものとして扱う姿勢を貫いているが、読者はその奥にひそむものを知りたいと感じる

田久保英夫はこう述べる。

三十前後の刑務官の眼を通して、元同級生の囚人との被加虐的心理を追っているが、その視点から囚人は「邪悪」で、「悪魔」的とも描かれるし、逆に「大仏」のようにも、「超越」した者にも描かれる。この両面に、読む側は刑務官自身の言うように、すべて「妄念」ではないか、とも思えて、人物の統一像が結ばない

 ただ、これは物語設定の構造的な原因もある。花井の内面を描くためには、主人公との会話が有効であるはずなのだが、会話が禁じられている刑務所内でそれを探るのは困難なのだ。だとすれば、優等生だった花井がなぜ見る影もないほど変わり果てた姿になったのか、その経緯をせめて書くべきではなかったのかということを、池澤夏樹は次のように指摘している。

この間にあったはずの彼の重大な内的転換をこの小説は説明していない

 これらに対して異を唱えて推したのが、宮本輝と石原慎太郎だった。
 宮本輝はこう評価する。

不可知な人間の闇を描くことに成功したと思う

 石原慎太郎はこう評価する。

ある選者はこの男の衝動は理解出来ないし、作者もそれを描き切れていないといったが、理解できぬ人間の本性の部分を理解を求めて描く必要がある訳はない。人間があるものごとに慄然とするのは、決してそれを理解してのことではありはしまい

 完璧な人間がいないように完璧な小説というのもありえない。ただ、作者が描こうとした花井という男の闇も、主人公が抱える闇も、理解としては伝わらなくても、その重い質感だけは間違いなく伝わってきて、それが読者の想像を膨らます。それこそがこの作品のもつ力になっているように思える。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。