野党再結集の欺瞞と驕り――あの「民主党」の復活

ライター
松田 明

「元のさやに収まるだけだ」

 あっけなく消えたあの「民主党=民進党」が、懲りもせずにまた蘇りつつある。
 9月19日、立憲民主党の枝野代表と国民民主党の玉木代表、社会保障を立て直す国民会議の野田代表が国会内で会談し、衆参両院で「共同会派」を結成することで合意した。
 同じ日には、民主党政権で財務相だった安住淳氏も立憲民主党に入党し、同党ならびに共同会派の国対委員長に就任。
 さらに9月24日には、民主党政権で国交相だった馬淵澄夫氏も共同会派入りを表明。小沢一郎氏への反発から国民民主党を離党していた階猛氏も、同日、共同会派入りを表明した。
 いやはや、続々と集まってきている面子は、あの雲散霧消した旧「民進党」そのものである。

 立憲の枝野幸男代表が衆院での統一会派結成を提案したのは8月初めだった。その後、参院も含めることになったが、ここまで協議が長引いたのは、会派の人事などでもめていたからだという。相変わらずの主導権争いにあきれる。
 統一会派の結成自体、「元のさやに収まるだけだ」と冷ややかに見ている人が多いはずで、国民の関心が高いようには到底思えない。両党ともそうした追い詰められた状況にあることを改めて認識した方がいい。(『毎日新聞』9月20日「社説」

「永田町の数合わせにはくみしない」と、独自路線を貫いてきた枝野氏が一転、国民に統一会派を呼びかけたのは、党勢のかげりに対する危機感があるに違いない。
 だが、旧民進党が分裂してできた「多弱」野党が、再び手を組むだけでは、迫力は生まれない。(『朝日新聞』8月22日「社説」

と、新聞各紙も手放しの歓迎というよりは、むしろ危機感すら持ってこの動きを見ている。

あえて「共同会派」と称する理由

 ちょうど10年前の2009年9月に民主党政権が誕生した時、少なからぬ国民は同党の語る〝バラ色の夢〟に一縷の希望を託した。
 だが、ただただ政権奪取だけを自己目的化していたからだろう。その政権の座に就いた途端に、民主党は内部で主導権争いの権力闘争を激化させる。
 夢のようなマニフェストは、やはり夢に終わり、外交では日米関係も日中関係も最悪の状況に陥った。
 3年後の総選挙では、国民はこの政党を政権の座から引きずり下ろし、以後、同党への信頼は回復せず、支持率は低迷を続けたのだった。
 結局は、所属議員たちも自分たちの選挙が最優先になり、沈む泥船から脱出を図る。2017年の総選挙の前に小池百合子・東京都知事が「希望の党」を立ち上げると、われ先にと駆け込んで、民進党(旧民主党)はあっけなく空中分解した。
 希望の党から〝排除〟された者たちが急ごしらえしたのが立憲民主党。希望の党に移ったものの、小池氏の人気が翳ると、参議院に残留していた民進党と合体したのが国民民主党である。
 その怨念を抱えた者たちが、今また次の総選挙を前に、このままでは自分の当選が危ういと共同会派を組んだ。
 合意書で、あえて統一会派という名称を使わないと決めているのも、彼らの政策が必ずしも一致しないことや、いまだ双方に不信感と対立が根深くあるからだ。
 いずれにせよ、誕生するのはあの〝民主党〟の亡霊である。

共産党の政権構想に乗る

 枝野氏や玉木氏、野田氏らが〝旧民主党〟勢力の結集を急いだ背景には、「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」が、先の参院選で勢いづいたことが大きいだろう。
 その「れいわ新選組」の山本太郎代表は、9月12日、国会内で日本共産党の志位委員長と会談。
 山本氏は共産党が提唱する「野党連合政権」構想の実現に協力することで志位氏と一致した。
 だが、れいわ新選組が共産党との連合政権構想に踏み込んだことには、早速、連合から強い反発の声があがった。

 共産は立憲民主、国民民主両党などにも協議を呼びかけている。しかし、両党を支援する連合の神津里季生会長は12日の記者会見で「目指す国家像が違う共産と一つの政権を担うのはあり得ない」と強調した。(「読売新聞オンライン」9月12日

あきれた小沢氏の発言

 犬猿の仲の立憲民主党と国民民主党が〝元のさや〟に収まれるかどうかすら危ういのに、共産党の政権構想に乗るとなっては、とてもではないが国民にとって政権交代の選択肢になどなり得ない。
 枝野氏らがめざしているのは、結局、あの55年体制下での日本社会党のポジションではないのかと思わざるを得ない。
 ところで、旧民主党の崩壊を引き起こした小沢一郎氏が自身の政治塾での講演で、共同会派結成の動きについて次のように発言したと報じられている。

「大胆な政策を打ち出さなければいけない。その意味では大風呂敷を広げ、国民に訴えることが必要だ」と語った。
 野党結集に関しては「受け皿を形の上だけでもいいから作る。それほど中身の質が高いものを国民は期待しているわけではない。国民もメディアも政策が大事だと言うが、政策を自分で考えて精査して投票する人はほとんどいないし、メディアもいざとなると政策ではなく、政局ばかり報道している」とも語った。(『産経新聞』9月23日

 この報道のとおりだとすれば、有権者はずいぶんと見くびられたものだ。
 こんな発想で政治をもてあそび、政党をつくっては壊しと繰り返してきたことが、今の野党の体たらくを生んでいるのであり、彼らが批判する〝安倍一強〟を支えているのではないのか。

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