書評『差別は思いやりでは解決しない』――ジェンダーやLGBTQから考える

ライター
本房 歩

世界基準から遅れている日本

 SDGs(持続可能な開発目標)は、17項目のうち5番目として「ジェンダー平等を実現しよう」を掲げている。またSDGsの全体を貫く「誰も置き去りにしない」という理念は、LGBTQ(性的マイノリティ)の権利があらゆる場面ですべての人々と平等に尊重されるべきことを示している。
 今や大学では「ジェンダー」「LGBTQ」に関する講座が人気を集めており、企業や自治体も関連する研修に余念がない。
 すべてのEU加盟国、米国、オーストラリアといった先進国では、既にLGBTQ差別を禁じる法律が整備されており、この流れはグローバルスタンダードになりつつある。一方、日本にはこうした法制度がいまだ存在しないままだ。
 日本でも他の先進国同様に「性的指向および性自認等により困難を抱えている当事者等に対する法整備」が実現することをめざし、政策評価、民間事業者向けの関係法務支援、各種研修などを推進しているのがLGBT法連合会である。
 本書『差別は思いやりでは解決しない』の著者である神谷悠一氏は、LGBT法連合会の事務局長。一橋大学大学院社会学研究科で客員准教授をつとめたほか、企業、自治体、労組などで職場施策の研修やアドバイスを続けている。
 2020年に同じ集英社新書で『LGBTとハラスメント』(松岡宗嗣氏との共著)を出しているが、本書は神谷氏の初の単著となる。

「思いやり」という落とし穴

 さて、本書は日本社会に放置されたさまざまな「差別」が、「思いやり」や「優しさ」「心がけ」では解決しないということを正面から論じたものだ。本のタイトルはまさに直球である。
 大学のレポートを採点し、企業研修のアンケートを読むたびに、「誰かを傷つけないように思いやらなきゃいけないと思いました」という趣旨の感想が過半数を占めていることに著者は違和感を抱いたという。
 こう言われて、あなたは「え? 思いやりを持つのが正しいんじゃないの?」と驚いただろうか。それとも「たしかに、思いやりという話じゃないよね」と著者に同意しただろうか。
 著者は「はじめに」でこう綴っている。

 本書は、人権問題、特に「ジェンダー」や「LGBTQ」の問題を考えたり語ったりする際に、突然「思いやり」が幅を利かせ始め、万能の力を持つかのように信奉されてしまう、この謎を解き明かします(それ以外のことも特に後半で扱っています)。

 なぜ日本では「差別」に対して「思いやり」というワードが好んで使われるのか。そして、なぜ「思いやり」では何も解決しないのか。著者はさらに、「思いやり」だけでことを進めると不具合を生じることさえあると指摘する。
 なぜなら「思いやり」とは、あくまで個人の資質や感情に基づいてなされるものだからだ。たとえばある人が職場や行政の窓口で何かを相談する場合、相談された上司なり窓口担当者なりが寛容で親切な人であったり、相談者を「気に入って」いたりすれば、相談者の満足いく対応がなされるかもしれない。
 しかし、上司や担当者が差別意識や無意識の偏見にとらわれていたり、相談者のことを「気に入らない」と感じていたりしたらどうなるだろう。それでも「思いやり」は同じように発揮されるだろうか。
 Aさんの場合は「思いやり」で認められたことが、Bさんの場合では認められないとなると、「思いやり」が新たな差別を生み出すことになる。
 大事なことは、まず明文化された「施策」「制度」がきちんと整えられることだと著者は指摘する。「思いやり」という属人的な曖昧なものではなく、誰が相談者になり被相談者になっても、公正なルールで対応がなされる仕組みができてはじめて不条理の解決の一歩となる。

「禁止」と「罰則」を混同しない

 さらに著者は、さまざまなルールや法制度に「禁止」条項が設けられたとしても、それを破った場合の「罰則」がなければ空文に等しいことを指摘している。
 たとえば最低賃金法では第4条第1項で最低賃金を下回る賃金支払いを禁じているわけだが、同時にこれに違反した場合は第40条で「50万円以下の罰金に処する」と明記されている。
 一方、男女雇用機会均等法の第5条は募集や採用の際に性別による差別を「禁止」しているが、違反したとしても刑法上の「罰則」は設けられていない。
 子どものいじめでも同じことが起きている。いじめ防止対策推進法ではいじめの「禁止」は謳っているものの、現状では他の罰則(傷害罪、恐喝罪など)の対象とならないかぎりは刑事罰には問われない。
 このように法制度上の「禁止」と「罰則」には明らかな違いがあるのだが、「政治もメディアもいまだに違いを峻別できていない」と著者は指摘する。
 横断歩道や交差点を横断しようとする人や自転車がある場合は、運転者は手前で一時停止しなければならない。それは「思いやり」でなされるのではなく、道路交通法の法規に基づいている。「思いやり」任せでよいとなれば、歩行者の安全は担保されない。
 しかも、道路交通法では運転者が一時停止を怠った場合の罰則、反則金、基礎点数が定められている。もし罰則が何もなければ、運転者は法規に違反しても何も怖くないだろう。
 安閑とした「思いやり」にとどまらず、差別を是正防止するため、その先の具体的な「施策」まで進めること。そして、その「施策」は単なるスローガン的なものでお茶を濁すのではなく、違反した場合に具体的なペナルティが課せられるところまで整備すること。そこまでやって、はじめて社会は一歩改善する。
 日本は国連の女性差別撤廃委員会から、セクハラの禁止事項を法的に位置付けるよう繰り返し勧告を受けている。仕事上のハラスメントを全面的に禁じたILO(国際労働機関)の「仕事の世界における暴力及びハラスメントの撤廃に関する条約(暴力とハラスメントの禁止条約)」が2021年6月に発効しているが、日本は国内法の未整備を理由に批准していない。2023年には日本でG7(先進主要7カ国)サミットが開催されるが、G7で同性婚を合法化していないのは日本だけだ。
 自分では「思いやり」があり「良識的」だと任じている人が、結果的に差別の容認に加担するようなことがないために何が必要か。2020年代にふさわしい社会へ、日本を変えていくために読まれるべき一書である。

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 第2回 好きな女性と暮らすこと:ウーマン・リブ、ウーマン・ラブ
 第3回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(前編)
 第4回 フツーを作る、フツーを超える:トランスジェンダーの生活と意見(後編)

LGBTの社会的包摂を進め多様性ある社会の実現を

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