書評『希望の源泉・池田思想⑥』――創価学会の支援活動を考える

ライター
本房 歩

キリスト教徒が読み解く池田思想

 月刊誌『第三文明』で2016年8月号から続いている佐藤優氏の連載「希望の源泉――池田思想を読み解く」。佐藤氏は元・外務省主任分析官の肩書を持つ作家であり、同志社大学大学院神学研究科を修了したプロテスタントのキリスト教徒でもある。
 国際情勢に関する著作はもとより、哲学、キリスト教、インテリジェンス、政治など、幅広いジャンルで旺盛な執筆活動を続けている。そんな佐藤氏が、この10年ほど熱意を持って取り組んでいるのが、創価学会とその指導者である池田大作創価学会インタナショナル会長(以下、SGI会長)の研究だ。
 創価学会とSGI会長を論じるにあたって、佐藤氏は全150巻におよぶ『池田大作全集』を揃えて読み込んできた。また全12巻の『人間革命』、全30巻の『新・人間革命』も読み込んで、これらについては独自の視点から著作も出している。
 これまで創価学会を批判的であれ好意的であれ論じた言論人や学者はいるが、ここまでの読み込みをした上で発言した者は一人もいないのではないか。
 この書籍のベースになっている連載「希望の源泉――池田思想を読み解く」は、SGI会長が法華経について論じた『法華経の智慧――二十一世紀の宗教を語る』を佐藤氏の視点から読み解こうとするものだ。
 キリスト教神学の専門家であり、国内外の政治情勢にも精通した佐藤氏ならではの立場から、「池田思想」とは何かということを掘り下げていく。
 結論ありきの浅薄な批判本でもなければ、会内からの解説本でもない。敬虔なクリスチャンにしてキリスト教神学の専門家という〝外部〟だからこそ語れる遠慮のない指摘や評価は、学会員たちの思索にも十分に有益であろうし、巷間に溢れる訳知り顔の論評の類を一掃していく説得力がある。

佐藤氏「支援活動には功徳がある」

 さて今回取り上げる第6巻は、『第三文明』誌上での連載の61回から72回(2021年8月号~2022年7月号)を収録したもの。SGI会長の『法華経の智慧』では「分別功徳品」から「如来神力品」の箇所にあたる。
 折しもこの期間には、都議会議員選挙(2021年7月4日)、衆議院議員選挙(2021年10月31日)、参議院議員選挙(2022年7月10日)が実施されている。
 佐藤氏は創価学会員が公明党を支援することについて、次のように語った。

功徳について、私がもう一つ感じていることがあります。それは、〝選挙における支援活動には功徳がある〟と、もっとはっきり言ってもいいのではないかということです。(本書)

 佐藤氏は、政治にかかわることは「現世」を変革することであり、現実を変える力となってこそ真の宗教だと語る。創価学会は個々人の現世利益だけを追求しているわけではなく、世界平和や世界の人々の幸福を強く希求している。公明党に対する支援活動もその一環であり、政治を通じて民衆の幸福を追求し、同時に自らの幸福も願うのだと佐藤氏は指摘するのだ。
 日蓮仏法では「功徳」について、外側から与えられるものではなく、自身の生命が浄化され強くなっていった帰結として感じられるものだと説いている。
 そのための具体的な行動として日蓮は「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と述べている。自他の生命を蝕む〝悪〟と戦い、〝善〟なる価値を創造しようと行動していくなかに「功徳」を実感できる生命境涯が築かれていくというのである。
 佐藤氏は、選挙における支援活動もまた、こうした仏法の方程式そのものだと見ているようだ。
 たしかに社会にある課題への取り組みは当然として、公明党の立場でいえば、国家主義への暴走を押しとどめ、社会を分断し混乱させることで伸長を図ろうとするような勢力に勝っていくことは、政治の次元における〝悪との闘争〟に位置づけられるのかもしれない。

 自分の背中を自分では見られないように、自分のなかの悪はなかなか自覚できないものです。眼前の悪と戦うことによって、初めて自分のなかの悪も自覚できる。だからこそ、支援活動を通じて政界の悪と戦うことは、生命のなかの悪を浄化することにつながるのです。
 以上のように考えてみれば、選挙支援活動に功徳があることは、むしろ当然と言えるのではないでしょうか。(本書)

体制内改革を進めていく創価学会

 もちろん、よく言われるように政治とは〝妥協の技術〟でしかない。多様な価値観を尊重する民主主義であればなおのこと、選挙で民意を問うて議席を獲得しつつ、シビアな現実の力関係のなかで妥協点を探り、忍耐強く合意形成して、一歩ずつでも現状を前に進めていくほかない。
 宗教の理念としては賛否が明確であることでも、政治の次元では常に次善の判断を迫られる。とりわけ与党になれば、理念だけを叫んで済むはずもなく、多様な利害を調整し、複雑な国際情勢も視野に入れながらきわめて難しい舵取りを強いられるだろう。
 現在の創価学会・公明党への批判として、自民党と連立して与党になっていることそのものを非難する論調が一部に見受けられる。こうした人々は、公明党はあくまで野党として常に政権党を声高に批判し、白黒ハッキリした宗教的理念だけを叫んでいるべきだと考えているのかもしれない。
 この点については佐藤氏が『希望の源泉・池田思想』第2巻で、次のように語っていることに触れておきたい。

 歴史を振り返っても、権力から弾圧を受けた宗教団体が、反体制化と玉砕の道を選んでしまう例が少なくありません。それは、そのほうが宗教者として正しい道であるかのように思い込みがちだからです。そこにはいわば、宗教者を玉砕の道に引きずり込む〝悪魔の誘惑〟のようなものがあるのです。
 しかし池田会長は、創価学会が権力から弾圧を受けたとき、その〝誘惑〟を退けて現実的改革の道を選びました。そのような「難との向き合い方」にこそ、池田会長が偉大なリーダーであるという一つの証左であると、私は思います。(『希望の源泉・池田思想』第2巻)

「反体制的にならず、体制内改革を進めていく」ことが、世界宗教の大きな特徴であるからです。(同)

左翼の民衆観との根本的な差異

 本書に話を戻そう。法華経「如来神力品」では滅後悪世での法華経弘通について、釈尊から無数の「地涌の菩薩」に対して付嘱がなされる。
 池田SGI会長は『法華経の智慧』で、民衆のなかに分け入って広宣流布を担うのは常に地涌の菩薩だと述べている。

「地涌の菩薩」とは、内証の境涯が「仏」と同じでありながら、しかも、どこまでも「菩薩」として行動していくからです。いわば「菩薩仏」です。境涯が「仏」と師弟不二でなければ、正法を正しく弘めることはできない。(『法華経の智慧』普及版下巻)

 従来、菩薩は仏よりも一段低いものとして考えられている。しかし、法華経では釈尊よりも威厳に満ちた存在として「地涌の菩薩」が描かれている。外的な立場はあくまで「菩薩」という求道者でありながら、内面の境涯は釈尊の久遠の弟子として「仏」に等しいというのが「地涌の菩薩」なのだ。
 佐藤氏は、この法華経の「地涌の菩薩」観に既に日蓮本仏論が予見されていたと指摘する。さらに、あくまでも求道者として自身を高めていこうとする「菩薩」でありつつ、内証は「仏」であるという自覚が、創価学会員に社会貢献への強い自己規定を与えていると論じている。
 こうした創価学会の、ひいてはSGI会長の民衆観が、左翼的な民衆観との根本的な差異になっているという佐藤氏の指摘も興味深い。

 ロシア革命から日本の新左翼運動、今の日本共産党に至るまで、左翼の民衆観に通底しているのは、〝無知な民衆を自分たちの力で教育して救ってやろう、解放してやろう〟という「上から目線」です。共産党の前衛思想は典型的で、〝プロレタリア大衆は遅れた意識しか持てないから、時代の前衛を行く優れた指導集団が彼らを指導し、革命意識を育んでいこう〟という発想なわけです。(『希望の源泉・池田思想』第6巻)

 民衆を本来「仏」に等しいと尊敬して、だからこそ民衆自身が民衆に語りかけ、民衆の力で社会を漸進的に変えていこうとするのが創価学会の根本思想なのだろう。
 それは、民衆を指導すべき愚昧な存在と見て、不安や憎悪を焚きつけて急進的に社会を革命しようとする左翼的なものとは対照的なのかもしれない。
 ともあれ、本書は創価学会の「功徳観」「幸福観」「人間観」を読み解くと同時に、池田思想を深く理解し日蓮仏法や法華経にも通じた佐藤氏ならではの、自由自在で痛快な政治論にもなっている。
 創価学会がなぜ政治にかかわり、なぜ公明党があえて与党として難しい舵取りに挑むのか。なにがしかの関心や疑問を抱いている人にも勧めたい一書である。

『希望の源泉・池田思想――『法華経の智慧』を読む⑥』
佐藤優著
 
価格 1,320円(税込) ※電子版990円(税込)
第三文明社/2023年10月26日発売
 
 
⇒Amazon
⇒紙版・電子版(第三文明社 公式サイト)

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