書評『希望の源泉 池田思想⑧』――『法華経の智慧』めぐる語らい完結

ライター
本房 歩

「池田思想」としての『法華経の智慧』

 作家の佐藤優氏によって月刊誌『第三文明』2016年8月号から開始された連載「希望の源泉 池田思想――『法華経の智慧』を読む」が遂に完結し(2025年6月号)、その単行本化の最終巻となる第8巻(『希望の源泉 池田思想⑧』)が刊行された。

 まず『法華経の智慧』は、SGI(創価学会インタナショナル)会長でもある池田大作・創価学会第3代会長(以下、原則としてSGI会長と表記)が、1995年初頭から1999年6月までの期間に、法華経28品の全編を創価学会教学部の代表との座談形式で講義した書物である。
 法華経は大乗経典の代表的な経典として、その成立から約2000年間にわたって多くの地域で多くの言語に翻訳された。ゆえに「経の王」とも称されている。
 とりわけ鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」は、日本を含む東アジアの仏教体系、政治、文化にも多大な影響を与えてきた。創価学会が信奉する日蓮大聖人も、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」を用いている。
 創価学会は会憲の「前文」 冒頭で、

釈尊に始まる仏教は、大乗仏教の真髄である法華経において、一切衆生を救う教えとして示された。末法の御本仏日蓮大聖人は、法華経の肝心であり、根本の法である南無妙法蓮華経を三大秘法として具現し、未来永遠にわたる人類救済の法を確立するとともに、世界広宣流布を御遺命された。(「創価学会会憲」

と記したうえで、同会が牧口常三郎・戸田城聖・池田大作という三代の会長を永遠の師匠として、その日蓮大聖人の遺命たる「世界広宣流布」を成就しゆく団体であることを明記している。いわば、創価学会にとって思想の根源ともいえるものが法華経という経典なのである。
 SGI会長は、創価学会が日蓮正宗の権威の鉄鎖から解き放たれた1990年代に、もはや宗門教学に縛られない自在の境地から、後世のために法華経全編の講義に挑んだ。
 その成果である『法華経の智慧』は、単なる法華経の講義というより、鳩摩羅什訳の法華経を借りてSGI会長の思想を語った〝SGI会長の法華経〟といえるのかもしれない。

 本書『希望の源泉 池田思想――『法華経の智慧』を読む』は、そのSGI会長の語る法華経を、元外務省主任分析官で作家の、しかもプロテスタント信徒の佐藤優氏が読み解いたという意味で、二重の広がりをもつものになったように思われる。
 1つは、四半世紀前に綴られた講義を現在進行形の国内外の政治・社会情勢と照らし合わせながら、生き生きと再読できた点。
 もう1つは、異なる宗教の信仰を持つ知性の解釈を通すことで、『法華経の智慧』に表出した「池田思想」が仏教という枠をも越えて、さらなる普遍性をもって読まれた点である。

連載中の世界の大きな変化

 佐藤氏は本書の「まえがき」で、9年近い連載中に起きた大きな変化について言及している。
 第1は、「地域紛争の枠組みに収まらないような戦争が常態化していること」。2022年2月にはロシア・ウクライナ戦争が勃発し、2023年10月にはパレスチナのガザ地区を実効支配するハマスとイスラエルとの間で紛争が勃発した。
 佐藤氏は、ロシアとイスラエルがともに核保有国であることを挙げ、これらの戦争はいつ第三次世界大戦に発展してもおかしくないものである点を指摘する。

 第2は、冷戦終結後の30年以上進んできたグローバリゼーションと新自由主義に歯止めがかかり、国家機能が強化され自国第一主義が台頭する状況が生まれていることだ。
 米国ではその象徴ともいえるトランプ氏が2度の大統領職に就いた。ヨーロッパが政治的・経済的・軍事的にも脆弱であることが可視化された一方で、ロシアや中国のような権威主義的国家が国力を強化していると佐藤氏は語る。
 さらに、インド、ブラジル、南アフリカといった「グローバルサウス」は、価値観においても外交政策においても「グローバルノース」と一線を画し、自国に利益があるならロシアや中国とも付き合うというプラグマティック(実利的)な対応をしている。

 さらに佐藤氏は、日本国内における排外主義、自国第一主義の台頭にも警戒感を示している。
 この「まえがき」は2025年10月2日の日付で記されているが、奇しくも1週間後の10月10日に公明党は四半世紀におよぶ自公連立の関係に区切りをつけた。

 約九年に及んだ連載の途中では、池田先生が逝去(二〇二三年十一月十五日)され、大きな節目を迎えました。そのことによって、今後池田先生が時事的な出来事に対して提言やコメントをされる機会はなくなったわけです。だからこそ、『法華経の智慧』という大著の価値は、今後、さらに重みを増していくと思います。これから起きる、国内外のさまざまな出来事を、信心の眼(まなこ)からどう捉えていけばよいのか? その一つの基準になり得る書物であるからです。(本書)

 この第8巻に収録されたのは、『法華経の智慧』のうち「嘱累品」から「普賢菩薩勧発品」にあたる。
 佐藤氏は法華経における「嘱累品」の位置づけについて、『法華経の智慧』(普及版)に記されたSGI会長の言葉を紹介している。

 嘱累品は、「付嘱」とは「後継」です。「後継」とは「師弟」です。ゆえに、嘱累品とは「後継品」であり、「師弟品」とも言える。末法に広宣流布していくための「広宣流布の師弟」品です。戸田先生も、嘱累品を大切に感じておられた。(『法華経の智慧』下巻251ページ)

「宗教ゼロ」の社会に入り込むものとは

 ところで、この『第三文明』誌上での連載が続いていた2023年6月末、佐藤氏は妻から提供された腎臓を移植する「生体腎移植」の手術を受けた。
 手術が成功したこと、医師の言葉と裏腹に手術後に痛みをまったく感じなかったことに付随して、佐藤氏は手術の際に「祈りの力」を強く感じたと述べている。
 麻酔で眠っている手術のあいだ、幼少期から最近までの記憶が解凍されたようにあふれ出し、次に不思議な宗教的体験もしたというのだ。

 まず、キリスト教の「主の祈り」――「天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ」で始まる代表的な祈禱文が聞こえてきました。私はプロテスタントのキリスト教徒ですから、「命の危機」というべき大手術に際して、「主の祈り」が聞こえてくるのは自然なことです。不思議なのはその次で、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と、低い男性の声でゆっくりと題目三唱する声が、はっきりと聞こえてきたんです。(本書)

 佐藤氏はこの不思議な体験に触れ、「学会員の皆さんが私の手術の成功を祈って題目を送ってくださった。その祈りに私の生命が感応したのでしょう」と述べている。
 続く「観世音菩薩普門品」ではリーダー論として読み解く「観音品」が語られ、「陀羅尼品」では「罰論」の現代的意義について。「妙荘厳王本事品」では信仰で結ばれた家族の絆が語られている。

 一方で本書の終盤では、自公が大敗して過半数を割った2024年10月の衆議院選挙の結果を受けて、佐藤氏は知己でもあるエマニュエル・トッド氏の著作『西洋の敗北――日本と世界に何が起きるのか』(文藝春秋)に言及する。
 トッド氏はこの本で、宗教に焦点を当てて「西洋の敗北」を論じている。ユダヤ教・キリスト教の強い影響下にあった西洋文明で急速に宗教の世俗化が進行し、今や「宗教ゼロ」の層が欧米で拡大している。
 その「宗教ゼロ」の社会では、人々の精神の空白にニヒリズム(虚無主義)が入り込んできていると佐藤氏はいう。刹那的な欲望に執着し、信用できるのはお金のみで、歴史にも関心がなくなり、歴史的に整合性のとれないような言動が横行するというのである。

 ヨーロッパの先進国がキリスト教という土台を失ってニヒリズムに侵食されつつあるなか、日本では公明党・創価学会が〝ニヒリズムへの防波堤〟になっているのです。その点でも、公明党の役割は以前より増して大きくなると思います。(本書)

『法華経の智慧』を貫くものとは

 9年に及ぶ連載を終えるにあたって、佐藤氏は「法華経とは『師弟不二の経典』である」というSGI会長の言葉に言及している。法華経の全体を貫く〝心棒〟は「師弟不二」の精神なのだと。
 この創価学会における「師弟」とは、親分・子分のような上下の関係ではないし、神秘主義や権威主義とも無縁なものだ。
 弟子は師匠を求めて求道心を起こすが、それは師弟一体となって衆生を救済していくためであり、弟子が師匠と同じ境涯を獲得していくためであり、世代を超えて広宣流布の流れを永続させゆくためである。

 同時に佐藤氏は、『法華経の智慧』を貫くもう一つの大きなテーマが、SGI会長の「人間主義」を掘り下げることだったと指摘している。
 それは、一義には「一人の人を徹底的に大切にしていく」哲学であり、十界互具(あらゆる生命に仏界が具わっている)の法華経思想を基盤とした「万人を肯定する思想」だと佐藤氏は指摘している。
 そして、『法華経の智慧』の「序論」でSGI会長が語った一節、

 共産主義も資本主義も、人間を手段にしてきたが、人間が目的となり、人間が主人公となり、人間が王者となる――根本の人間主義が「経の王」法華経にはある。こういう法華経の主張を、かりに「宇宙的人間主義」「宇宙的ヒューマニズム」と呼んではどうだろうか。(上巻25ページ)

を引用して、

 旧来のヒューマニズムと池田先生の人間主義の違いは、地球という枠にとらわれないスケールの大きさとともに、人間を手段視しない点にあるというのです。これは、池田思想を論じる上でも重要な一節だと思います。(本書)

と語っている。

 ところで、単行本にして全8巻に及んだ連載を振り返って実感するのは、不思議な〝時の符合〟である。
 既に池田SGI会長が公の場に出なくなった2010年代、創価学会は世界宗教化に向けて会憲の制定や会則における教義条項の改正などを着実に進めた。
 また、支援する公明党は2012年からふたたび自民党と連立政権を組み、平和安全法制を憲法9条の枠内で成立させたことによって、仮に今後フルスペックの集団的自衛権を行使するためには憲法を改正するしかないという線引きを明確にさせた。

 こうした大きな変化に直面するなかで、佐藤優氏という宗教にも国際政治にも造詣の深い、しかもキリスト教徒の論客が、誰よりも真摯に池田SGI会長の著作に挑み、時々刻々の社会情勢に触れながら、平易な言葉で池田思想の深淵さと創価学会の持つ使命の大きさを語り続けた。このことは、多くの創価学会員にとって支えとも励ましとも光ともなったのではないかと想像する。

 法華経では、仏滅後の悪世に法華経の受持者が広宣流布への闘争を起こす際、諸菩薩はもとより異教の神々までもが寄り添って守護すると誓願している。
 池田SGI会長の著作を自在に論じるということは、むしろ創価学会の会内の人間の立場では、たとえ最高幹部でも困難であったことと思う。佐藤氏がキリスト教徒の論客であったからこそ、ある意味で『法華経の智慧』は現在進行形の書物として、今を生きる読者にあらためて可視化できたのではないか。
 この最終巻の見本刷ができあがるのとほぼ同時に、公明党は連立の座を離れた。SGI会長の逝去を経て、未踏の新しい地平へと創価学会が進む時期に、こうした連載が続き、完結したことに深い感慨を覚える次第である。

『第三文明』連載の「希望の源泉・池田思想」がいよいよ完結!

『希望の源泉・池田思想――『法華経の智慧』を読む 8』
佐藤勝 著

定価:1,650円(税込)
2025年11月14日発売 第三文明社
⇒公式ページ
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