第91回 正修止観章 51
[3]「2. 広く解す」㊾
(9)十乗観法を明かす㊳
⑧道品を修す(1)
今回は、十乗観法の第六、「道品(どうほん)調適(じょうじゃく)」(三十七道品を調整すること)の段について説明する。十乗観法については、前の観法が成功しない場合に、次の観法に移るという流れとなっているので、ここでも、第五の「識通塞」が成功しない場合という前提で、「道品調適」が必要となるということである。
(1)三十七道品の説明
道品(bodhi-pakṣya)とは、菩提分、覚分とも訳される。覚りに役立つものの意である。具体的には七科にわたる、合計三十七種の実践項目が説かれ、これを三十七道品という。初期仏教の最も重要な実践項目であるが、『摩訶止観』で扱われている(後述)ように、大乗にも通じる。以下、簡単な説明をする。
(1)四念住(四念処)……身念住(身体を不浄と観察すること)・受念住(感受を苦と観察すること)・心念住(心を無常と観察すること)・法念住(法を無我と観察すること)。
(2)四正断(四正勤)……已生悪断(いしょうあくだん)(すでに生じた悪を除くように努力すること)・未生悪令不生(みしょうあくりょうふしょう)(いまだ生じてない悪を生じないように努力すること)・未生善令生(みしょうぜんりょうしょう)(いまだ生じていない善を生ずるように努力すること)・已生善令増長(いしょうぜんりょうぞうじょう)(すでに生じた善を増大させるように努力すること)。
(3)四神足(四如意足)……欲(欲願によって得た禅定によって如意=神変を起こすこと)・精進(精進によって得た禅定によって如意=神変を起こすこと)・念(心念によって得た禅定によって如意=神変を起こすこと)・思惟(観慧によって得た禅定によって如意=神変を起こすこと)。
(4)五根……信根・精進根・念根・定根・慧根。
(5)五力……信力・精進力・念力・定力・慧力。
(6)七覚支……念・択法(智慧によって法の真偽を判断すること)・精進・喜・軽安(身心を軽やかにすること)・定・捨(執著を捨てること)。
(7)八正道……正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定。
(2)道品の構成
以上の予備知識を前提に、『摩訶止観』の内容を以下紹介する。この段落は、第一に当分(道品それ自体)、第二に相摂(道品の包摂関係)、第三に位に焦点をあわせること、第四に相生(道品の生起関係)の四段に分かれている。
第一段においては、必ずしも三十七道品をすべて備えてはじめて覚り(道)を得ることができるわけではなく、七科それ自体(当分)がそれぞれ覚り(道)であると述べている。このことを示す経論を次のように引用している。
故に云わく、「当に念処に依って道を得べし」と。又た云わく、「是れ道場なり」と。又た云わく、「是れ摩訶衍なり」と。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。以下同じ。大正46、87下12~13))
最初の引用文は、『大智度論』巻第十九の「四念処は則ち能く具足して道を得。何を以て三十七を説くや。若し汝は略説するを以ての故に四念処にして、広説するが故に三十七ならば、此れは則ち然らず。何を以ての故に。若し広くせば、応に無量なるべし。答えて曰わく、四念処は具足して能く道を得と雖も、亦た応に四正懃等の諸法を具すべし。何を以ての故に。衆生の心は種種同じからず、結使も亦た種種にして、楽う所、解する所も亦た種種なり。仏法は一実一相なりと雖も、衆生の為めの故に、十二部経・八万四千法聚に於いて、是の分別を作して説く」(大正25、198上9~16)である。略説すると四念処となり、広説すると三十七道品となるという考えを斥け、四念処だけで道(覚り)を得ることができるけれども、衆生の心は多様であるので、四念処以外の道品が説かれることを示している。
第二の引用は、『維摩経』巻上、菩薩品の「三十七品は是れ道場なり」(大正14、542下26)である。三十七品のすべてが道場(覚りを得る場所)であることを説いている。
第三の引用は、『大品般若経』巻第五、広乗品、「外身・内外身も亦た是の如し。受念処・心念処・法念処も亦た応に是の如く広説すべし。須菩提よ、是れ菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づく」(大正8、254中13~15)である。これは四念処がすべて摩訶衍(Mahāyānaの音写語。大乗)であることを述べたものである。それ自体が道品であり、道品を調停することではないとされる。
第二の道品の相互包摂関係を明らかにする段においては、四念処の一法にすべてさまざまな道品を包摂することを指摘している。また、四念処が他の道品を包摂する以上、他の道品も同様に四念処を包摂するという『大智度論』を引用している(※1)。これが道品を包摂することであり、道品を調停することではないとされる。
第三の位に焦点をあわせる段においては、四念処に関しては、その位に相当するといわれる。小乗仏教の階位である三賢(五停心観・別相念処・総相念処)に、四念処が含まれていることを指摘したものであろう。続いて、四正勤は煖位であり、四如意足は頂位であり、五根は忍位であり、五力は世第一法の位であるとされる。これは四善根の位を当てはめたものである。八正道は見諦(四諦を見る見道)の位であり、七覚は修道の位であるとされる。これも道品を調停することではないとされる。
第四の道品の生起関係の段においては、四念処を修行することに関しては、四正勤を生ずることができ、四正勤は如意足を生じ、四如意足は五根を生じ、五根は五力を生じ、五力は七覚を生じ、七覚は八正道に入ると述べている。このような道品の生起関係が、道品が調停されていることであると述べられている。道品を調えなければ、速やかに真法と相応することができないと指摘している。この真法は無漏(煩悩の汚れがないこと)といわれ、道品は有漏とされる。有漏は無漏の方便となることができると説かれている。『大智度論』には、三十七道品は仏道を修行する方法である。涅槃の城には三つの門(空・無相・無作の三解脱門)があると示されている(※2)。「三つの門」は近い因であり、三十七道品は遠い因であり、この意義のために、道品を調えるべきであると指摘している。
(注釈)
※1 『大智度論』巻第十九(大正25、197中~205下)の「四念処」についての記述を参照。
※2 原文は、『大智度論』巻第二十、「三十七品は是れ涅槃に趣く道なり。是の道を行じ已りて,涅槃の城に到ることを得。涅槃の城に三門有り。謂う所は、空・無相・無作なり」(大正25、206上11~13)を参照。
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