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芥川賞を読む 第53回 『abさんご』黒田夏子

文筆家
水上修一

読みづらい大和言葉から立ち上がる美しく静かな哀しみ

黒田夏子(くろだ・なつこ)著/第148回芥川賞受賞作(2012年下半期)

史上最高齢75歳での受賞

 それまでの史上最高齢の芥川賞受賞者は、「月山」で受賞した62歳の森敦だったが、それを大幅に更新したのが、「abさんご」で受賞した75歳の黒田夏子であった。2012年に早稲田文学新人賞を受賞し、それが同年の芥川賞受賞につながった。彼女の最初の文学賞受賞は、1963年7月度の読売短編小説賞(「毬」で受賞)だったから、実にその49年後の芥川賞受賞ということになる。
 その経歴もさることながら大きな注目を浴びたのは、その文体である。読者にとっては慣れない横書きのかな文字が多用され、句読点は「,」「.」で区切り、日常生活に馴染んだ名詞をあえて放棄しそれを分解した形で表現している。たとえば、蚊帳を「へやの中のへやのようなやわらかい檻」と表現し、傘を「天からふるものをしのぐどうぐ」という具合だ。
 結果として非常に読みづらい。通常、私たちは漢字かな混じりの文章を読むとき、意味を形で瞬時に伝えてくれる漢字の力を借りて、あえて音に変換しない状態でも意味を理解できるのだが、かな文字が多用された文章を読むとなると、かなの音を漢字に変換して意味を受け取らなければならない。それは慣れない作業なので、恐ろしく疲れる。最初の1ページを読み終えるのに、私も何度も読みかえす羽目となった。 続きを読む

芥川賞を読む 第52回 『冥土めぐり』鹿島田真希

文筆家
水上修一

過去の不運や絶望の中から見出した再生の光

鹿島田真希(かしまだ・まき)著/第147回芥川賞受賞作(2012年上半期)

過去という遺物を眺める

 不運や絶望や諦めから、人は再生の道を発見できるのか。ある種の宗教的命題を抱えた作品ともいえる鹿島田真希の「冥土めぐり」。
 主人公の奈津子の母と兄は、傲慢で、虚栄心が強く、拝金主義で、浪費家だった。その背景にあるのは、祖父母時代の裕福さ。超豪華なホテルで食事をしダンスを楽しみ、周囲からも特別扱いされるような家庭環境だったため、祖父母が亡くなり金の工面にも苦労するような生活に落ちぶれた今でも、昔の栄華が忘れられず虚栄に満ちた生活を追い求めているのである。
 そうした二人から小馬鹿にされ金銭的に搾取されてきたのが奈津子である。社会的常識から見れば奈津子の方が圧倒的に健全なのだが、そうした家庭環境だったため奈津子の自己肯定感は極めて低い。家族からの無理な要求にも逆らわない。それはまるで自分を諦めたような存在である。そんな奈津子は、職場の同僚と結婚したのだが、夫はその後、脳に関する病を発症し車椅子生活となる。稼ぎのない夫の日常生活を支える奈津子の日々は、一見あまりにも不遇である。
 ある時、二人は旅行に出かけることにした。行く先は、裕福だった頃に両親や祖父母と一緒に出かけた超豪華ホテルのある観光地。そこで、家族の過去を客観的に見つめるのだが、夫との出会いこそが自分にとっての救いだったということを発見するのである。 続きを読む

芥川賞を読む 第51回 『共喰い』田中慎弥

文筆家
水上修一

土着的世界の中で描かれた血と性の濃密な物語

田中慎弥(たなか・しんや)著/第146回芥川賞受賞作(2011年下半期)

確かな生の手触り

 第146回の芥川賞は、W受賞であった。前回紹介した円城塔の「道化師の蝶」と、今回取り上げる田中慎弥の「共喰い」である。「道化師の蝶」があまりにも難解で小説を味わう以前のところで頭を抱えたことに対して、「共喰い」は安心してその作品世界を堪能できた。前者が、選考委員の判断が分かれた実験的作品だとすれば、後者は、ほとんどの選考委員が高い評価を与えた古風な肌触りのする純文学である。
 舞台は下関の田舎町。主人公の遠馬(とおま)は17歳の男子高校生。異臭が漂う薄汚れた川が舞台の中心に流れている。川べりで魚屋を一人で営む実母は、捌いた魚の内臓をそのままその川に廃棄する。それを餌として集まるうなぎを釣るのが遠馬の楽しみ。遠馬が暮らすのは、その実母の家ではなく、近くにある父と義母の暮らす家。父と実母が別れた原因は、父の異常な性癖だった。 続きを読む

芥川賞を読む 第50回 『道化師の蝶』円城塔

文筆家
水上修一

難解な作品に対する期待

円城塔(えんじょう・とう)著/第146回芥川賞受賞作(2011年下半期)

選考委員も「分からない」

 本コラムでは、これまでも読むのが難儀な分かりづらい幾作品かの芥川賞作品を扱ってきたが、これほどまでに難しい作品は初めてだった。円城塔の「道化師の蝶」である。愚鈍な私の未熟な読解力ゆえの結果かと思いきや、『文藝春秋』(2012年3月号)の「芥川賞選評」を読んでみると、多くの選考委員が「分からない」と述べているではないか。少々、安堵。
 少し長くなるが、そのまま選考委員の選評を引用する。
 まずは黒井千次。

作品の中にはいって行くのが誠に難しい作品だった。出来事の関係や人物の動きを追おうとするとたちまち拒まれる。部分を肥大化させる読み方に傾きかけると、それもまたすぐ退けられる。つまり、読むことが難しい作品であり、素手でこれを扱うのは危険だという警戒心が働く

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芥川賞を読む 第49回 『きことわ』朝吹真理子

文筆家
水上修一

記憶を行き来する中で霞む存在の危うさ

朝吹真理子(あさぶき・まりこ)著/第144回芥川賞受賞作(2010年下半期)

多くの選考委員がその才能を評価

 前回取り上げた「苦役列車」とダブル受賞となったのが、朝吹真理子の「きことわ」だった。当時26歳。詩人で慶応大学教授の朝吹亮二の娘であり、フランソワーズ・サガンの翻訳を多く手がけた朝吹登水子を大叔母に持つという、いわばサラブレッドということもあって、受賞前から多くの関心を集めたようである。実際、選考会では少しの難点を指摘する声を除いて、多くの選考委員がその才能を高く評価している。

 主人公は永遠子(とわこ)と貴子(きこ)。初めての出会いは永遠子が15歳、貴子が8歳。貴子の両親が所有する葉山の別荘を管理していたのが逗子に住む永遠子の母親。その関係で、毎年夏になると2人は、その別荘でまるで本当の姉妹のように遊ぶのだった。
 やがて、貴子の家族が別荘に来ることがなくなって以降、2人は会うことも連絡を取り合うこともなくなり、再会したのが、その別荘を取り壊すことになった25年後のこと。永遠子も貴子もすでに大人になっていた。 続きを読む