連載エッセー「本の楽園」 第80回 僕の好きな文芸誌

作家
村上政彦

 文芸誌というのは、小説や詩、エッセイや書評などを掲載した、文学に特化した雑誌をいう。僕は文芸誌の新人賞をもらって作家としてデビューしたので、何か特別な思い入れがあるかというと、そうでもない。
 ただし、デビューする前は、いわば修業のために何誌か定期購読していた。作家の名前が印刷された表紙を眺めて、いつかここに自分の名前が入ることを妄想していた。10代の半ばから20代の半ばにかけてのころだ。思えば、あれは僕の文学の青春だった。
 デビューしてからほとんど文芸誌は読まなくなった。気になる作家の作品が掲載されていると、ちらっと覗く程度で、文芸誌は読むものではなく、作品を発表する場に変わった。タモリが、「テレビは見るものではなく、出るもの」といっているのに近い。
 最近になって、また文芸誌を手に取るようになった。これには理由がある。大学の創作科で教えるようになったので、現在の文壇の動向を観察する必要に迫られたのだ。学生たちに最新の文学事情を伝えるためだ。
 僕の好きな文芸誌は、『MONKYE』である。翻訳家の柴田元幸さんが責任編集を務めている。毎号、趣向を凝らした特集を組み、執筆陣もすぐれた作家をそろえている。季刊の理由は、何となく推測できる。編集部の体制は詳しく知らないが、これを月刊でやるのは大変だろうとおもう。
 いま僕の手元にあるのは、vol.15。「特集 アメリカ短編小説の黄金時代」と銘打って、村上春樹氏がジョン・チーヴァーの短篇を翻訳している。雑誌の冒頭にある柴田さん(多分)の「猿のあいさつ」によれば、

いずれこの、一九五〇年代アメリカという、さんざん腐されてきた時代と場所を取り上げてみたい、と思っていたところへ、なんと村上春樹さんが五〇~六〇年代の代表的な短編作家ジョン・チーヴァーを訳されているとのこと。渡りに舟、とばかり『MONKYE』に登場をお願いし、チーヴァーを核に据えた五〇年代アメリカ特集となりました。

という。この時代は、「作家がよい小説を書けば、それを載せてしかるべき原稿料を払う雑誌があり、それを買って読んで味わう読者も一定数いた時代」(いい時代だなあ)。サリンジャー、マラマッド、カポーティたちが活躍した。
 チーヴァーの作品は、『巨大なラジオ』、『引っ越し日』、『泳ぐ人』、『パーシー』、『四番目の警報』の短篇小説に加え、『なぜ私は短篇小説を書くのか?』というエッセイがある。『巨大なラジオ』と『泳ぐ人』は、チーヴァーの代表作だ。
『巨大なラジオ』は、アパート暮らしの夫婦が、古くなったラジオを買い替えたところ、新しいラジオが、住民たちが部屋で交わしている日常的な会話を「受信」するようになり、そのせいで夫婦の関係が険悪になる話。
 ありえない物語が淡々と語られていく。当時、アメリカのどこの家庭にもあったラジオというメディアを使って、オリジナルな世界を描いている。着地点も見事なものだ。僕はかつて盗聴マニアの若者が登場する短篇を書いたが、こういう設定はおもいつかなかった。
『泳ぐ人』は、友人の家のプールで泳いでいたある男が、知り合いの家のプールを梯子して泳いでいけば、自宅までたどりつけるのではないかと考え、難行苦行の末に実行する話。この作品は結末で、あっといわせる仕掛けになっている。読み終えて、なぜ、男が奇妙な試みをするのか、何となく納得がいく。
 僕はチーヴァーを知っていたし、何作か短篇を読んだこともある。すぐれた作家だとはおもっていたが、この特集でまとめて読んでみて、あらためてその思いを強くした。彼はエッセイで書いている。

 誰が短篇小説を読むのか、とあなたは尋ねるかもしれない。歯医者の待合室で、治療椅子に呼ばれるのを待つ男女によってそれは読まれる。あるいは大陸を横断する飛行機の中で、我が国の東西両海に生じる長い時間を、あほらしい下品な映画で潰すかわりに、それは読まれる。眼鏡と知見を持ち合わせた男女――彼らは物語(ナラティブ)フィクションというものは我々が互いを理解し、時として面食らわされる我々のまわりの世界を理解するために有用なものだと感じているようだ――によってそれは読まれる。私はそのように思いたい。

小説はいまだに物語(ナラティブ)をしっかり保持している。ストーリーというものを。これは命を賭けて守るに値する。

 チーヴァーは小説の力を信じていた。彼の思いは、現役の小説家である僕を励ましてくれる。
 さて、『MONKYE』のこの号には、ほかにもチャールズ・ブコウスキーの短篇があった。訳は柴田さんである。僕はブコウスキーのファンなのでうれしくないはずがない。また、柴田さんと村上春樹氏との対談もある。
 僕は『MONKYE』の定期購読者ではない。自分の好きな特集があるときだけ注文している。でも、そろそろ定期購読者になろうかとおもっているところだ。

参考文献:
『MONKYE』vol.15 アメリカ短篇小説の黄金時代(柴田元幸責任編集/スイッチパブリッシング)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。