宗教を蔑視する日本共産党——GHQ草案が退けた暴論

ライター
松田 明

目障りな宗教を攻撃する

 作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が、日本共産党の動きに警鐘を鳴らしている。
 このところ同党は機関紙誌で、創価学会の人事への憶測記事や、公明党支援を非難する記事のほか、あきらかに宗教的価値観に立ち入って揶揄する類の記事を相次いで掲載しているのだ。

 共産党は今、かつての「言論問題」の頃のように、創価学会・公明党に対する〝政教一体〟批判を強めようとしているのだと思います。言い換えれば、共産党は公明党に〝価値観戦争〟を仕掛けてきているのです。(『第三文明』9月号

 共産党は〝厳格な政教分離を〟という大義名分のもと、創価学会攻撃を強めているのです。もちろん、創価学会の公明党支援が憲法の政教分離原則に抵触しないことは言うまでもないことです。(同)

 日本国憲法第20条は「信教の自由」を定め、それを担保するために「政教分離の原則」を示している。この「政教分離」は英語では「Separation of Church and State」と表現され、文字どおり「教会と国家の分離」を意味している。〝政〟は「政治」や「政党」ではなく「国家」なのだ。
 第20条の条文にある〈いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない〉は、国家の宗教的中立を定めたもの。
 国会に議席をもち、さらに政権奪取を掲げる日本共産党が、政党間の論争ではなく、自分たちに目障りな特定の宗教団体を攻撃すること自体、異常なことなのだ。

独善と宗教蔑視の論理

 日本共産党はこれまでも特殊な主張で、創価学会と公明党の関係を非難してきた。

 信仰者と宗教団体が広い意味での政治参加の権利をもつことは当然であるが、宗教団体が特定政党とその議員候補の支持を機関決定して、信者の政治活動と政党支持の自由を奪うことは正しくない。信者一人ひとりの政治活動と政党支持の自由を大切にすることは、民主主義の初歩的原則である。しかも、宗教団体の特定政党支持は、信者の民主主義的自由を奪うだけでなく、その政党の誤った態度まで宗教団体が支持するという二重に有害な結果をもたらす。(「宗教についての日本共産党の見解と態度」

 宗教団体が特定政党とその議員候補の支持を機関決定して信者に強要することは、信者の政治活動と政党支持の自由を奪うことを意味し、許されてはならないことです。これは労働組合などによる候補者の推薦および選挙活動についても同様ですが、宗教団体の場合は、宗教的権威をもって信者に特定政党とその候補者への支持を押し付けることになりますから、とくにきびしく批判されなければなりません。(『しんぶん赤旗』2007年6月30日※傍線は筆者

 宗教政党の政権参加が憲法上許されるのかどうかという一般的な角度の問題ではなく、この異常で特殊な集団の政権参加の是非の問題として、社会的な批判と吟味にさらされる時期が必ずやってくる。(同)

 与野党を問わず、労働団体、業界団体、経済団体、医師会などの諸団体が、特定の候補者や政党への支持・支援を機関決定することは、あたりまえに行われている。
 日本共産党も選挙のたびに、全労連、民商、全商連、民医連といった共産党系の諸団体から支持決定を受けてきた。
 それは容認されて、宗教団体が支持・支援を機関決定することだけは〝正しくない〟と言う。これ自体が「法の下の平等」など日本国憲法の理念を真っ向から否定する暴挙であろう。
 しかも日本共産党は、宗教団体の場合だけは〝宗教的権威をもって押し付ける〟ことになるから正しくなく、批判されるべきだなどと主張する。
 あるいは、創価学会は「政治参加の是非」が問われる「異常で特殊な集団」だとも断じている。そこにこそ同党の独善性と宗教をもつ人々への蔑視、憲法否定の本音が如実にあらわれている。

草案審議で一蹴された〝暴論〟

 じつはこの日本共産党の悪質な〝難癖〟は、日本国憲法の草案がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内部で検討されていた時点で決着済みなのだ。
 当初、人権小委員会のロウスト中佐らがつくった案は、戦時中の国家神道を念頭に、宗教者の政治参加を禁止しようとしていた。その理由として挙げられていたのが、まさに日本共産党がいう「宗教的権威」の問題だった。

 ロウスト中佐は、本条は、霊的な権威が政治的目的のために濫用されるのを防止することを目的としたのであると述べた。(「民生局会議録」/キョウコ・イノウエ『マッカーサーの日本国憲法』)

 これに対し運営委員会のハッシー海軍中佐は、

 人々が教会(=寺社を含む)の権威によって確信を抱いて政治行動に走るということについては、意見を同じくしながら、これは、個人の良心の問題であり、憲法改正や制定法によって改められることは期待できない事柄である、と指摘した。(同)

 宗教者や宗教団体が政治活動をする際に、人がそこに何らかの宗教的権威や使命感を受け止めて行動するかどうかは一概にはわからない。
 しかし、仮にそのような受け止めで政治行動をしたとしても、それは「個人の良心の問題」である。そのような理由で宗教者の政治参加を排除してはならないと、草案の修正を求めたのだ。
 またハッシー中佐は、特定の宗教の思想の内実に評価を加えて差別することは、

 新しい宗派の抑圧を正当化する根拠として用いられることがある

とし、これらは、

 国が宗教に干渉することを是認

する行為になると警告した。
 こうした緻密な議論を経て、憲法20条は生まれているのである。
 宗教的権威などという言い草で宗教団体だけを政治参加から排除しようとする。まして特定の宗教団体の思想にレッテルを貼り、政治参加の権利を疑問視する。国会に議席をもち、政権奪取を掲げる政党がそれらを平然と行っている恐ろしさ。
 日本共産党の主張こそ、憲法起草者たちが危惧したもの。まさに「政教分離原則」を踏みにじる暴論そのものなのだ。

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