書評『牧師が語る仏法の師』――宗教間対話の記録

ライター
本房 歩

全米で評価された書籍

 本書『牧師が語る仏法の師』は2つの意味で、読者にとって有益なものをもたらすだろう。
 第1は、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアが真にめざしていたものは何だったのかということへの、洞察と理解である。
 第2は、創価学会の世界宗教化とは、どのようなプロセスと展開を経ていくのかということへの想像力である。
 本書の原題は『A Baptist Preacher’s Buddhist Teacher』(バプティスト牧師の仏法の師匠)。
 2018年11月に米国のミドルウェイ・プレスから出版された同書は、キリスト教のもっともすぐれた書籍を選出するイルミネーション・アワードの「回想録」部門で、2019年の金賞に輝いた(「聖教ニュース」2019年4月22日)。
 著者のローレンス・E・カーターは、キリスト教バプティスト派の牧師であり、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの母校モアハウス大学にある「キング国際チャペル」の所長である。
 米国のジョージア州アトランタに立つモアハウス大学は、南北戦争が終わって「奴隷解放」が宣言された2年後の1867年に創立された。
 バプティスト派に所属していたキングは、1944年から48年までモアハウス大学で学び、牧師になることを決意。卒業後、ボストン大学神学部で博士号を取っている。
 1978年の開所時は「キング記念チャペル」という名称だったものを「キング国際チャペル」に変更するよう大学当局に要望したのが、翌79年に同大学に赴任したカーター氏であった。

 その理由は、国籍、宗教的信条、肌の色、性的指向に関係なく、世界中の平和の大使と人権の活動家が交流できる場所にしたかったからです。過去の闘争の記念碑や博物館にしたくなかったのです。(本書より/以下同じ)

 1968年4月4日、キング牧師が凶弾に倒れた日、カーター氏はボストン大学内にある教会で誓った。キング牧師の業績をさらに発展させるために自身の生涯を捧げる、と。

キング牧師の目指したもの

 キング牧師が公民権運動の指導者として歴史に登場するきっかけともなったのが、1955年にアラバマ州モンゴメリー市で起きた「バス・ボイコット運動」だった。黒人女性ローザ・パークスが、バスで白人に席を譲らなかったことを理由に逮捕されたことで、黒人たちがバス利用をボイコットして抗議を示したのである。
 この抗議運動のリーダーに推挙されたキング牧師のもとには脅迫が相次ぎ、56年1月には自宅に爆弾が仕掛けられた。
 各地でも黒人への残虐なテロや弾圧が続き、黒人のなかには「自衛のための暴力」は必要だという主張が高まった。
 これに対し、キングはむしろそれまで自衛のために自宅に所持していた拳銃を処分し、自身の護衛も非武装に変更する。そして集会などでガンジーの名を挙げて、「非暴力による抵抗」を忍耐強く説いていくのである。
 ただし、キング牧師が今も単に「公民権運動の指導者」としてのみ語られていることに、カーター氏は同意しない。
 キング牧師が米国に存在していた不平等と戦ったことは、あくまで出発点であり、理想の共同体を創出するための不可欠な準備にすぎなかったと氏は考えている。

 もしわれわれがこの地に平和をもたらすことができるとすれば、われわれの忠誠心は、地域的ではなく全世界的でなくてはならない。

 これは、本書に引用されたキング牧師の「平和についてのクリスマス説教」の一節だ。
 晩年のキング牧師が真に目指していたのは、人種はもちろん、国家や宗教さえ超えて、人々が「世界という家」に共に暮らす同胞という意識に立って社会変革に挑み続けることだったとカーター氏は考えてきた。
 カーター氏はキングを師と仰ぎ、さらにガンジーを師と仰いで、2人の巨人が思い描きながらも志半ばで終わった理想の世界をなんとしても実現しなければならないという責任感を抱いていた。
 だが、そのためには依然として何かが足りないと実感していた。

 どれだけ必死に二人の理念を追求していても、学生や日曜礼拝に集ってくれるわずかな人々や大学の同僚や牧師仲間が、日々の生活のうえで実現可能なものとして信じられるような平和への波はほとんど起こせていないと思いました。持続可能な平和の文化を創造するために、自分は何もできていないと感じていました。

池田会長との出会い

 1999年のある日、カーター氏はクラーク・アトランタ大学の教授から、アーノルド・トインビーと池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長の対談集を受け取った。
 軽い気持ちでページを開いて、氏は池田会長の博識と思想に驚嘆する。そして、SGIについて学べば学ぶほど、

 池田会長が実現しようとしているビジョンが、まさにキング牧師の「世界という家」と一致するものだと気づいたのです。

 2000年9月、カーター氏は日本を訪れ、池田会長と会見した。この折、モアハウス大学から会長への「最高学識者称号」授与式がおこなわれている。
 式典後、カーター氏は通訳だけを挟んで別室で池田会長夫妻と懇談した。会長の立場や名声から、きっと儀式的な会見になるだろうと思っていたカーター氏の想像は、大きく外れる。

 池田会長は、自身のことや自らの業績を披露したり、今後の協力事業を打診したりせず、ずっと私の話を聞いていました。すでに私のことをかなり知っていることにも驚きましたが、同時に、もっとよく知ろうとする謙虚で誠実な心に感激しました。

 池田会長が私との対話中に、たくさんメモを取る姿には感銘を受けました。途方もなく誠実で、気取らなくて、オープンで、率直で、エゴがまったく感じられませんでした。

「私を救い出してくれた」

 カーター氏に対して、池田会長やSGIに関する「無定見で不見識な噂話の類」をしてくる学者仲間もいた。
 それらの疑問を解消しようと、学識者として会長やSGIについて研究すればするほど、氏はむしろ池田会長への認識を深めていく。

 池田会長とSGIは、究極の宗教的な実用主義者(プラグマティスト)だと思います。老若男女を問わずあらゆる人に、信仰の経典と手段と組織を与えて、自身の成仏、組織的行動、平和運動への取り組みを可能にしているからです。このように非凡な精神性は、他のどの宗教団体でも見たことがありません。わが師キング牧師の非暴力哲学を、どうしたら永久に継承していけるのだろうかと絶望していた日々から私を救い出してくれたのは、池田会長と創価学会との交流でした。

 私は、半世紀以上前にキング牧師を、三十年前にガンジーを、わが師と定めました。しかし池田会長の偉業を知った時、三番目の世界的な師匠に出会ったと叫びたい気持ちになりました。

 共に悲劇的な形で生涯を閉じたガンジーとキングは、非暴力運動と社会変革のための平和運動の指揮は執ったものの、その精神的遺産を継承していく組織を構築することができなかったと、カーター氏は考えている。
 そこに氏自身の積年の苦悶があったわけだが、SGIこそがガンジーとキングの真にめざしたものを体現する世界的な運動であると、カーター氏は確信をもつに至った。
 なお、ローザ・パークス氏も晩年に池田会長と交友を深め、世界の著名人が人生にもっとも影響を与えた1枚の写真を寄せる書籍に、当初予定していたバス・ボイコット運動の折の有名な写真ではなく、池田会長と初めて会った日の写真を掲載している。

壁を越えて対話していく

 本書でカーター氏が一貫して強調しているのは、キング牧師の最終的な理想が、あらゆる差異を超えた「世界という家」の実現にあったことだ。
 米国は一面では多様性をもった多民族・多文化が共存する社会であるが、信仰のコミュニティーにおいて、むしろ人々は特定の人種や文化に細分化され分離されている。宗教が人々を隔てる垣根となっているのである。これは、今日の世界全体にも通じる課題であろう。

 人類共通の遺産である最高の叡智を引き出すには、その壁を越えて発想していかねばなりません。対話し、体験や考えを共有し、質問し合い、互いの話に耳を傾けることこそ、その第一歩に他なりません。

 カーター氏は本書で、自身がキング国際チャペルにおいて推進するものを「世界教会主義」と語っている。
 そして、カーター氏は飽くことなく世界との対話を重ねてきた池田会長の行動と、1人の人間の内面の変革から世界を変えていこうとする「人間革命」の思想、「世界市民」という理念に、その〝模範〟を見出した。
 1995年に制定された「SGI憲章」には、

 SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。

と明記されている。

「人間のための宗教」の連帯

 また、2008年に発刊されたスペイン語版『御書』に寄せた序文で、池田会長はこう綴っている。

 現代の宗教間の対話において、それぞれの違いは違いとして認め合いつつ、各宗教の洞察と真実を学び合っていけば、人間の幸福のための宗教として、互いに錬磨していくことができるに違いない。
 そして、この対話と相互錬磨の道をどこまでも歩み続けて、人類の全宗教がそれぞれの固有の価値観を発揮しつつ、「人間のための宗教」として結びつき、世界平和実現への最大の力になっていくことを、私は念願している一人である。(『大白蓮華』2011年5月号所収)「SGI憲章」

 カーター所長の構想により、モアハウス大学は「融和のためのガンジー研究所」などと協力して、2001年4月に「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展を開催。
 同展は全米や世界を巡回し、各国の名門大学のほか、パラグアイやニュージーランドでは国会議事堂で、ベルリンやレイキャビクでは市庁舎で開催されている。
 なお、ガンジーの孫弟子であり、インド国立ガンジー記念館館長などを歴任したN・ラダクリシュナン博士が池田会長をどのように見ているかについては、博士の著書『ガンジー・キング・イケダ 非暴力と対話の系譜』(第三文明社)に詳しい。
 近年しばしば語られる「創価学会の世界宗教化」とは、単に学会がナショナリズムを超克して世界に広がっている事実だけを指すものではない。
 池田会長の思想と行動は、ガンジーやキングの後継者といった異なる宗教宗派の指導者に希望と啓発を与え、普遍的な連帯をすでにもたらしている。他の宗教と対話し、共に「人間のための宗教」としてのあり方を高め合いながら、人類の現実の課題に取り組んでいくことこそ、「世界宗教」としての創価学会の大きな使命なのだろう。
 虚心坦懐にカーター牧師の言葉に耳を傾けながら、そのことを強く実感した。

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