書評『世界の名画との語らい』――好評連載がオールカラーで書籍化

ライター
本房歩

聖教新聞外信部の挑戦

 新聞のクオリティーは、その「文化欄」を見れば分かるとしばしば言われる。
 本書は『聖教新聞』12面に2018年3月から現在も連載されている「世界の名画との語らい」をまとめたもの。
 言うまでもなく『聖教新聞』は創価学会の機関紙であるが、日本では読売、朝日につぐ発行部数を有する、大きな影響力を持った日刊の全国紙でもある。
 ただ、一般的に新聞の美術記事は学芸部か文化部が担当するのに対し、この「世界の名画との語らい」がユニークなのは、外信部が担っていることだ。
 国内外の美術館に足を運び、記事の筆を執ったサダブラティまや記者、光澤昭義記者、樹下智記者は、いずれも外信部に所属している。
 連載を構想し編集デスクを務める野山智章・外信部長の念頭にあったのは、1980年代に『朝日新聞』社会部記者たちが世界各地の美術館をめぐった連載「世界名画の旅」だったという。
 つまり、あえて美術の専門家ではない記者が1人の鑑賞者として美術館を訪れ、著名な作品の前に立つ。画家の生涯に思いを馳せ、専門家である学芸員や館長の言葉に耳を傾ける。
 こうして綴られた1回1回の紙面だからこそ、読者を同じ目線でその探訪の旅にいざなってくれるのだろう。

「新しい女性」の登場

「絵画は魂の言語である」とは、フランスの美術史家ルネ・ユイグの言葉である。芸術家の生き方への共感、それはまた、読者の共感の心に火を点す導火線となる。共感の言葉は、そのまま励ましの言葉となる。画家へのエールは、読者への励ましの言葉でもあるのだ。

 五木田聡・東京富士美術館館長は、本書『世界の名画との語らい』の「解説」にこう寄せた。池田大作SGI(創価学会インタナショナル)会長が創立した東京富士美術館は、ことにルネサンス期から500年にわたる西洋絵画のコレクションの質において、日本を代表する美術館となっている。
 本書の第1章にまず登場するのは、その東京富士美術館に常設展示されているエドゥアール・マネの〈散歩〉である。
 マネが活躍した19世紀半ばのパリは、ナポレオン三世の命により大改造がおこなわれていた。
 細い道が多く不衛生だったパリは、凱旋門を中心に12本のアヴェニューが放射状に伸びる近代的な都市へと変貌していく。変わりゆく都市は、人々の生活を一新させた。
 とりわけ目立つようになるのが、おしゃれをして外出を楽しむ中流階級の女性たちの姿であった。

 夏の木陰を背景に、流行の黒のドレスを身にまとい、アクセントのきいた紫の花の帽子をかぶる女性。優雅な散歩を楽しむその様子は、単なる「肖像画」というよりも、マネがこよなく愛した、十九世紀後半のパリの「風俗」を描写した一枚である。
 この頃のマネは、重い病に苦しみ、ステッキなしでは歩くこともままならないほど衰弱していた。(本書)

 1883年に51歳の若さで没したマネ。〈散歩〉は晩年の1880年頃の作とされている。
 歩行にも困難をきたし、迫りくる死を予感していたマネが、キャンバスに描き留めた新しい女性の輝き。一枚の絵の背後にあった物語を知った記者の心の高鳴りが、読む者にも伝わってくる。

国内外、一流美術館の名画

 ちなみに、本書で取り上げられた画家とその作品を目次に沿って並べるなら、以下のようになる。

 エドゥアール・マネ〈散歩〉(東京富士美術館)
 ミレー〈種をまく人〉(山梨県立美術館)
 ゴッホ〈ひまわり〉(東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)
 マルク・シャガール〈枝〉(三重県立美術館)
 上村松園〈序の舞〉(東京藝術大学大学美術館)
 モディリアーニ〈ジャンヌ・エビュテルヌの肖像〉(大原美術館)
 レンブラント〈夜景〉(アムステルダム国立美術館)
 アンリ・ルソー〈独立百年祭〉(J・ポール・ゲティ美術館)
 ピカソ〈ゲルニカ〉(ソフィア王妃芸術センター)
 アンリ・マティス〈ダンス〉(ニューヨーク近代美術館)
 ダヴィッド〈サン・ベルナール峠を越えるボナパルト〉(マルメゾン城美術館)
 ダ・ヴィンチ〈モナ・リザ〉(ルーブル美術館)
 ゴヤ〈1808年5月3日、マドリード〉(プラド美術館)
 モネ〈睡蓮〉(オランジュリー美術館)
 ルノワール〈ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会〉(オルセー美術館)
 クラムスコイ〈忘れえぬ女〉(トレチャコフ美術館)
 ラ・トゥール〈ヴィエル弾き〉(ナント美術館)

モネと日蓮をつなぐもの

 本書の第3部は、芸術紀行編。
 まずはクロード・モネの足跡を追って、サダブラティまや記者がパリのマルモッタン・モネ美術館を起点に、郊外のヴェトゥイユとジヴェルニーの町を訪ねる。
 今では「モネの館」として世界中から観光客の絶えないジヴェルニーのモネの家。
 モネは近くの川から水を引いて、庭園に池を作り、日本風の太鼓橋を架け、睡蓮を植えた。その後、ここに43年間も住み続け、徐々に失われていく視力のなかで〈睡蓮〉の連作を描き続けたのだった。
 その「モネの館」には、231点もの浮世絵がいたるところに飾られている。

 十九世紀の多くのフランス人画家たち同様、モネは日本美術に心酔していた。(本書)

 とりわけサダブラティ記者が注目していたのが、モネの〈睡蓮〉と日本の琳派の関係性だった。
 本書では、国際日本文化研究センター教授の稲賀繁美氏の次の指摘が紹介されている。

 欧州における琳派受容の延長上にモネ晩年の睡蓮の連作を位置づける解釈を吟味したい。(『日本美術史の近代とその外部』放送大学教育振興会)

 極東という潮流によってかつての西洋の大藝術が刷新され、装飾藝術の総合的実現へと開花する様子を寿いでいた。その延長にモネの睡蓮の装飾も位置づけられる。(同)

 本阿弥光悦、尾形光琳・乾山ら、琳派の源流となった芸術家たちの共通項は、日蓮仏法の熱心な信仰者であったことだ。
 そして記者は「モネの館」の食堂の壁の一角に、歌川国芳の〈佐州塚原雪中〉を発見して足を止める。佐渡に流罪された日蓮が、凍えるような雪のなかを歩いている姿を描いた浮世絵である。

〈印象・日の出〉で、画家としてスタートし、〈睡蓮〉の連作でその生涯を閉じたモネ。白内障に侵され、失明の危機の中で、彼は、探し求めていたのだろうか。この世界を貫く一つの真理を……。(同)

 もちろん、モネが日蓮のことを知っていたとは思えないし、その痕跡は今のところ見当たらない。
 だからこそ、面白いのである。
 私たちが美術館に足を運び、過去の芸術家の遺した作品の前に立つとき、私たち鑑賞者だけが一方的に何かを与えられているわけではない。
 時空を超え、後世の訪問者を迎えるとき、芸術家とその作品もまた、いわば新しい意味を授けられている。
 それが「名画と語らう」ということなのかもしれない。

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