沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流 第41回(最終回)番外編 空手の流派はなぜ生まれたのか

ジャーナリスト
柳原滋雄

もともと個人に帰属した

 沖縄で個人から個人に秘かに伝えられてきた武術にほかならない空手。本来、それらの武術に流派という概念はなかったとされる。ところが一定程度、沖縄社会で認知されるようになると、2つの流派が言われるようになる。大きく分けて、昭林(しょうりん)流と昭霊(しょうれい)流の2派である。前者が現在のしょうりん流を意味し、後者が剛柔流系を意味すると言われている。
 現在、沖縄空手を分別するのに使われる「首里手」「那覇手」という言い方も古くからあったものとはいえず、地元行政において区別する必要に応じて「首里手」「泊手」「那覇手」に分類されたと伝えられる。

空手の流派を最初につくった剛柔流の宮城長順

 正式に空手の流派が生まれるのは1930(昭和5)年、京都で新里仁安(しんざと・じんあん 1901-1945)が他の武道にまじって空手を演武した際、流派名を尋ねられて困ったという経緯から生まれた。新里の師匠であった宮城長順(みやぎ・ちょうじゅん 1888-1953)は、『武備志』からとって剛柔流と命名した。これが空手における流派の始まりである。
 一人が言い出すと、他の者も言い出す。人間社会の通例として、その後、知花朝信(ちばな・ちょうしん 1885-1969)のもとで小林(しょうりん)流が誕生し、さらに上地流、松林流などが生まれた。
 日本本土でも1922年から東京で空手普及を行っていた船越義珍(ふなこし・ぎちん 1868-1957)の流派は松濤館を名乗るようになり、流派が次々と生まれた。
 それでも空手の流派は大きくわけて、今も「首里手」と「那覇手」の2つに大別することができる。
 首里手は敏速な動きを身上とし、呼吸法も自然である。ナイファンチを基本的な型として用い、パッサイ、クーサンクー、ピンアンなどの型を用いる。
 一方の那覇手は、力を重視し、呼吸法も独特のものだ。最も代表的な型はサンチンである。剛柔流や上地流は那覇手に位置づけられる。
 また本土の空手流派も、松濤館・和道流は首里手、剛柔流は那覇手となる。また、摩文仁賢和(まぶに・けんわ 1889-1952)が開いた糸東流(しとうりゅう)は、その流派名が示すとおり、糸洲安恒(いとす・あんこう 1831-1915)と東恩納寛量(ひがおんな・かんりょう 1853-1915)の名をそれぞれとっていることからわかるように、首里手と那覇手の両方の型を行うのが特徴だ。
 さらにフルコンタクト系の極真空手は、松濤館と剛柔流の影響を受けた関係で、首里手と那覇手の双方の型を用いるものの、那覇手の型が主といえよう。

他武道の影響を受けて変化

流派が生まれたことで空手は堕落した

と述べるのは、沖縄のある古老の空手家だ。流派が生まれたことで流派間の縄張りのようなものが生じ、さらに型を統一する必要などが生じた。もともと自分の師匠から教わった型を忠実に行うだけだった空手の修行法が、それだけではうまくいかない局面が出てくることにつながったからだ。
 もともと「〇〇の手」というふうに、空手は教える師匠個人に帰属する術技にほかならなかった。それが流派として組織化されると、組織の縛りを伴うものにならざるをえない。
 例えば、それは競技化の流れに伴って顕在化する。
 同じ競技という土俵に立つ以上、競技で行う同一名称の型は同じ動作でなければ客観評価が難しくなる。

      

「首里手」を育んだ地・首里城

 一般に、組織をつくった空手家の名前は残るが、そうでない武人の名前は歴史に埋もれることが通例だ。つまり、流派を開いた空手家の名前は比較的そのまま残りやすいが、たとえものすごい技術を持った武人であったとしても、自らの流派をつくらない場合、少数の弟子に伝えるだけなので、名前が残らない例がままある。
 さらに流派と同様に指摘されるのが、段位の問題だ。
 もともと空手に流派がなかったのと同様、級や段といった制度も空手の世界には存在しなかった。いずれも他の武道である柔道や剣道などから取り入れた真似事にすぎない。
 また、沖縄では最高位となる10段の数が多すぎることもしばしば問題にされる。最高位をもつ人が100人以上いるという状態こそが、沖縄空手界のレベルを貶めているという見方だ。
 なぜなら沖縄の空手は死ぬまでが修行であるという考え方であり、生きている間に最高位に立てば、努力する必要がなくなるという捉え方になるからだ。確かに剣道や柔道でも、10段などという最高位はあまり聞いたことがない。
 さらに付言すれば、空手着も、もともとの空手に備わっていたものではなかった。これも柔道などからの真似にすぎず、体裁を整えるために取り入れたものにほかならなかった。
 もともとの沖縄空手はパンツのみを着用し、上半身は裸で行うのが通例だった。暑い沖縄ではむしろそのほうが動きやすかっただろうし、現実的でもあった。
 いまや世界に1億人を超える愛好者がいるとされる〝Karate〟だが、その源流をたどれば、いずれも沖縄に行き着くことは繰り返し述べてきたとおりだ。
 考えてみれば、「首里」「泊」「那覇」といっても、現代では車でいずれも10~20分で移動できるくらいの小さなエリアにすぎない。それらの地域の中で育まれ、数百年の年月をへて開花した沖縄発祥の武術は、いまや世界をかけめぐる共通語となった。(文中敬称略)

【主要参考文献】
◎富名腰義珍著『琉球拳法 唐手』(1922年)
◎金城昭夫著『空手伝真録――伝来史と源流型』(2000年)
◎船越義珍著『愛蔵版 空手道一路』(2004年)
◎野原耕栄著『沖縄伝統空手「手」の変容』(2007年)
◎高宮城繁・新里勝彦・仲本政博編著『沖縄空手古武道事典』(2008年)
◎新垣清著『沖縄空手道の歴史――琉球王国時代の武の検証』(2011年)
◎ビットマン・ハイコ著 論文『空手道史と禁武政策の一考察――琉球王国尚真王朝と薩摩藩の支配下を中心に』(2014年)
◎嘉手苅徹著 博士論文『沖縄空手の創造と展開――呼称の変遷を手がかりとして』(2017年)
◎勝連盛豊著『検証 沖縄武術史 沖縄武技――空手』(2017年)
◎月刊『武道』連載「空手道――その歴史と技法」(2017年4月号~19年5月号)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。