沖縄伝統空手のいま~世界に飛翔したカラテの源流
第23回 沖縄県空手振興課長インタビュー(上)

ジャーナリスト
柳原滋雄

 沖縄県庁に空手に特化した専門課が設けられたのは2016年4月。沖縄の特色ある文化の中で、一つの武術に着目した課の設置には注目が集まった。例えば青森県庁にも、りんご果樹課というその土地でしか見出せない専門課が存在するが、そうした中にあって、文化力の発信をめざす沖縄県の取り組みはかなりユニークだ。「空手振興課」の初代課長として尽力してきた山川哲男課長(53)に、これまでの歩みと今後の展望を聞いた。

翁長前知事が決めた空手振興課の設置

インタビューに応じる山川哲男課長(沖縄県庁12階・空手振興課で)

インタビューに応じる山川哲男課長(沖縄県庁12階・空手振興課で)

——空手振興課というユニークな課が誕生して2年半がすぎました。これまでずっと課長をつづけてこられた。

山川哲男課長 はい、そうです。

——課長職は通常、何年くらいやるものなのですか。

山川課長 基本的には2年サイクルが多いです。1年で動くケースもあります。私は今年(2018年)の8月に沖縄空手の第1回国際大会があったので、それを主催する関係上、前年の早い段階から翌年の国際大会まではやらせてほしいと上司にお願いしまして、その希望が通った形です。課長で3年というのは長いほうになります。

——空手振興課の課長に就任するまでは、どういう部署で仕事をしてきたのですか。

山川課長 私の場合は管理畑が長かったです。総務部とか、あとは企画部門ですね。最初の職場が土木の用地課で、次が八重山の福祉事務所でした。そこから人事課、財政課、市町村課、病院管理局など内部管理の仕事に多く携わってきました。ここに来る前は観光政策課にいまして、そのときは観光目的税の導入という大きなテーマがありました。観光分野との関わりはそこが始まりでした。そうした経験から、私がいいんじゃないかということで任命されたようです。

——課長自身は空手の経験はありますか。

山川課長 25年くらい前になりますが、上地流をやっていました。ただし諸般の事情があって、通った道場は昇級審査ができなかったので、白帯のままです。

——空手の経験が幸いした?

山川課長 空手経験があることは当時の部長はわかっていましたので関係ないとはいえないと思いますが、むしろ空手界とつかず離れずの関係というのがよかったみたいです。空手の有段者でもなく、実は私は15年くらい前から少林寺拳法をやっていまして、現在3段です。

——だれかが山川課長は剛柔流の黒帯と言っていたのを聞きましたが……。

山川課長 それは私の体格を見て言っているだけでしょう(笑)。

——空手振興課は、実は東京オリンピックでの空手の採用「以前」に設置されていましたね。

山川課長 そうです。オリンピックで採用されたから空手振興課ができたと思っている人がいるんですが、そうではありません。順序は逆なんです。
 もともと沖縄空手界から、沖縄の伝統空手を保存・継承・発展させていく専門の課を設けてほしいとの要望がありました。ただ行政としては、ある程度まとまった業務量がないと一つの課を作れないという考え方があった。なかなか要望が通らなかったのです。
 ここで翁長前知事が出てくるんですが、翁長知事は那覇市長時代から、空手に対しての思いが強かったんです。いまは世界中に広がる空手になりましたが、沖縄県内で見ていくとほぼすべて地理的にはいまの那覇市内に納まります。
 剛柔流は那覇手(ナーファディー)、劉衛流も那覇の久米ですし、小林流は首里手(スィーディー)、琉球王朝の王都である首里城近辺で発達しました。また、松林流とか少林流は泊手(トマイディー)も入っています。全部、現在の那覇市なんですよ。
 県内空手界の無形文化財保持者である友寄隆宏先生(上地流)、上原武信先生(上地流)、東恩納盛男先生(剛柔流)、仲本政博先生(小林流・古武道)たちが専門の課を作ってくれと要請して、翁長知事が作ろうと決めた。翁長知事の功績の一つに挙げていいと思います。
 空手振興課ができて以降、まさに怒濤の日々が続きました。その分、切れ目なく施策を打ってきました。お蔭様で、空手についてマスコミが扱ってくれる量も相当に増えたと感じています。

——空手振興課の職員は現在何人でしょうか。

山川課長 全部で15人です。正職員は課長を含めて8人、あと7人は非常勤です。非常勤には空手家が3人います。正職員にも空手をしている者が2人います。

「空手発祥の地」の普及対象

——空手振興課として最初にとりかかったのは、県の実態調査でしたね。

2018年10月に行われた「空手の日」記念演武祭(那覇市・国際通り)

2018年10月に行われた「空手の日」記念演武祭(那覇市・国際通り)

山川課長 そうなります。初年度に「沖縄伝統空手・古武道実態調査」を行いました。それは私を空手課長に抜擢してくれた前田部長(当時)からの指示でもあったんです。
 空手に関する事業はそれまでもさまざまありました。「空手の日」記念演武祭や国際セミナーなど、単年度ごとの事業を打ちながら、それが終わると次の年も同じことを繰り返すというように、そこに明確なビジョンと呼べるようなものはありませんでした。従来は「文化振興課」で担当し、沖縄文化の一つの分野として見ていました。文化振興課の中には空手に特化したチームもあったのですが、そこには空手の専門家はいませんでした。
 そこに空手振興課が誕生したわけですから、部長から、まずビジョンを作りなさいという大命題が出されました。初年度(2016年度)は、沖縄空手会館の整備に集中していいとも言われましたが、そこだけに集中して、ビジョンづくりを翌年に回してしまうと2年越しになってしまいます。そこで実態調査については初年度から行おうということで始めました。その調査をベースに、翌年に「沖縄空手振興ビジョン」をつくっていく流れを考えて作業に入りました。

——実態調査の印象ですが、空手の発祥地が沖縄であることは、本土ではまだあまり知られていないのではないでしょうか。

山川課長 これは私の解釈ですが、空手はすでに日本全国に広まり、日本の武道になっている現実があります。ただ沖縄県としては、空手は重要な文化力の一つですので、国内の多くの人に、発祥の地は沖縄ということを知っていただきたいと思っています。
 空手というコンテンツを考えるときに、「世界」と「国内」の2つの市場に分けて考えています。世界では1億3000万人の愛好家がいるといわれています。海外の愛好家は空手発祥の地が沖縄であることをほとんどの人が知っています。ただ沖縄を除いて日本本土で見れば、国内の空手家は沖縄が発祥の地であることを知っていても、一般国民はほとんど知らない現実があります。ですから、沖縄の知名度を空手家以外の国民に広めていく必要があります。
 国内については、沖縄は青い海と青い空だけではなく、文化としての空手があることを知っていただき、空手会館に行ったら体験稽古ができるという流れを作りたい。
 一方、海外は世界の愛好家の多くが「発祥の地」と知っています。彼らは沖縄で稽古してみたいという願望を持っています。1億人を超える海外の愛好家をいかに沖縄に引き入れるか。沖縄の町道場で、体験ではなく、本格的な稽古ができるような取り組みをしていきたいと考えています。

——本土の認知度はまだまだこれからですね。

山川課長 それでも上がってきていると思います。なぜかというと、2016年の空手・古武道実態調査の結果を受け、今年から物産展・旅行博と連携した空手プロモーションを始めました。
 これまでも国内向けとしては、例えば観光サイドがやっている「沖縄ナイト」というのが東京・大阪であるんですけど、そこで空手の演武を披露してきました。でも、そこに来ているのは航空会社や旅行代理店などのいわゆる業界の人なんです。業界の人たちはすでに「発祥の地」を知っていたりする。これはもう違う分野でプロモーション活動をしていく必要があるということで、物産展・旅行博で空手プロモーションを始めました。デパートなどに達人の空手家を派遣し、1回30分くらいの空手演武を1日2回、2日間で4回とか行っています。やはり本物を見てもらわないと駄目ですね。来年の年明けには北海道でも行う予定です。
 各会場でアンケートをとってわかったことは、首都圏は意外と発祥の地が沖縄であることを知っている人は多いんです。さまざまな情報に触れる機会があるからだと思います。一方、地方へ行くと、まだほとんど知られていない。これらの取り組みを通じて、沖縄空手の知名度が浸透していく手応えを感じています。
 それとは別に、海外向けには、指導者派遣事業を文化振興課時代から続けてきました。そこには地元の空手家が集まってくる。彼らは沖縄が空手発祥の地であると知っているので、沖縄の先生から習いたいと希望している人たちです。それでもわずか2日間のセミナーですから、流派のことをちょっとかじる程度でしかありません。好奇心や向上心を喚起する形で、沖縄に来て修行したいと感じてもらえるような方向性を目指しています。指導者派遣事業は、1年間に2ヵ国を対象に、まだ行ったことのない国を優先的に選択して取り組んでいます。

——海外は日本ではなく、沖縄という名称で空手が浸透しているわけですね。

山川課長 彼らは空手家なのでよく知っているんです。海外では型よりも組手から入っていく面が強いので、組手から入った人たちは、年を重ねていくうちに、だんだん若いときのアスリートのような瞬発力が衰えていく。空手は武術のはずなのに、組手競技の世界では、体力的に優れた者しか勝てないという現実が生まれてきます。そこでオリジナルへの原点回帰が始まる。無駄のない、半畳くらいの広さでもできる空手。試合会場の8メートル四方のような広さではなく、実践として身を護れる空手ということで、沖縄に向かってくるのだと思います。
 重要なことは、沖縄の先生方が、空手の型に秘められた技を体現する力、その力を維持する鍛錬を続けているかということです。もしそれがなくなれば、世界の空手愛好家たちは関心を失っていくだろうと思います。

課長自ら「出稽古」で汗を流す

——これは話しにくいことかもしれませんが、沖縄空手の先生方の力量は、実態としてはどうなんでしょうか。

山川課長 力量が本物といえる先生方は確かに存在します。空手振興課長という立場から、実際に回って自分の目で見てきました。道場の状況を体感するため「道場めぐり」を続けてきたのです。
 外国の人がどのくらい来ているか、どの国から来ているか、年齢層、男女別、道場の雰囲気、指導者の指導方法、力量。実は昨日も行ってきたんですよ。
 私が出稽古に行かせてほしいと電話しますと、対応は2つに分かれます。「ああいいよ」と言ってくれる先生方は、たいてい自信のある先生です。課長に見られても大丈夫という自信があるわけです。

——どのくらい回ったんですか。

山川課長 たくさん回っていますよ。10数か所。ある道場には15回くらい通っています。

——流派に関係なくですか。

山川課長 流派を問いません。小林流、少林寺流も行きましたし、上地流、剛柔流も行きました。

——課長になってすぐ始めたのですか。

山川課長 課長になった最初の年からです。「出稽古」のつもりで行っています。昔、空手をやってたときの無地の道着を使います。いちおう(少林寺拳法の)黒帯を締め……。

——現場を体感した上であくまで判断していきたいと。

山川課長 練習が終わったあと先生と懇親の席があるじゃないですか。同じ釜の飯という言葉もあるくらいです。自分の道場に県の課長が来て、稽古に食らいついていって、遊びじゃなく、本気でやっているというのが伝わると、先生の見方が変わります。練習の後、9時すぎから懇親して意見交換すると、そこで沖縄空手界の実情などを聞かされることも多いです。そうしたやりとりを織り込みながら、新しい施策に反映させる作業を続けてきました。

——いつごろから現場重視の仕事スタイルをされてきたんですか。

2017年3月に開館した〝沖縄空手の殿堂〟「沖縄空手会館」(豊見城市)

2017年3月に開館した〝沖縄空手の殿堂〟「沖縄空手会館」(豊見城市)

山川課長 実はずっとそうです。県庁に入って最初の職場が土木の用地課だったんです。白地の土地、地番のついていない土地は民法上、国庫に帰属するという法令があります。国有財産ですけど、その管理を都道府県知事に委任するという条項があったのです。その担当だったので、最初から常に現場でした。土地所有の紛争は、現場に身を置かないと解決の糸口を見出すことはできません。
 さらにその次は福祉事務所でした。私の場合は八重山が管轄だったので、竹富町と与那国町が主な仕事の現場でした。月の半分くらいは島々に行って、残り半分は事務所のある石垣島にいました。そういうことを最初の6年くらいの間ずっと経験しましたので、自分としてはいい体験だったと思います。

——沖縄空手も昔の本部朝基などの時代と比べてだいぶ変わってきたと思います。組手も型も競技というものが発生し、「掛け試し」という実戦に近い立ち合いはなくなりました。沖縄でも長老の先生方がよく演武されますが、武術のレベルとして、型だけを見てもよくわからないという人もいます。

山川課長 武術を体現できる先生は確かに存在します。多少具体名を挙げさせていただきますと、たとえば東恩納盛男先生(剛柔流)に受けを教えてもらいたいのですが、と言いながら一度向かい合ってみたらいいです。あと新城清秀先生(上地流)に打たれてみたらすぐわかります。ほかに仲程力先生(上地流)は86歳であのスピードと瞬発力は半端じゃありません。指も強いし、相当に鍛えている。あと表にあまり出てこないですが、高良信徳先生(上地流)も相当な使い手です。
 しょうりん流でも、究道館の比嘉稔先生(小林流)は突きがすごく速いです。島袋善保先生(少林流)も力強いです。
 これらは一例にすぎませんが、こういう先生方は世界の空手家が認めている存在なので、海外を中心にたくさん集まって来る。その先生に武術的な力があるかどうかを図る尺度の一つとして、海外支部やお弟子さんの数に着目していくとたどりやすいかもしれません。
 ただ昔に比べ、空手家の数が増えたということはあるので、全体の中で比率を見ていくと少なく見える面があるかもしれません。例えば10人いて7人すごい人がいるとしたら、なるほどスゴイと思うでしょうが、500人いてそのうちの30人が使い手だったら、7人と30人でしたら今のほうが人数的には多いわけですが、パイが大きくなった分、逆に小さく見えてしまうということがあるかもしれません。
(次回に続く)

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。