『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第85回 正修止観章㊺

[3]「2. 広く解す」㊸

(9)十乗観法を明かす㉜

 ⑥破法遍(13)

 (5)中道正観の破法遍②

 中道正観の破法遍は、「中観を修する意」、「中観を修する因縁」、「正しく中観を修す」、「中観を修する位」の四段に分かれているが、今回は第二段の「中観を修する因縁」の段について説明する。

 ②中観を修する因縁

 冒頭に、「二に中観を修する因縁とは、略して五と為す。一に無縁の慈悲の為めなり。二に弘(ひろ)き誓願を満たす。三に仏の智慧を求む。四に大方便を学ぶ。五に牢強の精進を修す」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。以下同じ。大正46、81上4~7)とあるように、中道正観(中観)を修行する因縁(理由)として、慈悲、誓願、智慧、方便、精進の五項目を取りあげている。言い換えれば、これらの五項目を獲得するためには、中観を修行する必要があるということである。今、これらの五項目に付されている形容語は省略したが、いずれもそれぞれの概念の究極的なあり方を示すものである。以下、順に要点を説明する。
 第一に、慈悲には、衆生縁と法縁と無縁の三種の慈悲がある。この「縁」は、対象として認識するという意味である。ここの本文に出る無縁の慈悲は、対象に制約されない絶対平等の如来の慈悲のことである。この慈悲は実相と同体であるといわれ、衆生の様相に執著しないので愛・見の煩悩ではなく、また涅槃の様相に執著しないので空寂ではないとされる。愛・見の煩悩ではないので、衆生縁(衆生を対象として起こす凡夫の慈悲)ではなく、空寂ではないので、法縁の慈悲(諸法無我を悟って起こす阿羅漢、初地以上の菩薩の慈悲)ではないとされる。この衆生と涅槃という二辺(二つの極端)の様相がないので、無縁と名づけると述べられている。そして、中観だけが、無明を打破することができると説かれる。
 第二に、過去の広大な誓願を実現するためには、中観を修行しなければならないとされる。中観は、一切の苦を知り、法界に広がる多くの集(煩悩)を断ち切り、最高の道を修行し、究極的な滅を証得することができるからである。四諦に基づいた説明をしている。
 第三に、仏の智慧とは、如来の一切種智の知、仏眼の見のことである。これを獲得するためには、中観を修行する必要があるのである。これは、空観による一切智・慧眼、仮観による道種智・法眼の獲得に対して、中観による一切種智・仏眼の獲得を提示したものである。また、中道を修行することは、目と足があって清涼池に到達するようなものであると述べられている。清涼池は、涼しい池の意であるが、煩悩の苦熱のない涅槃をたとえている(※1)
 第四に、偉大な方便とは、如来の作為的なはかりごとのない巧みな手段、限定のない偉大な作用のことである。もし方便がなければ、他者に利益を与えることはできない。如来は最初に出現して、すぐには大乗を説かず、さまざまな方便、比喩・言葉によって衆生を引き導き、さまざまな執著を離れさせ、そうして後に仏の知見を開き、一乗を示すので、真心をこめて方便をたたえるのであり、真実があらわれることができるのは、その功績は巧みな手段によるのである。如来の方便を得ようとすれば、もし中観でなければ、成就することができないのである。これは、大乗仏教における利他行にとって、方便の役割がいかに重大であるかを示すものである。
 第五に、大精進については、大きな事柄をしようとすれば、大いに労力を用いなければならないとされる。空観と仮観の二観は、功績は微少で賞は少ないが、中観は、その功績は天下を覆い、賞は髻(もとどり)を解く(安楽行品の髻中明珠の譬喩において、抜群の戦功のあるものに対して、国王が髻のなかの宝石を賞与すること)ことにきわまる。大精進のために、中観を修行する必要があるのである。
 結論として、中道を修行する理由はとても多いが、ここではとくに出仮の観(仮に出る観=従空入仮観)に対比させようとして、簡略に五を説くだけであると指摘している。(この項、つづく)

(注釈)
※1 『大智度論』巻第八十三、「仏答う。入らざること無しとは、須菩提は、智慧利根の者は能く入ると明かす。仏意は、但だ一心に精進して学ばんと欲する者は入る可し。譬えば熱する時、清涼池に、目有り足有れば皆な入る可きが如し。近しと雖も、入らんと欲せざれば、則ち入らず。四門は、般若波羅蜜の池も亦た是の如し。四方の衆生に、遮る者有ること無し」(大正25、640下8~12)を参照。

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。