書評『北京の歴史』――「中華世界」に選ばれた都城の歩み

ライター
本房 歩

「古都」としての北京

 中国の古都と聞くと、日本の平城京・平安京が都市設計の影響を深く受けた、西安(長安)や洛陽を思い浮かべる人が多いだろう。
 その一方で、現代の中華人民共和国の首都に定められている北京も、12世紀前期に建てられた金王朝で首都となって以来、時代によって名称は異なるものの、850年以上にわたる首都としての歴史を誇る立派な古都である。
 現在の北京があるエリアは、特に古代から中世にかけて中原や江南地域を中心に発展してきた中国史においては、長らく辺境の地と位置づけられてきた。
 周縁と見なされていた北京が、金、元、明、清、中華民国初期、新中国と長きにわたって首都に選ばれているのはなぜか。本書は、先史時代から現代まで、今の北京があるエリアの歴史を丹念に紐解きながら、その謎に迫っていく。

文化の交差路

 北京が辺境の地から中心地へと飛躍を遂げた背景には、北京の置かれた地政学的要因が大きくかかわっている。著者は北京が複数の文化の交わる境界にあると指摘する。

 華北的なもの、東南的なもの、東北的なもの、およびモンゴル的なものの四者の文化の相接触する境界に、北京は位置していた。まさに北京地区は、先史時代から文化の「交差路」としての境界性を有していたのである。(本書)

「華北的なもの」とは、黄河流域で発達した、中原を中心とする文化系統を指す。「東南的なもの」とは、長江中・下流域で発達した文化系統のこと。
 この二つの文化はともに農耕文化に属するが、気候条件の違いもあって、食文化をはじめ風俗が異なっている。そして、「東北的なもの」とは、いわゆる満州にあたる地域で発達した、狩猟採集を主とした人々によって支えられた文化だ。最後の「モンゴル的なもの」とは、広大なユーラシア大陸北部を自由に行き来した遊牧民たちが育む文化を指す。
 巨視的に中国史を眺めると、漢族と異民族との間で対立と融合が何度も繰り返されてきたことがわかる。歴代の皇帝にとって、分裂を未然に防ぎ、国を安定させることは常に至上命題だった。
 古代から現代に至るまで、多様な民族が生きる中国の大地において、複数の文化の境界に位置し、争いと融和のダイナミズムのなかでそれらを融和してきた北京が、その中心地として抜擢されることはある種の必然とも言えるのだった。

現在まで続いている北の京師としての北京という名称には、ここに政治的中心を置き、南の農耕社会と北の遊牧社会の双方に跨る広大な中国の統合を維持しようとする強い志向が示されている。(本書)

北京に残る歴代王朝の記憶

 最初に北京を首都に置いた王朝は金で、当時は「中都(ちゅうと)」と呼ばれた。金を建国したのは、満州の北部に居住していた女真族だった。金は建国年の1115年に、首都を現在の黒竜江省ハルビン市に位置する上京会寧府に置き、その後、1153年に中都へ遷都する。ここから北京の都としての歴史が始まった。
 その金を滅ぼしたのは、チンギス・カン(チンギス・ハン)率いるモンゴル帝国だった。元が建国されたのは第五代目の皇帝にあたるクビライ・カン(フビライ・ハン)の時代だ。
 北京は「大都(だいと)」と呼ばれた。元の最初の首都は遊牧地域にあったカラコルムに置かれていたが、クビライは北京への遷都を決めた。その主な理由の一つにもやはり、モンゴル草原と中国全体を包み込もうと想定した際、大都はまさにその中央に位置するという地政学的な要因が挙げられる。
 なお、現在の北京にも残る伝統的な家屋が立ち並ぶ細い路地の「胡同(フートン)」は、大都の都市整備の際に作られたものだ。モンゴル語で井戸を意味する「huddug」の音訳と考えられている。
 異民族支配が続く北京が、漢人の手に取り戻されたのは明代に至ってのこと。今も北京の観光地として最も有名な紫禁城(故宮)は明の永楽帝が1406年から14年の歳月をかけて築き上げ、以後、度重なる増築・焼失・再建を重ねて現在の姿となった。清朝滅亡までの約500年間にわたって皇帝たちが君臨し続けた場所である。
 明代に行われた紫禁城の建築をはじめとする、北京城内の整備事業は、モンゴル文化から伝統的漢族王朝の文化への回帰を意味していた。
 中国最後の王朝である清は、金と同じ女真族によって建てられた。女真族は清を建国する直前から自らの民族名を満州と改めるようになった。建国当初から清はモンゴル族と親密な関係を保っており、また最盛期にはチベットを保護下にいれ、新疆も版図に収めた。
 北京の中心地近くに残るチベット仏教ゲルク派の寺院である雍和宮は、清の康煕帝の時代に建てられた。南北に400メートルも伸びるこの巨大な寺院の建築様式には、チベットだけでなく、漢、満州、モンゴルそれぞれの民族の特徴がまじりあっている。

新中国の首都・北京

 このように、漢族と異民族が支配した北京には、今も各民族の記憶が街の随所に息づいている。そこは農耕世界と遊牧世界という異なる二つの世界を融和してきた中国史のダイナミズムを象徴的に体現する場所でもあるのだ。
 1949年に毛沢東によって建国された中華人民共和国。多民族国家の新中国の首都に北京が選ばれる背景も、本書を読むことでより明確に理解することができる。
 動乱の歴史を歩んできた中国にとって、安定が意味する価値は、恐らく私たち日本人が想像するよりもずっと重いものなのだろう。
 中国史だけでなく、海域アジア史研究や、ユーラシア東方史研究など、さまざまな視座からの研究を参照しつつ、北京という中国を象徴する場所の歴史を丁寧に振り返った本書。それを読み進めていくなかで、この国の根底に横たわる価値観、そして力強いエネルギーの源を垣間見ることができる。

北京の歴史――「中華世界」に選ばれた都城の歩み(新宮学著/筑摩選書)

「本房 歩」関連記事:
書評『希望の源泉・池田思想⑥』――創価学会の支援活動を考える
書評『創学研究Ⅱ――日蓮大聖人論』――創価学会の日蓮本仏論を考える
書評『訂正可能性の哲学』――硬直化した思考をほぐす眼差し
書評『戦後日中関係と廖承志』――中国の知日派と対日政策
書評『公明党はおもしろい』――水谷修が公明党を応援する理由
書評『ハピネス 幸せこそ、あなたらしい』――ティナ・ターナー最後の著作
書評『なぎさだより』――アタシは「負けじ組」の組員だよ
書評『完本 若き日の読書』――書を読め、書に読まれるな!
書評『人間主義経済×SDGs』――創価大学経済学部のおもしろさ
書評『ブラボーわが人生 3』――「老い」を笑い飛ばす人生の達人たち
書評『シュリーマンと八王子』――トロイア遺跡発見者が世界に伝えた八王子
書評『科学と宗教の未来』――科学と宗教は「平和と幸福」にどう寄与し得るか
書評『日蓮の心』――その人間的魅力に迫る
書評『新版 宗教はだれのものか』――「人間のための宗教」の百年史
書評『日本共産党の100年』――「なにより、いのち。」の裏側
書評『もうすぐ死に逝く私から いまを生きる君たちへ』――夜回り先生 いのちの講演
書評『差別は思いやりでは解決しない』――ジェンダーやLGBTQから考える
書評『今こそ問う公明党の覚悟』――日本政治の安定こそ至上命題
書評『「価値創造」の道』――中国に広がる「池田思想」研究
書評『創学研究Ⅰ』――師の実践を継承しようとする挑戦
書評『法華衆の芸術』――新しい視点で読み解く日本美術
書評『池田大作研究』――世界宗教への道を追う