書評『もうすぐ死に逝く私から いまを生きる君たちへ』――夜回り先生 いのちの講演

ライター
本房 歩

夜の世界の闇に沈んでいく子どもたち

 夜の街を見回っては、徘徊し薬物や売春に走ろうとしている少年少女たちに声をかける。著者が、それまで横浜でも名門校といわれていた高校の教諭から、全国最大規模の定時制高校の教諭へと移ったのは30年前のことだ。
 今日の定時制高校は、いじめなどさまざまな理由で昼間の高校に行かない選択をした子どもが約半数。ほかに家計を支えるために働きながら学ぶ人や、都市部だと外国から来て日本語が不自由だけれども向学心のある子どもたちなどが占め、むしろ多様な学びを支える場になっている。
 だが、著者が赴任した当時の、その横浜の定時制高校は、口の悪い市民が「横浜市立暴力団養成所」とまで呼ぶほど荒れた場所だった。

入学した子どもたちの半数近くが学校を辞めていき、夜の世界に沈んでいく。そんな学校でした。(本書『もうすぐ死に逝く私から いまを生きる君たちへ』

 本書には、著者が救いきれなかった、むしろ「自分が殺してしまった」とさえ懺悔する、少年少女たちの短い人生の記録の数々が綴られている。
 同じようにこの世に生を受けながら、なぜ夜の世界の闇に沈んでいく子どもたちがいるのか。オムニバスのように語られる彼ら彼女らの物語からは、あまりにも不条理なとしか言いようのない構造的要因が見えてくる。望んで不幸になっていく子どもなどいない。
 私たちは生まれる親、育つ環境を選ぶことができない。もしも自分や自分の子どもが、薬物や売春、暴力、リストカット、引きこもりなどと無縁な人生を歩けているとしたら、それは「たまたま運が良かった」からではないのか。
 本書の副題は「夜回り先生 いのちの講演」。著者が高校生や大学生らを前に語ってきた話を、一冊の本としてまとめたものである。

薬物の戦いの始まり

 定時制高校に赴任して最初の入学式の日に出会った「マサフミ」は、すれ違うだけでシンナーの臭いがする少年だった。マサフミの母親は常磐炭鉱の落盤事故で父を失い、小学校の途中までしか教育を受けられずに家族を養うために働いていた。マサフミの父親は暴力団員で、マサフミが3歳のときに抗争の〝鉄砲玉〟になって死んだ。
 共同トイレのアパートの6畳一間での母子の暮らし。読み書きができない母親は社会保障制度の存在を知らず、自分が病気で働けなくなっても生活保護につながることができなかった。
 小学生だったマサフミは、給食で余ったパンや、深夜のコンビニから廃棄される弁当を集めて母と自分の命を保っていた。そして、それを知った級友たちから壮絶なイジメに遭う。
 そんなマサフミを守ってくれたのが、同じアパートにいた暴走族の中学生だった。マサフミが兄のように慕った彼は、ほどなく暴走族の総長になっていく。マサフミはイジメに遭わなくなったかわりに、気づけばバイクの後部シートに乗り、シンナーに溺れていた。
 じつはマサフミと出会った当時、著者は薬物依存について十分な知識を持ち合わせていなかった。教師の愛情と情熱があれば、子どもたちを薬物から救えると自負していた。
 だからマサフミが「せりがや病院(現・神奈川県立精神医療センター)」の新聞記事を見つけて、ここに俺を連れて行ってくれと言ってきた日、著者は自分の情熱が軽んじられたような気がしてマサフミを追い返してしまった。
 その夜、マサフミはシンナーによる幻覚症状でダンプカーに飛び込んで即死する。
 薬物依存症は、本人の気持ちや決意だけで解決するものではない。ケガや疾病にきちんとした医療が必要なように、依存症もまた専門医や自助グループなどの適切な環境がなければ治らない。
 マサフミが遺してくれた新聞記事がきっかけで、薬物と著者の戦いが始まった。

「亜衣」という名の少女

 闇に沈む子どもは、恵まれない家庭にのみ現れるわけではない。
 著者が全国での講演で必ず語ることにしている「亜衣」という少女がいる。経済的にも裕福で教育熱心な家庭に生まれ、姉は一貫教育の名門校に通っていた。ところが、亜衣は小学校受験にも中学校受験にも失敗する。
 その際に親が口にしてしまった心無い言葉に傷つき、彼女は夜の世界へと転落した。そして、生意気だと先輩から目をつけられて暴行され、薬物漬けにされ、薬物を買うために売春を強要される。ほどなく性感染症だけでなく、当時はまだ治療薬のなかったHIVに感染した。
 エイズを発症し、体重は20キロ台前半にまで落ちてミイラのようになる。鎮静のためモルヒネを連続投与しても薬物耐性があるので効かない。
 亜衣が最期に著者に頼んだことは、自分のことを講演で語り、本にも書いてほしいということだった。それで、自分と同じように自暴自棄になっている子が誰かひとりでも救われれば、自分の生きた人生にも意味があったからと。

君たちよ、生き抜いてほしい

 これまで著者のもとに届いた子どもたちからの相談メールは、103万通に達しようとしている。かかわった子どもや若者の数は53万人を超えた。
 全国各地で講演するようになり、そのたびに泊った先の街で「夜回り」を続けてきた。
 そうしたなかから、かろうじて人生を方向転換させて〝昼の世界〟に戻った人々が全国にいる。元暴力団員、元暴走族、元風俗店員、元覚せい剤中毒者。今では1万3000人を超える彼らが、著者と同じ思いで夜の街を回ってくれているという。
 東日本大震災が起きた直後、宮城県気仙沼市の高校生の女子からメールが届いた。それまで自死念慮でリストカットや睡眠薬の大量摂取を繰り返していた彼女は、極寒の避難所で震えるおばあさんに毛布を与え一晩中寄り添った。
 そのときにはじめて、かつて著者から言われた「人のために何かをすることが自分の生きる力になる」という言葉の意味を理解した。
 彼女は看護大学に進み、今は東北の大きな病院で看護師として働いている。
 夜の世界に沈んでいく子どもたちは、本当は自分だったかもしれないし、未来の自分の子や孫かもしれない。本書を通して、私たちはそのことを痛感する。そして、だからこそ誰かに手をさしのべなければならないと気づく。

君たちは、人と人との直接の触れ合いを捨ててはならない。人と人との直接の触れ合いの中でしか、明日をつくることはできないからです。(本書)

「本房 歩」関連記事:
書評『夜回り先生 水谷修が見た公明党』――子どもたちを守ってきたのは誰か

書評『差別は思いやりでは解決しない』――ジェンダーやLGBTQから考える
書評『プーチンの野望』――内在論理から戦争を読む
書評『今こそ問う公明党の覚悟』――日本政治の安定こそ至上命題
書評『「価値創造」の道』――中国に広がる「池田思想」研究
書評『創学研究Ⅰ』――師の実践を継承しようとする挑戦
書評『法華衆の芸術』――新しい視点で読み解く日本美術
書評『創価教育と人間主義』――第一線の学識者による力作
書評『池田大作研究』――世界宗教への道を追う