沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第43回 特別編② 首里手の源流を探る

ジャーナリスト
柳原滋雄

日本と中国、どちらの影響を強く受けたか

 沖縄に伝わる伝統芸能の一つ、組踊(くみおどり)は、独特の抑揚で語るセリフと琉球舞踊、音楽の3つを組み合わせた沖縄版ミュージカルともいわれる。昨年は組踊の初演(1719年)から300年の佳節となり、さまざまな行事が開催された。
 組踊を創案したのは玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん 1684-1734)で、琉球王国の官僚であり、劇作家でもあった人物。若いころから薩摩藩に渡り、江戸滞在経験を持つなど日本文化への造詣が深かった。踊り奉行に任命された玉城は、江戸で見た浄瑠璃などを参考に組踊を創案。代表作の一つ「執心鐘入(しゅうしんかねいり)」では後半、ある寺が舞台となる。沖縄の真言宗の寺とされる。
 重要なことは、沖縄と日本文化の関係は、一般に思われているよりも相当に古くから交流があったという事実だ。組踊が日本文化を参考にした面はともかく、仏教は日本本土経由ですでに13世紀には沖縄に入り、古神道も早くから入った。仏教では禅宗と真言宗が主流となり、神社も多くつくられた。
 食文化をみても、その交流の歴史は明らかだ。沖縄では昆布が取れなかったが、北海道の昆布が「北前船」を通じて沖縄に運ばれてきた歴史がある。

「首里手」を育んだ地域のシンボル・ありし日の首里城(2018年4月)

 逆の伝達経路もある。中国大陸から入った三線が沖縄で独自化され、日本本土にも伝わった。唐手も同様の経路をたどって日本に伝わっている。
 一般に沖縄は中国の影響を強く受けたとのイメージが強いが、実際は日本文化の影響のほうがずっと強かった。そのことは首里士族が日本と同様の畳文化の中で暮らし、中国式の家屋で生活しなかったことからも明らかだ。
 逆にそうした経緯があったからこそ、米軍統治下の沖縄で真っ先に起きた政治運動が日本への「祖国復帰運動」であったことは、沖縄文化は日本文化の一部であり、沖縄人は日本人であるとの意識を持っていたことの証左ともいえる。 
 そんな沖縄にあって、空手の歴史も厳密に踏まえられなければならない。一般に沖縄空手は、大きく「首里手」と「那覇手」の2つに分けられる。那覇手は現在の剛柔流・上地流につながるが、いずれも流祖あるいはそれにつながる創始者が若いころに中国大陸に渡り、当時の中国武術を持ち帰ってつくった流派であることがはっきりしている。その意味では、沖縄空手の中では比較的歴史の新しい流派といえる。
 一方、首里手の歴史は相当に古い。古すぎて実際にたどりきれないところもあるが、上記のような日本文化との交流の歴史を踏まえれば、日本からの武術的影響は明らかにあったはずと語るのは、琉球武術研究同友会の大城利弘(おおしろ・としひろ 1950―)最高師範だ。

那覇手と首里手の違い

 大城最高師範は松林流(=首里手系)の高弟の一人で、米国生活も長く、実戦的な時代の棒術をそのまま継承する山根知念流棒術の数少ない後継者としても知られる。

 当時の首里士族の生活様式は日本式ですから、当然ながら日本武術の影響もあったものと思われます。体の使い方という観点で、そうあらざるをえなくなるところも出てくるわけです。文献上証明できるわけではありませんが、古流の柔術、剣術、槍(やり)、薙刀(なぎなた)などの影響が明らかにあった可能性があります。

 例えば、沖縄学の大家の一人、真境名安興(まじきな・あんこう 1875-1933)が記した『沖縄一千年史』(1923年)でも、「慶長の頃には、トリテなどが流行した」との記述が見られる。ここでいうトリテは〝捕り手〟の意味であり、当時の日本の柔術を指している。
 すでに慶長年間(1596-1615)には柔術が沖縄の地で流行していたことを指摘するものであり、日本武術の影響が早くから及んでいたことの傍証だ。

 私が神道自然流の小西(康裕)先生とお会いした際に言われたことは、空手の体の使い方は剣術のそれとまったく同じということでした。沖縄に戻って長嶺将真先生にそのことを話すと、長嶺先生も100%賛同されていました。空手の間の取り方、体の使い方は剣術と同じです。ただしこの場合の空手とは、糸洲安恒先生によって教育化される以前の古い空手(=実戦で使うための空手)のことです。

 実際、同最高師範が大阪で棒術の演武をしたときのこと。80歳を超える高齢のなぎなたの名手の女性から、「あなたの型は古流のなぎなたの使い方と同じです」と指摘されたことがあったと振り返る。
 いずれも日本武術と首里士族の武術との関連性を示唆するエピソードである。

 ナイファンチなどの首里手の型名称は確かに福建語由来のものが多いですが、かといって中国のやり方をそのままやってきたかというとそうではないと思います。型の内容は完全に〝沖縄化〟されている。首里士族の生活用式は中国式ではなく日本式なわけですから、武術もそうなっていくのは当たり前の話です。

 要するに、首里士族の武芸は、日本的武術の影響が強かったところに、中国経由で型が導入され、さらに沖縄化された。それこそが現在に伝わる〝首里手〟であろうとの見立てである。
 首里手はもともとだれか単一の人が伝えたわけではなく、さまざまな立場の人間が関わる歴史の流れの中で形成された面が強い。大城最高師範も年寄りたちから「首里手こそが沖縄の空手である」と言い聞かされてきたと強調する。

 首里手をやってきた立場から見ても、剛柔流はすでにかなり沖縄化されていると思います。次にどのような動作につながるか私にもある程度予測できる面があるからです。一方、上地流の動きはまったく予測がつきません。それだけ中国武術の影響をいまも色濃く残しているということだと理解しています。(同最高師範)

琉球武術研究同友会・最高師範の大城利弘さん

 一般に、空手は中国文化の影響が大きいと見られてきた。首里手に関して日本文化との関わりを指摘する上記のような見解は、現実的な側面から容易に導き出される推論だという。
 昨年10月、沖縄県庁で開かれた第1回沖縄空手アカデミーでも、沖縄県立博物館・美術館の田名真之館長は、「首里手がどのように伝わってきたかはわからない」と率直に話していた。武術家の視点からすれば、日本の古流武術の影響は明らかに無視できないということになりそうだ。(文中敬称略)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。