芥川賞を読む 第8回 『運転士』藤原智美

文筆家
水上修一

ひとりの地下鉄運転士の内面を徹底して描き切る

藤原智美著/第107回芥川賞受賞作(1992年上半期)

無機質な運転士の変貌

 第107回芥川賞を受賞したのは、当時36歳の藤原智美の『運転士』だった。『群像』(1992年5月号)に掲載された127枚の作品だ。

 主人公には名前はなく、「運転士」と表記されるだけだ。この無機的な表現方法は、主人公の内面とうまく共鳴し合う。主人公が地下鉄の運転士を仕事に選んだ理由は、時間と方法が確立されていて、いい加減なものが入り込む余地のない明確な仕事だからだ。彼にとって曖昧さは不自由さと同じ意味を持つ。あえて地上の電車ではなく地下鉄を選んだのは、天候によって運航が乱されることも昼夜の光量の差もなく、常に一定の条件で運転できるからだ。
 秒単位のズレをも嫌う正確無比な電車が網の目のように複雑に走る東京の地下鉄。そこで電車を運転する主人公は、運行時刻の誤差はもちろん、停車位置のわずかなズレも極端に嫌う。万一、制限速度をオーバーし自動制御装置が働くようなことでも起きれば、運転士は「死にたくなる」――。

 なかなか実像が分からない職業の内面に迫ろうとする着眼点が、誘因力を生み出した。それは、〝人を起こす〟という仕事を素材とした第105回受賞作の「自動起床装置」にも共通していることだ。
 ただ、素材がユニークだとしても、その内面を描き切るということは簡単ではない。〝徹底して描き切ること〟ができなければ、ただの職業紹介で終わってしまう。作品の冒頭は安直な比喩の連続が多くて、それが鬱陶しくて読み進むのに気力が要ったが、主人公の病的ともいえる秩序的なものへの強いこだわりが徐々に人間臭いものへと変質していく過程が徹底して描かれたことによって、強く引き込まれ、実におもしろかった。
 選考委員の大江健三郎は、「芥川賞選評」(『文藝春秋』1992年9月号)のなかでこう指摘している。

文体はまだ揺れているし、未熟で月並みな形容句を繰りだすことも気にかけない。ところが小説はしっかりと進行して、名前もない人物が切実な体温をつたえはじめるのだ。

 大庭みな子は、この作品に触発されたのだろうか、小説というものの魅力についてあらためてこう述べている。

何れにしても、小説ほど人間のわかるものはない。学問や知識がなくても小説を読んでいれば、どうにか生きていけそうな気がする。街や野原で見知らぬ人に出遭っても、何となくどこかで遭ったことがあるような気分になる。人は誰でも目に見えるものではなく、目に見えない奥にあるもののことが気になっている。

 小説は人間を描くものだ。だからこそ、どれだけ徹底してその人物の奥にあるものを描けるかが作品の成否を分けるということを、『運転士』はあらためて教えてくれている。

積極的なモチーフを、衒(てら)うことなく書く

 ネタバレにならない程度に、もう少し作品について触れておくと、正確無比なもの、秩序的なものに対する強いこだわりが徐々に崩れ始める変化を描く際に用いたのが、〝女がうずくまって入っている鞄〟と、地下の仮眠室のそばに捨てられた〝巨大なコピー機〟というツールだ。
 女が入った鞄は、運転士の妄想なのか夢なのか不明瞭なのだが、要所要所で突然出てくる。運転士は、女に鞄から出て行ってほしと願うのだが、女は閉じこもったきりで、なかなか外に出て行こうとしない。女は当初、マネキンなのかと思わせるほど無機質な存在なのだが、やがてそれは汗をかき、臭いを発し、官能的な要素を見せ始める。その変化に運転士はひどく動揺し、正確無比な運転にも支障をきたすようになる。
 この鞄の中の女が何を象徴するかは、読者がそれぞれ想像すべきものだと思うが、私は、運転士自身のような気がした。正確さと秩序を愛す無機質な自分自身のなかで動き出した、人間本来の不確かさと無秩序に対する動揺のような気がする。もう一つの象徴〝巨大なコピー機〟も同様だ。
 なお、藤原智美はその後、いくつか小説も発表しているが、『暴走老人』に代表されるようなノンフィクションや、エッセイを多く発表している。
 本作を絶賛する河野多惠子は、選評のなかで、芥川賞という新人賞の応募作品に何を求めるのか述べている。参考になるので、少々長いがそのまま記しておく。

新人は積極的でなければならない。素材・テーマ、取り分けモチーフに、積極的なものを択(えら)ばなければ伸びない。従って、私は候補作を読む時には、積極的な作品に出会いたいと思うし、今度の候補作の大半は積極的な作品ではあった。しかし、また小説を書くうえで、非常に大切なことは、衒(てら)い心の自戒であろう。その作品で生かそうとしている自分の体験なり、認識なし、創作理論なり、着想なりを衒う心が(恐らく無意識のうちに)生じると、よい作品になる可能性は失われてしまう。

 思い切った題材を躊躇なく描き切れ、ということだろう。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。