沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第40回 沖縄古伝武術空手 剛毅會空手道 岩﨑達也宗師インタビュー

ジャーナリスト
柳原滋雄

 戦後の日本本土で隆盛を極めたフルコンタクト空手の元祖・極真空手。実際にその歴史をたどれば、沖縄発祥の空手から枝分かれした一部にほかならない。その極真空手に人生の若いころに命を賭け、その後、源流である沖縄空手に価値を見出した空手家を何人か取り上げてきた(「極真から沖縄空手に魅せられた人びと」《第26回第27回第28回》参照)。この連載の最後にインタビューを行った剛毅會(ごうきかい)空手道の岩﨑達也宗師(いわさき・たつや 1969-)もその一人だ。取材の最初にクギを刺されたのは、「武術性があるかどうかが問題であって、自分にとってそれが沖縄空手でなければならないということではない。たまたま師事した(沖縄空手の)先生がものすごい武術性を持っていた」という言葉だった。沖縄空手の本質とは何なのか、インタビューを試みた。

スポーツと武術の違い

東京大田区のゴールドジムでインタビューに応じる岩崎達也宗師

――総合格闘家に転向するため2001年に極真会館(松井派)を脱退し、2002年にヴァンダレイ・シウバと対戦されました。あのときの試合が沖縄空手にのめり込むきっかけになったと聞いています。

岩﨑達也宗師 次にヴァンダレイ・シウバとやるときは必ず倒す。それが武術空手をやろうと思った動機です。ただ当時は何をどうすればよいか具体的な方法はわからなかった。極真の城南支部にいたころは、廣重毅師範(ひろしげ・つよし 1947-2018)の方針で意拳など中国拳法を取り入れた稽古をしてきましたから、中国へ渡って意拳を習おうかと考えていました。そんなときにある雑誌の取材で、(沖縄空手の)武術の先生と対談し、実際に手ほどきを受ける機会がありました。私ともう一人の空手家とで立ち会ったのですが、その先生と組手をやって、手も足も出ないわけです。

――攻め込むこと自体ができなかった。

岩﨑 そうです。やられる前に、そもそも攻めれない。そこが皆さんね、なかなかおわかりいただけない。そんなもの無理やり飛びかかって力ずくで攻撃すれば何とかなるよと言うんですが、こればかりは実際に立ち会った人間でないと感覚的に理解できません。私はこの先生と立ち会ったとき、正直ああ殺されたと思いました。結局、自分がそれまでやってきたことは武術ではなかった。スポーツであったと気がついたのです。

――スポーツと武術の違いは何でしょうか。

岩﨑 スポーツはどんな内容でも勝てばいい。武術の稽古は武術を身につけることが目的だから、勝つことが目的ではない。こういう言い方をすると、スポーツ側からいうと武術を使えても勝てなきゃ意味はないという言い方をされるし、実際にMMA(総合格闘技)でもそう言われます。私もそう思っていますよ。だけど武術側から言わせてもらえば、勝ったとしてもそれは武術で勝ったわけではないだろうと。スポーツで勝っただけじゃないかと。似ているけど、ほんと相(あい)反しますよね。

――武術で勝つというのは、ルールのない戦い、つまり実戦で勝てるかどうかということですか。

岩﨑 そうなります。例えば東京オリンピックで空手が正式種目になりましたが、金メダルをとったらハッピーというだけでは武術とはいえない。やはり目的が異なるわけです。それよりも大事なものがあると思っています。空手といっても、その本質が伝わらなければ、意味はないと。

――その先生から習い始めて変わったことは何でしょうか。

岩﨑 先生から2004年から08年まで4年間、武術空手を教わりました。最初の3ヵ月くらいのとき、組手が変わったのを自分で実感できたんです。当時まだ総合格闘技の選手をやろうとしていた時期でしたので、そういうプロ級の人たちといつも練習していく中で、まず相手とのやり取りが変わった。それまで見えなかったものが見えるようになり、倒れなかった相手が倒れるような不思議な現象がポンポン起き始めたんです。自分でもアレッと思いました。そのときに、ああこれは先生の教えで自分の何かが変わったんだと思いました。

――まだ3ヵ月くらいだと、古流の型をすべて行っているわけでもないですね。

岩﨑 ええ、技を見よう見まねでやっているくらいの段階です。武術空手に本当に賭けてみようと思ったのはそれからです。そこには「再現性」「客観性」「普遍性」の3要素が満たされる世界がありました。だれが何度やってもその本質は変わらないという法則性を感じることができたのです。
 それは例えばボクシングの試合で、カウンターパンチの得意な選手と先制攻撃が得意な選手が対戦して、相手のリーチが長いとできない、相手のパンチが強いとできないといった相対的なものではなかったのです。法則性がないからもう一回やれと言われても再現できない。やはりそういうものは武術とはいわない。
 忙しくなっていまは直接は習っていませんが、いまだに15年前に言われたことを追い続けて稽古しています。すると選手に指導したり、自分で稽古をしていても、無限に技が出てくる。ちょうどシェールガスを掘り当てたみたいにザンザンザンザン技が出てくるんです。先生から教わった5つの型と基本動作をやればやるほど、無限に技が掘り起こされるから、楽しくて止められないのです。

――ご自分でもサンチンやナイファンチン(=ナイハンチ初段)の型を欠かさずにやられているのですか。

岩﨑 そうですね。いま考えると、亡くなった(極真の)廣重師範の教えというのが、とにかく空手は武術でなきゃいけないというものでした。私は12歳で入門しましたけど、当時はチャンピオンになる目的で空手をやっていた。でも何百回チャンピオンになったとしても、それは勝つためのノウハウであって、原理原則を学ぶものではなかったのです。ただ、自己流で続けていた意拳の站樁(タントウ)が、武術空手を学ぶ際に役に立ったと感じています。

首里手の理合いに惚れ込む

剛毅會空手の稽古風景

岩﨑 私はよく言うんですが、武術には先ほどの3つの要素がなければならないと思うんです。まず再現性がなければならない。たまたまうまくできた、うまく倒せたでは再現性がないので実戦では心もとない。また客観性、さらにだれがやってもそうなるという普遍性がないといけません。先生の教える武術にはこの3つの要素が備わっていた。それが古伝の型の中に込められていると理解して続けてきました。

――ということは、武術空手の型を繰り返せば、だれもがそうなれると。

岩﨑 それが私にわからないところなんです。私の場合はまず組手から変わった。だから型をやれば強くなれますよとは、口が裂けても言えません。型を反復するといっても、ただ動作を反復しているだけでは意味は少ない。反復するとしたら「分解組手」。たとえば突いてくる相手に対し、腕受け(極真の内受け)で受けて突く。この稽古で、武術の4大絶対条件が満たされているかどうかがわかります。
 その4大絶対条件というのは、第1に相手の心や初動が見えているかどうか。第2に先(せん)を取れているかどうか、これには「先の先」と「後の先」の2種類があります。いずれにせよ「先」を取れているかどうか。第3に間を制している状態をつくれているかどうか。同じ距離でも相手からは届かないけど、自分の突きは当たるという間を作れているかどうか。最後にそれらを集約した形で、相手の中に入れているかどうか。この状態をいわゆる相手を無力化する、ゼロ化するといいます。以上4点がきっちり揃っているかどうかが、私の考える武術の4大絶対条件です。
 格闘技の試合などを見ていると「入れている状態」がときどき見られるんですが、その同じ状態を作ろうという概念それ自体がないので、みんな通り過ぎてしまうんです。だから再現性(=確実な反復)が生まれない。
 もっとわかりやすく言うと、子どもが自転車に乗れるようになるには何をしますか。何度もこけるでしょう。こけ続けてあるとき乗れるようになる。水泳も似たところがあります。いったん自転車に乗れるようになると、あとはどんどん上達する。片手運転もできるようになる。両手を離しても運転できるようになる。でも最初から両手を離して運転できる人は、まずいないと思います。
 それと同じで、分解組手をやって、何度やっても最初は相手の中に入れない。ところがあるときふっと入れるようになる。だから入れない状態の人が漫然と型を繰り返すのと、入れるようになっている人が同じ型を行うのでは意味が異なるのです。
 ただこれは先生も仰っていたのですが、ニワトリが先か卵が先かの議論であって、人によっても違うでしょうし、唯一の正解があるというものではない気がします。
 先生から習った言葉で、「那覇で鍛え、首里で使う」というものがあります。那覇手の型のサンチンで鍛えて、実際の技の使用方法は首里手の型のナイファンチン、クーサンクー、パッサイで学ぶ。特に手っ取り早く喧嘩に強くなりたいのならナイファンチンが一番いいと思います。昔、沖縄の本部朝基(もとぶ・ちょうき 1870-1944)という空手家がナイファンチンしかやらなかったという気持ちはよくわかります。この型は受けがない。すべて攻撃オンリー。実際、実戦において受けていたら間に合わないわけです。
 最後に那覇手のセイサンという型を習いました。これは那覇手の型ですが、理合いは首里手のものです。私は首里手の理合いというものに惚れ込みましたね。相手が攻撃してきたときにパッと中に入って、相手を制す。そこには受けて突くといった一般的な二挙動の動作はありません。基本稽古のように受けと攻撃が分かれているような二段階の動きは、まさに野球などのスポーツと同じで、本来の空手とは言えないわけです。そこに武術とスポーツの違いがあります。
 最近また站樁を指導の中に取り入れています。ただ立っているだけの動作ですが、私の教える站樁は、外側から見れば站樁なんですが、中身は武術空手の型なんです。この站樁の形とサンチンの型は、私の中ではほとんどシンクロしています。

――同じサンチンという名称でも、極真のそれとはまったく異なりますね。

岩﨑 私は極真のころは型をまじめに稽古したことは全くないんです。審査があるのでしょうがなく覚えていただけで。極真の型に何か整合性を感じたことは一度もありません。当時の私の姿を知る人が、いま一生懸命型をやっていると聞いたら、さぞかしびっくりするだろうと思います。
 それにしても痛感するのは、武術空手を伝えることの難しさです。実際の稽古では一人か二人と一緒に稽古して伝えるのが精一杯です。極真のときのように何十人もいっぺんに教えることなど物理的に不可能です。

極真の道を全うしたい

――2004年に武術空手の先生と出会ったときには、うつ状態になったと雑誌の記事で拝見しました。

岩﨑 自分がやってきたことは武術ではなかったとわかったときは、ショックは大きかった。だれしも空手と名のつくものをやる人は、自分の空手が武術だと信じたいものですから。

――それまでやってきたことを全否定されたような気持ちでしたか。

岩﨑 そうですね。でもけっきょく学問というものは全否定されてそこから初めてどう進むかということだと思うんです。それが怖ければ最初からやらなきゃいいわけで。だから人にも言うんですが、不都合な真実であろうと、全否定されてショックで、そこから立ち上がってものにしようとするのか、それは不可能だからとそこから背を向けるのが極真なのか。さあどっちなんだと常に自分に問いかけるし、人にも言うわけです。そのときは全否定された、うつになった、よしやろうと。これが本物だと思ったら、それにまたすべての命を賭けるのがやはり極真ですよ。だから思想としての極真をいまだに続けている感じはあります。格闘技の中の最強は極真であるといわれて育ってきましたから、今さら引くわけにもいかない。
 今回沖縄空手の立場で取材に来ていただいて申し訳ないですが、私がやっていることは、相変わらず極真なんです。

――わかりました。極真の精神ということですが、稽古体系は違いますね。

岩﨑 稽古体系は極真のものは何もないです。少なくとも私がやった極真は武術ではなく、スポーツでした。ただしスポーツを否定しているわけではありません。先生の師匠も、「稽古は武術で、試合はスポーツで」と言われていたそうです。要するに武術空手といっても、スポーツや試合を否定しているわけではない。実際に殴り合いや試合をやったことのある人間とやったことのない人間とではまるっきり違うと思います。

――最後に剛毅會の名称と理念について教えてください。

岩﨑 剛毅會のコンセプトは、まず「稽古は武術で、試合はMMA(総合格闘技)」としています。
 これは総合格闘技を行うという意味だけでなく、格闘は本来総合的なものでなければならないという考えからです。型本来の型を抽出すればするほど、そういった総合的な格闘技術が生まれてきます。ですから空手を稽古して競技に挑む場合、MMAが一番自然なわけです。
 名称は「闘戦経(トウセンキョウ)」という日本独自の最古の兵法書に出会い、その本の中に「剛毅果断」という言葉がありました。そこから剛毅會と命名したのです。
 私の最初の空手の先生である廣重毅師範のお名前の文字がたまたま一文字入っていました。昨年亡くなる直前に最後のご挨拶をした際にそのことを伝えると、師範はニコッと笑って了承してくれました。私が空手家として赤ん坊のような時代からお世話になった先生の名前が入っていることに不思議な縁を感じています。(取材/2019年9月7日)

いわさき・たつや●1969年生まれ、東京都出身。12歳で極真空手を始め、国内タイトルを多数獲得。日本代表として世界大会で戦う。その後プロ格闘家に転向し、総合格闘技(MMA)に挑む。同時に中国武術、沖縄古伝空手を研究。それらの理合いをもとに剛毅會空手道を創始。武術空手の追求、指導に専心する。

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。