『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第112回 正修止観章 72

[3]「2. 広く解す」70

(11)病患境④

 (2)別釈③

 「病患境」は総釈と別釈の二段に分かれている。その別釈は、「病を観ずるに五と為す。一に病の相を明かし、二に病の起こる因縁、三に治法を明かし、四に損益(そんやく)、五に止観を明かす」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定、大正46、106b13~14)とあるように五段に分かれているが、今回は、第五段の「止観を明かす」について紹介する。

 ⑤「止観を明かす」

 この段では、病患境に対する十乗観法について説明している。本文のなかには、この段の明確な科文の説明はないが、文脈としては、煩悩境のときと同じように、第一の観不可思議境の段のなかで、まず思議境について述べ、その後、不思議境について説明している。その後、第二の起慈悲心から第十の無法愛まで簡潔に述べている。

 (1)-1 思議境

 まず思議境の段では、病気の因縁によって十界(十法界)が生じることを詳しく述べている。具体的には、三悪道、三善道、声聞、縁覚、蔵教の菩薩、通教の菩薩、別教の菩薩が生じることである(仏界については言及していない)。
 たとえば三悪道については、次のように述べられている。病気のために本心を失うようなものであるといい、禅定を捨て、三宝を誹謗し、過去世の罪が災難を招くことを考えず、善を修めても福がないといい、大邪見を起こすことがある。さらにまた、身を惜しみ命を養って、魚、肉、ねぎ、にんにくなどの刺激的な野菜、酒を、いつも限度なく飲食し、あるいは病気が癒え、身体が丈夫であれば、五欲(色・声・香・味・触の五境に対して起こす欲望)を心のままに楽しみ、善い心はすべて消え、悪業は盛んであって、上・中・下の罪を起こすことがある。以上が病気によって地獄・餓鬼・畜生の三悪道の法界を作ることであると述べられる。
 菩薩については、自己の病気によって他者の病気を憐れみ、すぐに慈悲を起こし、願・行を生じ、捨てて残りを惜しむことなく、理にしたがって安らかに忍耐し、熱心に心を正して、無常を悟ることがあり、これは病気によって六度の菩薩の法界を起こすことであるとされる。
 この病気を観察して、前世の妄想、ひっくり返った考え、さまざまな煩悩が生じると知り、このような妄想に、真実はなく、私と涅槃のこの二つはすべて空であると知ることは、病気によって通教の菩薩の法界を起こすことであるとされる。
 この病気は究極的に空であり、空であって受けるものがないけれども、さまざまな受(苦・楽・不苦不楽の感受)を受け、まだ仏法を備えず、受を滅して証を取るべきではないと観察することは、病気によって別教の菩薩の法界を起こすことであるとされる。
 以上が病気から十界が生じるという思議境に相当するのであり、今の観察する対象(不思議境)ではないとされる。

 (1)-2 不思議境

 不思議境については、

 不思議境とは、一念の病心は、真に非ず有に非ず、即ち是れ法性・法界なり、一切の法は病に趣(おもむ)き、是の趣(しゅ)を過ぎず。唯だ法界の都にして、九界の差別無し。如意珠は空ならず有ならず、前ならず後ならざるが如し、病も亦た是の如し。言を絶し相を離れ、寂滅清浄なるが故に、不可思議と名づく。病の実際に達せば、何の喜び何の憂(うれい)かあらん。是の観を作す時、豁爾(かつに)として消差(しょうしゃ)す。(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅳ)、近刊、頁未定、大正46、110下19~24)

と述べられている。一瞬の病気の心は、真でもなく有でもなく、法性・法界にほかならない。一切法は病気を根拠とし、この根拠を超え出ない。ただ法界の都であり、九界の区別はない。如意珠は空でもなく有でもなく、前でもなく後でもないようなものである。病気も同様である。言葉を絶し様相を離れ、寂滅清浄であるので、不可思議と名づける。病気の実際を理解すれば、どうして喜ぶであろうか。どうして心配するであろうか。この観察をするとき、からっと開けて病気が消えて癒える。以上が観不可思議境の説明である。

 (2)起慈悲心

 第二の起慈悲心については、比較的詳しく述べられている。蔵教の析空観と通教の体空観によって有疾の菩薩を癒やすこと、別教の仮観によって有疾の菩薩を癒やすこと、円教の中観によって有疾の菩薩を癒やすことが説かれている。
 たとえば、蔵教の析空観と通教の体空観によって有疾の菩薩を癒やすことについては、次のように示されている。
 一切衆生は、一瞬の病気の心が法性・法界であるという理を備えるけれども、知ることはできず、見思惑にしたがって、分段生死の海に没する。深く愍れみを生じて、非有即空(有ではなくそのまま空であること)の道諦・滅諦の楽を与えようとすることが有疾の菩薩が空観によってその心を調伏することである。心は調伏されるので、実の疾は癒える。慈悲によるので、権の疾は生じ、分段生死の土(三界)に生じる。分段生死の人を、あたかも一人子のように見る。子に病がある以上、父母も同様に病む。そこで、父母の身の疾によって子を慰めさとす。子の病がもし癒えれば、父母の病も同様に癒える。以上が体空・析空によって有疾の菩薩を慰めさとすことであるといわれる。
 仮観と中観によって有疾の菩薩を癒やすことについては、説明を省略する。このような段階的な説き方は、不可思議の起慈悲心ではないが、これは理解しやすくするための便宜的な説き方であるといわれる。真実には、このような空観・仮観・中観によって癒やされる三種の疾は、一心のなかに生じるものであり、このような調伏は、一観の調伏であるとされる。このような慈悲は、完全で普遍的な慈悲であり、このような示現(姿を現わし示すこと)は、普遍的な示現であり、このような慰めさとすことは、同一の音声による演説である。これが不思議の慈悲であるとされる。
 このような不思議の慈悲については、『維摩経』だけが説いているとして、『維摩経』の有名なエピソードに言及している。維摩詰の病気見舞いに行くことを釈尊に命じられた仏弟子たちが、それに応えることは難しい。国王・長者にとっては、実の疾がほんとうに存在して、仏の命令(維摩詰の見舞いに行くこと)を受けられない。二乗は固定的な様相に執著することを取り除いているけれども、維摩詰のもとに行くことができないと辞退する。菩薩はかえって客塵(外から心に付着した煩悩)を斥けているけれども、しばしば維摩詰に屈せられてきた。ただ文殊師利だけが道力(仏道修行の力)が維摩詰と匹敵し、衆生の機を扣(たた)いて仏の考えを承わるので、文殊師利は維摩詰の見舞いに行くことができるとされる。文殊師利は、「維摩居士よ、この疾は何の原因で起こるのか。疾が生じて久しいのか、どのように[疾を]滅すべきであるのか」と質問する。維摩詰は、「今、私の病は大悲から起こる。衆生が病むので、このために私は病む。衆生の病が癒えれば、このために私の病は癒える」と答えるのである。
 末尾の維摩詰の有名なセリフは、『維摩経』巻中、文殊師利問疾品、「文殊師利の言わく、……居士よ、是の疾は、何所(なに)に因りて起こるや。其の生ずること久如(ひさ)しきや。当に云何んが滅すべき。維摩詰の言わく、癡従り愛有れば、則ち我が病は生ず。一切衆生は病むを以て、是の故に我れは病む。若し一切衆生の病は滅せば、則ち我が病は滅す。所以は何ん。菩薩は衆生の為めの故に生死に入り、生死有らば則ち病有り。若し衆生は病を離るること有らば、則ち菩薩に復た病無し。譬えば長者に唯だ一子のみ有りて、其の子は病を得ば、父母も亦た病むが如し。若し子の病は愈えば、父母も亦た愈ゆ」(大正14、544中15~26)が出典である。
 第三の安心から第十の無法愛については簡潔に述べられているが、説明を省略する。

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かんの・ひろし●1952年、福島県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学院博士課程単位取得退学。博士(文学、東京大学)。創価大学大学院教授、公益財団法人東洋哲学研究所副所長。専門は仏教学、中国仏教思想。主な著書に『中国法華思想の研究』(春秋社)、『法華経入門』(岩波書店)、『南北朝・隋代の中国仏教思想研究』(大蔵出版)、『中国仏教の経典解釈と思想研究』(法藏館)など。2025年、第1回日本印度学仏教学会学術賞を受賞。