コラム」カテゴリーアーカイブ

公明党は〝媚中〟なのか――「勇ましさ」より「したたかさ」を

ライター
松田 明

海外の専門家は評価、国内世論は不満

 興味深い記事を読んだ。現代中国政治・外交が専門の高原明生氏(東京女子大学特別客員教授)が、最近の月刊誌『第三文明』で次のように述べていたのである。

 競争と協力を両立させて中国と付き合う日本に対して、EU圏の専門家などからは評価する声も聞こえてきます。日本がそうした範を示すことが、結局はアメリカや中国、ひいては国際社会に安定をもたらすのではないでしょうか。
 あえて表現するならば、米中という大国に挟まれた日本は、〝双方からうまみを得られるような〟強(したた)かな外交を展開してほしいです。(『第三文明』2025年6月号)

 近年の習近平政権は、対外的に強硬な姿勢をますます強めているように映る。
 日本にとっても、尖閣諸島沖への相次ぐ中国軍機や公船の領海・領空侵入が、安全保障上の不安を高めている。
  また、2023年には北京で働く日本の製薬会社の社員がスパイ罪の容疑で逮捕。今も当局に拘束されており、中国で暮らす日本人の安全が不安視されるなどの状況がある。
 他にも、国際社会からは国内の人権問題や周辺地域での軍事活動に懸念が表明されている。 続きを読む

芥川賞を読む 第55回 『穴』小山田浩子

文筆家
水上修一

ありふれた日常の中にある異界

小山田浩子(おやまだ・ひろこ)著/第150回芥川賞受賞作(2013年下半期)

語らないことで想像をかきたてる

 実験的で技巧的な文章にやや食傷気味だった筆者にとって、小山田浩子の「穴」は、とても読みやすく、力を抜いて小説世界に浸ることができた。村上龍が「複雑な構造の作品ではなかったことにまず好感をもった。」と評した通りだ。

 ――非正規雇用の「私」は、郊外に引っ越すことになった。そこは、夫の実家に隣接する貸家で、家賃はゼロ。お金のためにあくせく働く時間は消え去り、日がな一日することがほとんどない専業主婦の生活が始まった。外を歩く人などほとんどいない強い日差しが降り注ぐ夏。車のない「私」は、コンビニに行くにも時間をかけて徒歩で移動するしかない。
 それまでとは全く異なる土地と環境の中で、奇妙な出来事がいくつも起きる。得体の知れない黒い獣の後を追ううちに、背丈ほどもある穴に落ちる。人気の少ない場所と不釣り合いなほどの大勢の子どもたちが河原で遊んでいる。義祖父は、豪雨にもかかわらずひたすら庭に水を撒き、饒舌な義母は小銭をくすねる。そして、その存在など聞いたこともない義兄が、隣接するプレハブ小屋で暮らしていた…。 続きを読む

書評『歴史と人物を語る(下)』――生命を千倍生きゆけ!

ライター
本房 歩

「下巻」は仏法者としての人物論

 創価学園・創価大学の創立者である池田大作氏は、歴史上の人物論について若き俊英たちに語る機会を幾度か持った。『歴史と人物を語る(上)』には、こうした教育機関での創立者としての講演が収められている。
 一方、創価学会の第3代会長を辞した後も、創価学会名誉会長あるいは創価学会インタナショナル会長として、さまざまな機会を通して会員たちにスピーチや随筆などを贈り続けた。

 そうした創価学会内での言論でも、池田氏は古今の世界の名著を紐解き、東西の偉人たちの生き方を通して、「真に崇高な生き方とは何か」「幸福な人生とは何か」を語ることが常であった。
 多くの場合、宗教指導者の〝説法〟は、その信仰世界の内部の世界観や価値観に閉じたものになりがちだ。池田氏は、むしろそのような独善的なものにならないように、とりわけ青少年世代の会員が普遍的な知性と教養を身につけられるよう心を砕き続けた。 続きを読む

参院選、大日本帝国の亡霊――戦時体制に回帰する危うさ

ライター
松田 明

「神社の国有化」掲げる政党

 共同通信社による全国電話世論調査(第2回トレンド調査)で、比例代表の投票先として参政党が8.1%となり、国民民主党(6.8%)、立憲民主党(6.6%)を上回って2位に浮上したと報じられていた。
 参政党の支持層については、6月下旬に出た古谷経衡氏による「参政党支持層の研究」が話題になっているので、ここではあえて深く触れることはしない。
※画像は「参政党」X公式ページより

 参政党の主張する「小麦粉の文化は戦後できたもの」(※実際にはウドンは平安時代から、そうめんは室町時代から日本で食されている。パン屋も明治時代から存在する)とか、「癌は戦後できた病気」(※実際には江戸時代に華岡青洲が乳がんの手術を成功させている)、多くの農家から猛反論を浴びた「生産者の大半が自身が手がける食材の危険性を訴えています」といった言説については、もはや各自の賢察にゆだねるほかない。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第89回 正修止観章㊾

[3]「2. 広く解す」㊼

(9)十乗観法を明かす㊱

 ⑦通塞を識る(2)

 (3)天台家の解釈①

 前回記した六師の説に対して、すでに簡潔な批判が提示されていたが、さらに短い批判が説かれる。それについては省略する。ここでは、天台家の五百由旬の解釈について、第一に生死の場所、第二に煩悩、第三に智慧に焦点をあわせて示されている内容を紹介する。
 第一に、生死の場所に焦点をあわせる場合、三界の果報を三百由旬とし、方便有余土・実報無障礙土は五百由旬の場所とするとされる。三界の果報とは、三界内部の煩悩をすべて断ち切った阿羅漢の境地を意味すると思われる。方便有余土・実報無障礙土は、天台教学における四土(凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土)に含まれるものであり、方便有余土は、見思惑を断じたが、まだ塵沙惑・無明惑を断じていない二乗・菩薩の住む国土であるとされる。実報無障礙土は、別教の初地以上、円教の初住以上の菩薩が生身を捨てて住む国土であるとされる。 続きを読む