コラム」カテゴリーアーカイブ

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第10回 『沖縄の空手道』を発刊

父子一体で世界に羽ばたく

 1969年1月、長嶺将真は最初の海外指導に出かけた。
 すでに5年ほど前、第1号となる海外指導員をアメリカのニューヨークに送り出し、「沖縄松林流USA本部」の名称で組織化していた。以来、沖縄から次々と指導員を派遣していた。
 1967年には長男の高兆(たかよし)をオハイオ州へ送り出した。現在、松林流の海外支部の多くが北米・南米に集中するのは、こうした開拓の成果といえる。
 長嶺は最初の海外指導に70日ほどかけているが、生涯において4度の海外指導を敢行している。 続きを読む

ワクチン対策を牽引する公明党――GAVIが謝意を表明

ライター
松田 明

研究開発を「加速」させてきた

 日本経済団体連合会(経団連)は10月13日に「主要政党の政策評価2020」を発表した。
 ここでは、

 自由民主党を中心とする与党は、緊急事態宣言の発令等により国内での新型コロナウイルスの爆発的拡大を防ぐとともに、二次にわたる補正予算を成立させるなどした上で、感染症対策と経済回復の両立に取り組んでいる。さらに、ポストコロナ時代の新しい経済社会を見据え、デジタルトランスフォーメーション(DX)、テレワーク等の新しい働き方の定着等を推進しており、高く評価できる。

としたうえで、公明党の取り組み実績のひとつとして、

 治療薬・ワクチンの研究開発の加速、あらゆる事態に備えた医療提供体制の整備

を挙げた。 続きを読む

連載エッセー「本の楽園」 第101回 詩の読みようについて

作家
村上政彦

 某大手書店の偉い人と会食をしたとき、「文学は売れません」と断言された。分かってはいたが、読者にいちばん近い現場の人に言われて、あらためてがっかりした。しかしその人は続けて、「ところが茨木のり子は売れるんです」と言う。
 茨木のり子は詩人だ。僕も名前は知っているし、何篇かの詩は読んだ記憶があった。ただ、日本において、詩は、小説よりも、さらに売れないジャンルである。海外では、詩が売れる国もあると聞く。
 しかし、日本では、詩が売れる、と聞いたことはない。僕は、茨木のり子に関心を持った(そりゃそうでしょう)。そして、家に帰って書庫にあった彼女の本を探した。『詩のこころを読む』という本があった。 続きを読む

特集⑫ 山崎正友の謀略――山崎を「軍師」と仰いだ僧侶たち

ライター
青山樹人

「マッチポンプ」を仕掛ける

 日蓮正宗の内部では、1976年頃から、日達を師僧として得度した若手僧侶たちの先鋭化した動きが活発になってきた。
 山崎正友は妙信講問題の対応で本山に出入りしていく時期に、このうちの一人である浜中和道と親しくなっていた。
 もちろん山崎に人間としての信義などあろうはずもなく、最終的に浜中は山崎に利用されるだけ利用されたあげくに使い捨てられ、さらに自分の女房を山崎に奪われるという裏切りに遭う。 続きを読む

長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第9回 実業家としての挫折

ジャーナリスト
柳原滋雄

2度の経営失敗

 1957年8月、長嶺将真はわずか8票差で瀬長亀次郎市長の信任を問う市議会選挙で敗れた。従来は長嶺票に数えられていた「ソシン」とだけ記載した票が10票ほどあって最後まで判定に悩んだというが、運悪くこのときの選挙には同じ名前の候補者がいたことでこの10票すべてが取り消しとなった。そんなハプニングで落選しながらも、それでも長嶺は意気消沈して動きを止めたわけでもなかった。
 実際、翌月下旬には、沖縄タイムス紙に沖縄空手道連盟の知花朝信会長と長嶺(副会長)の空手に関する対談記事が上下2回で掲載されている。
 さらに10月には長崎市で行われた琉球物産展示会で長嶺が空手演武団の団長を務めるなど、空手に取り組む意気込みは衰えていなかった。 続きを読む