書評『SDGsな仕事』――「THE INOUE BROTHERS…の軌跡」

ライター
本房 歩

持続可能な社会をデザインする

 あふれんばかりの情熱と、他者の幸せのために尽くしぬいていく真心。本書を一読して、彼らの放つエネルギーに強く胸を打たれた。
 デンマークで生まれ育った日系二世の井上聡・清史の兄弟と、聡の妻であるウラの3人で2004年に立ち上げたデザインスタジオ「ザ イノウエブラザーズ」。彼らが手がけるニットアイテムは南米の中央アンデス高原に生息するアルパカの繊維で作られている。早くからコムデギャルソンの川久保玲氏など世界的デザイナーの目に留まり、今では彼らの代名詞としてファッション業界で広く知られている。
 彼らの取り組みが注目されるのは、単に洗練されたアイテムを生み出しているからだけではない。アルパカニットをはじめ、彼らが手がける製品やプロジェクトはすべて「持続可能(サスティナブル)」という視点に貫かれている。優れた文化や伝統技術を支える先住民や女性たちが搾取・差別されている現状や、年々深刻化する気候変動などの解決に資するよう設計されているのだ。
 こうしたクリエイティブなアイデアを通じて社会課題の解決を図る「ソーシャルデザイン」の取り組みと、彼らの純粋で情熱あふれる一貫した姿勢が、国境を越えて各地で多くの共感を呼んでいる。
 本書は創業者の1人である井上聡が、自身のこれまでの半生や、会社設立の経緯、今後の展望などを語りおろした内容となっている。
 さらに、タイトルに「SDGs」とあるように、デンマークでマイノリティとして育ち、人種差別や貧困といった辛い経験を重ねてきた聡たちの事業が、どのようにSDGs達成の取り組みへと結びついていくのかを示す構成となっている。
 ビジネスを通じた社会貢献を考えている人や、気候変動の問題に関心のある人はもちろん、将来がまだ定まっていない高校生や大学生にも多くのヒントが散りばめられている一書だ。

成功の先にあった暗闇

 今でこそ寛容のイメージがある北欧のデンマークだが、聡と清史が育った1980年代当時は白人中心の社会だった。アジア人の外見をした彼らは、小さい頃から周囲から奇異な視線を浴びせられ、聡は幼稚園児の頃から早くも「人種差別」を受ける。その時の痛みと悔しさは今も聡の心に深く刻まれている。
 父・井上睦夫は44歳の若さで、まだ中学生だった兄弟を残してこの世を去った。母・さつきは、最愛の夫を失った悲しみを抱えながら、苦しい経済状況のなかで兄弟を育てあげた。
 差別を受けた経験、父との早すぎる別れ、貧困の苦しみ。いつしか兄弟は、「社会的に成功して偉くなりたい」と人一倍強いハングリー精神を燃やすようになる。
 実際に、聡はグラフィック・デザイナーとして、清史は美容師として、それぞれの業界で華々しい結果を残し、異例のスピードで昇進を遂げた。少年期に誓ったリベンジを早々に果たすことができたのだ。
 ところが、望んでいたはずの成功を収めた聡の心に残ったのは、強い焦燥感だけだった。手がける仕事が大きくなるほど、自身にかかるプレッシャーは大きくなり、いったい何のために働いているのか、聡はすっかり見失っていた。
 暗闇の中にいた聡に明かりを灯したのが、父・睦夫が生前に語っていた〝ビジネスにおいて、一番大切なのは、周りの人を幸せにすることだ〟とのメッセージだった。
 それまでの利己主義的な生き方を反省し、「父ちゃんに誇れる生き方をしよう」と決心した聡は、清史とウラとともに、「ザ イノウエブラザーズ」を設立したのだった。
 本書では彼らの活動を代表する南米のアルパカプロジェクトをはじめ、南アフリカ共和国や、パレスチナで展開するプロジェクトの状況も紹介されている。さらに、2022年から沖縄で暮らす聡の心境と、構想を練っているプロジェクトについても語られている。
 また、すべてのプロジェクトのベースには、聡が信奉する日蓮仏法の「自他ともの幸福」や「一人を大切にする生き方」といった考え方があることも明かされている。聡の不正に対する怒りや、社会課題の解決への一貫した熱意は、他者の幸せを真剣に祈り行動する信仰心によって支えられているのだ。

〝安さ〟の裏にあるもの

 ところで、本書の「おわりに」では1つ興味深いやりとりが記されている。「ザ イノウエブラザーズ」の商品の値段をめぐって、ある留学生と聡が交わした質疑応答だ。
 留学生は、アルパカニットを先住民たちには到底手の届かないような値段で売るのはなぜか、と単刀直入に聡に問う。アイテムにもよるが、たとえばマフラーは2万円前後で売られていて、カーディガンでは5万円以上するものもある。私たちでも気軽に手が伸びる値段ではないことはたしかだ。
 留学生からの質問に関連して、聡は次のように語っている。

人と環境に配慮し、さらに生産から販売に至るすべての過程で一切妥協せずに、僕たちは商品を作り上げ、それをフェアトレードで販売します。総合的に見れば、この価格は本当は決して高くはないのです。同じものを他のブランドが作るとしたら、僕たちの数倍の値段になるでしょう……不当に搾取されてきた人々がいることで成り立つ〝安さ〟を、僕自身は決して受け入れたくはない。(本書)

 優れた技術を提供する先住民に正当な対価を支払い、さらに地球環境に配慮した生産や流通の過程などを考慮すると、彼らのアイテムは決して法外な値段というわけではない。
 また、丹精込めて作られた良質なアイテムは使う人の生活に長く寄り添ってくれる。もっといえば、不要な中抜きを排除し、生産者とダイレクトトレードを行っていることは、昨今のような物価高騰の影響も最小限に抑え、価格の安定にもつながるはずである。本書は、私たちに普段の消費行動を顧みるきっかけを与えてくれる。
 数々の試行錯誤と失敗を繰り返しながらも、不条理に苦しむ人を置き去りにしないとの強い信念で行動し、世界中にたくさんの仲間を作ってきた「ザ イノウエブラザーズ」の軌跡、そして未来のビジョン。ぜひ本書を手に取って、彼らの熱い思いに触れてほしい。

『SDGsな仕事
 ──「THE INOUE BROTHERS…」の軌跡』

 
井上 聡 著
 
価格 1,870円(税込)
第三文明社/2023年12月21日発売
 
⇒紙版・電子版(第三文明社公式サイト)

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