芥川賞を読む 第27回『聖水』青来有一

文筆家
水上修一

死を前にしたときに信仰は何ができるか

青来有一(せいらい・ゆういち)著/第124回芥川賞受賞作(2000年下半期)

裏切り者の隠れキリシタンの末裔

 第124回芥川賞はダブル受賞となった。候補作はいずれもレベルが高かったようで、珍しく選考委員の多くが賛辞を送っている。三浦哲郎は、「今回の候補作は水準が高く、粒ぞろいで、順位をつけるのが難しかった」と述べ、宮本輝は、「候補作六篇、それぞれに作者の持ち味が出ていて、今回は豊作だという印象を抱いて選考会に出席した」と述べている。
 青来有一の「聖水」は、『文學界』(2000年12月号)に掲載された約190枚の作品。青来は、第113回の芥川賞から4回も候補に挙がっており、5回目の候補で受賞を勝ち取った。長崎県生まれの長崎県育ち。長崎大学卒業後、長崎市職員として勤める傍ら作品を書き続けてきた。被爆2世である青来の作品の多くのテーマは、被爆や隠れキリシタンなど長崎という固有の土地に根ざした作品が多い。「聖水」もまた隠れキリシタンの末裔の人々を題材としたものだ。
           
 末期がんに冒され余命いくばくもない、主人公「ぼく」の父親は、残された時間を自らが生まれ育った浦上で過ごしたいということで、古い家屋をリノベーションして家族とともに福岡から浦上に戻ってきた。身辺整理のために、自らが経営する複数のスーパーマーケットの経営権を親戚の佐我里に譲り渡す準備をしていたのだが、事態は思うようにいかず、最後にどんでん返しの〝裏切り〟に遭う。全ての身辺整理を終えて心静かに最期の時を迎えたいと願っていた父親だったにも関わらず、臨終間際に知った裏切りに憤怒の表情を見せ、苦しみ、のたうちまわる――。

 構成が見事である。舞い戻ってきたその土地は、かつて隠れキリシタンの住んでいた山里。昔そこにいた山村卯之助という人物は、自らが棄教しただけではなく同胞に激しい拷問を加えた〝裏切り者〟で、その末裔たちが住む地域だったのだ。そうした土地の陰影のある閉ざされた風景を緻密に描きながら、〝裏切り〟という因縁めいた物語を展開することで、物語の暗い世界に引きずり込んでいく。
 また、登場人物が多く、複雑にその人間関係が絡み合う。万病に効果があるという「聖水」を販売するオカルトじみた佐我里を中心とする人々と、それに反発する人々の対立を実に丁寧に描いている。短編に近い中編ほどのボリュームの文章で、これだけ多くの複雑な人間関係を描くというのは簡単ではない。芥川賞は短編が多いので、これだけ大人数の登場人物が絡み合うのも珍しい。
 石原慎太郎は、このように絶賛。

この作者の特質は群像なりかなりの複数の人間たちを描ける力量にあって、それは前回の評にも記したが、良き素材を得れば悪くてもアーサー・ヘイリーほどの作品はものにすることが出来るだろうが、今回の作品を読んでその上のレベルの作品をものせる可能性が十分あるものと思った

 また、生と死に絡む宗教の問題、原爆、水への信仰、地域貨幣制度など、扱っている素材が多いので、構造が複雑で、その分、作品に重量感が満ちている。

内面的な成長が不可欠

 テーマは、さまざま論じられると思うが、最も大きなものはやはり宗教の問題であろう。池澤夏樹はこう述べる。
「中心にあるテーマは『生きていくには信心はいらないが、死んでいくには信心がいる』という言葉である。ずいぶん安直な宗教観だと言うのは簡単だけれど、このあたりが死を前にした今の日本人の基本姿勢なのだろう。」
 静謐で穏やかな心持ちで迎えるはずだった最期の時を、意図せず信じられない裏切りにあった主人公の父親は、死の淵で怒りに苦しみのたうちまわる。その苦しみを鎮めるために、佐我里を中心とした人々が、「オラショ」と呼ばれる、隠れキリシタンに伝わってきた祈りの言葉を唱え続ける。だが、その一方では、そうした行為に激しく反発する人たちもいる。その息も詰まるような緊張感の中で展開される信心と反信心の対峙の描写は、実にスリリングでさえあった。そこには、信仰とは一線を画してきた主人公の「ぼく」のなかに生まれた、信じることへの心の揺らぎも見え隠れする。生と死、あるいは信仰という重大なテーマを描き切れる力量は見事である。
 多くの選考委員が指摘していたことのひとつとして、芥川賞候補になりながら4回連続して逃したあとの作者の成長だ。
 宮本輝はこう述べる。

従来の氏の欠点だった『創る手つきの浅さ』といったものが改善されている。

 石原慎太郎はこう述べる。

人間は死ぬに際して何か信じるもの無しに死ねるのかという主題も含めて、かなり重くかつ複雑であるが、敢えてそれに立ち向かうための作者の内面的な成長もあったに違いない。

 描こうとした主題を的確に描き切るためには、筆力はもちろんのこと、やはり書き手の内面的な成長が不可欠なのだろう。

「芥川賞を読む」:
第1回『ネコババのいる町で』 第2回『表層生活』  第3回『村の名前』 第4回『妊娠カレンダー』 第5回『自動起床装置』 第6回『背負い水』 第7回『至高聖所(アバトーン)』 第8回『運転士』 第9回『犬婿入り』 第10回『寂寥郊野』 第11回『石の来歴』 第12回『タイムスリップ・コンビナート』 第13回『おでるでく』 第14回『この人の閾(いき)』 第15回『豚の報い』 第16回 『蛇を踏む』 第17回『家族シネマ』 第18回『海峡の光』 第19回『水滴』 第20回『ゲルマニウムの夜』 第21回『ブエノスアイレス午前零時』 第22回『日蝕』 第23回『蔭の棲みか』 第24回『夏の約束』 第25回『きれぎれ』 第26回『花腐し』 第27回『聖水』 第28回『熊の敷石』


みずかみ・しゅういち●文筆家。別のペンネームで新聞社系の文学賞を受賞(後に単行本化)。現在、ライターとして、月刊誌などにも記事を執筆中。