書評『ブラボーわが人生 3』――「老い」を笑い飛ばす人生の達人たち

ライター
本房 歩

超高齢化社会の〝格差〟

 日本は世界でももっとも早く2007年に超高齢化社会(65歳以上が人口の21%以上を占める)に突入した。65歳以上の比率は、2025年には30%に、2060年には40%に達すると予測されている。
 医療の進歩もあり、これからは健康寿命が延びる。それ自体は喜ばしいことだが、何を生き甲斐として、どのように社会とコミットして長寿を全うするのか。人類がいまだかつて経験したことのなかった新しい時代だけに、ロールモデルがない。
 一方で都市部を中心に核家族化や単身世帯が増え、今後はさらに単身の高齢世帯が増えると予測されている。地域社会のなかで見守ってもらえる人間関係を持っているかいないかは、もうひとつの〝格差〟になりつつある。
 この『ブラボーわが人生 3』は、聖教新聞で大好評を博している連載の書籍化第3弾だ。登場するのはいずれも、80代、90代、なかには100歳を超える人生の大ベテランたちだ。
 戦争を経験し、戦後の食糧難の時代を生きてきた人たち。どの人も、宿命としか言いようのない苛酷な運命に翻弄されてきた。その深い絶望のなかで、創価学会にめぐり合い、信仰をはじめた。
 しかし、たいていの人はそこからが次の茨の道だった。夫に猛反対された人。旧習深い地域社会で村八分にされた人。それでも歯を食いしばって信仰を続けられたのはなぜか。
 ある人は、先輩が遠い道を通い続けて励ましてくれた。ある人は、聖教新聞に掲載された池田会長の言葉を命に刻み付けた。
 自分をいじめる相手にも、忍耐強く、ひたすら誠実に向き合ってきた。気がつくと、猛反対していた夫が真剣に信心をするようになり、地域の人たちから慕われ憧れられる存在に変わっていた。

私は勝ちました

 信仰を持つとはどういうことか。宗教に〝高低浅深〟があるとすれば、それを分けるものは何か。そして、人が人生を生き抜いて幸福になっていくとは、いかなることを言うのか。本書に登場する1人1人の語りに耳を傾けながら、あらためて考えさせられる。
 どの人にも共通するものがあった。
 まず、ともかく唱題(南無妙法蓮華経の題目を唱えること)を欠かさない。毎日3時間、4時間、5時間と唱え続ける。どの人も、人生の来し方で嵐に遭うたびに題目、題目、題目で乗り越えてきた。

 はいー、題目楽しいですよ。何でもかなうもんね。一にも二にも題目と思うてあげとるさかい、福運が後ろからついてきた。
 毎日五時間。今日より明日、前進や。今まで大きい声であげたけど、あんまり声出んようになってしもうた。それでも腹にギューッと力入れて、心では大きい声であげとるさかい、いつの間にか一時間二時間たってしもうとるもんね。(富山県の100歳の婦人)

 ふりかえると、悩み苦しんだことがすべて、自分の財宝に変わっていた。創価学会の信仰はマジックではない。悩みがパッと消えてなくなるわけではない。苦難と対峙するなかで、むしろ苦難があったからこそ、自分の奥底の一念が変わっていく。
 登場する誰もが、文字どおりの苛酷な宿命をそのまま自身のこの世の使命に変えて、それでも人間には勝ち越えていける力があるのだと証明してきた。
 苦労に苦労をかさねて競走馬を育ててきた北海道の102歳の婦人は、取材した記者にこう語った。

うん、私は勝ちました。池田先生のおっしゃる通りでした。やっぱり最後は勝つんだ。苦労して苦労して、乗り越えて乗り越えて、自分は勝ったなと

人生の最終章に至って、「私は勝ちました」と胸を張れる。このことにまさる幸福があるだろうか。

「池田先生」との約束

 共通点のもう一つは、どの人も「池田先生」(池田大作名誉会長)という師匠の存在を心のど真ん中に据えてきたことだ。
 ある人は何十年も前に、池田先生からかけられた「頑張るんだよ」という一言を支えに生き抜いてきた。ある人は、小説『人間革命』『新・人間革命』を毎年2回熟読しながら、文字を通して池田先生の人格と行動を範にしてきた。
 山口県にある菜香亭は、かつて維新の元勲たちゆかりの料亭だった。料理長を務めていた壮年は、1977年に池田会長が訪問した際、おかみに呼ばれて会長に挨拶をする。
 会長は料理長に、「おかみを守るんだよ」と語った。
 以来、料理長はその通りに実践しぬいた。閉店し、おかみが90歳を過ぎて施設に入っても、毎日顔を出し続けた。

 私が誇れることは一つです。池田先生との約束を一度もたがえなかったこと。それだけです。他には何もない。何もないけど、私ほど幸せな男は、他におらんと思うちょる。(山口県の82歳の壮年)

 青森の99歳の婦人は、心で題目を唱えながら手押し車に体を預けて、片道3時間かけて施設に入所中の同志のところへ通う。

 本当は、池田先生がみんなの家さ行かれるはずだべさ。でも、おらが代わりをさせてもらってんの。それを想像して歩く。この足、広宣流布のために使えばええ。

 この〝師弟〟の絆こそ、創価学会が大発展してきた理由なのだろう。超越的な絶対者を仰ぎ見ているのではない。どの人も、弟子の自覚を持って師匠の生き方、師匠の振る舞いに続こうと生きてきた。
 筆舌に尽くしがたい過酷な運命を生きてきた兵庫県のある婦人は、入会して学会の先輩から〝十年、二十年、三十年と真面目に信心を続けたら、考えもしなかった幸福境涯になるよ〟という池田会長の言葉を教わった。
 そんなに待てないと思いながらも、あと1分、もう1分と、題目を唱え、苦難の人生を生き抜いてきた。96歳になった今、こう語る。

こんな幸せが来るなんて、考えもしなかった。心から思います。池田先生がおっしゃったことは全部、本当だったんです。

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